幸福の花は静かに笑う
武尾さぬき
第1章 異世界営業
◆第1話 薬草の販売-1
「困ったなぁ、こんなのどうすりゃいいんだ……」
ひとりの青年が頭を抱えながら、街を歩いていた。すると、木製のイーゼルに立て掛けられたある看板が彼の目に留まった。
【販売お手伝い致します】
看板は街の大通りに面したとある建物の入口にあった。扉のところには酒瓶と樽の形をしたが飾りがぶら下がっている。どうやらここは酒場のようだ。
「いいお天気ですね」
青年が看板をぼんやりと眺めながらそこで立ち尽くしていると、後ろから声をかけられたようだ。明るい男の声だった。振り返るとそこには、箒を片手に持った男が笑顔で立っていた。ここの店員だろうか、濃い緑色のエプロンをしている。
「ご相談ですか? よければ中でお話を聞きましょう」
男は彼の返事を待たず、酒場の扉を開けて、奥へと進めていった。中へ入ると、彼はカウンターの椅子を軽く引いてそこへ座るように促してきた。
店内は酒場というよりは、小奇麗な喫茶店のようだった。だが、カウンターの後ろに見える棚にはたくさんの酒瓶が並んでいる。
すすめられるがままに青年は椅子に腰かける。すると、彼はカウンターにまわり込み、青年に目線を合わせてこう言った。
「販売の相談ですか? 私にお任せください」
◆◆◆
看板を見ていた男性は、明らかに悩んでいた。
時折ため息をつき、下を向いたかと思ったら考え事をするように空を見上げたりしている。歳は若そうに見えた。十代後半……ひょっとしたらぎりぎり二十歳くらいになっているかもしれない。看板に興味をもったようだが、なかなか中に入る思い切りがつかないようだった。
店の前を掃除しながら様子を窺っていたが、踏ん切りがつきそうにないので、こちらから話しかけることにした。
外は眩しいくらいに日が差していた。石畳でつくられた地面はその光を照り返して白く輝いている。誰でもわかりやすく「いい天気」と口にするような空模様だ。
若い男性は、後ろから話かけられたことに驚いた様子をみせた。だが、私が笑顔を見せると警戒を解いてくれたようだ。看板に興味を示していたことだけ確認すると、そのまま酒場の中へ誘導し、カウンターの席をすすめた。
お客が来たことに気付いたようで、店の奥でここの店主がグラスに水を注いでくれている。店主の名前はラナンキュラス……というが、みんな「ラナさん」と呼んでいる。彼女はベージュのブラウスを着て、深緑色のエプロンをしていつも仕事に励んでいた。
彼女は私の雇い主でもある。おそらく20歳前半くらいの女性だ。肩にふれるくらいまで伸ばした淡い紫色をした髪は、幼い日に近所の公園で見た藤棚の花を思い出させた。いつも口元を少し緩ませた笑顔でいるのが印象的だ。
ここで看板を出せているのは彼女のおかげだった。私はカウンターに座る若者に目を合わせて言った。
「販売の相談ですか? 私にお任せください」
そう言って、自分の名前が書いてあるカードを彼の前に差し出した。いわゆる「名刺」だ。
「私はここで商品の販売や相談を承っているスガワラ・ユタカと申します」
この世界には名刺を交換するような文化がないらしい。このカードは一枚一枚手書きでつくっている。見慣れないカードを手に取って眺めながら若者も名乗ってくれた。
「オレは……、オットって言います」
オット氏は、言葉を選ぶように迷いながらこう続けた。
「あの……、薬草を売ってほしいんですけど……」
左手の人差し指でこめかみの辺りをカリカリと掻いている。売ってほしい……、一瞬、ここに薬草を買いに来たような口ぶりに聞こえたが、売りたい商品が薬草なのだとすぐに認識を改めた。
あまりに一般的すぎる品名の登場に、逆に意表を突かれてしまった。
「外は暑かったでしょう? ゆっくりしていってくださいね」
ラナさんは水の入ったグラスを横から差し出しながらそう言った。彼女は、なにかあったら呼んでください、と表情で見せてまた店の奥へと消えていった。
「やくそう……というと、あの薬屋さんや道具屋さんに普通に置いてある――」
ここまで言ったところでオット氏は頷きながら、話し始めた。
「はい……。その、普通の薬草です」
「オレ、この近くの道具屋で手伝いをさせてもらってるんですけど、失敗が多いんです……。それで、昨日薬草の発注間違えてしまって……」
なるほど、おおよその話はよめてきた気はする……が、話の先を促した。
「普通より500個も多く薬草を注文してしまったんです……。店主もうカンカンで、この薬草を全部捌かないと店、クビになりそうなんですよ!」
またこめかみの辺りをカリカリと掻いている。どうやら彼の癖のようだ。
「なるほど、それは返品とかできないものなんでしょうか?」
とりあえず普通の疑問から投げかけてみることにした。
「薬草は返品がむずかしい商品なんですよ? きっと鮮度の問題だと思います」
いつの間にか後ろにいたラナさんがそう言った。私たちの会話を聞いていたらしい。オット氏もそうです、といわんばかりにコクコクと頷いている。
「それに……、普通の薬草って最近使う人減ってるんですよ、傷薬はいいものでも安く手に入りますので」
なるほど、少しの値差で上位互換が手に入るということか。
「鮮度が保てるのは、大体10日くらいなんです。それまでに全部売り切って店にお金払わないと……、ああぁ…考えただけで頭が痛くなってきた」
オット氏はその痛みを訴えるように頭を抱える仕草をしている。
「その数では1個1個売ってまわるのは難しいでしょう。どこかのギルドとかにまとめて買い取ってもらうとかはできないのでしょうか?」
「それは考えたんですけど、どこのギルドも決まったところから仕入れしてて、飛び込みでは買ってくれないんですよ!」
「なるほど、わかりました。鮮度を考えると7日間程度で全部売り切りたいところですね」
「そうなんです! でも、薬草500個ですよ。普通の値段でとても売れる気がしない」
頭の中で販売方法をいくつか模索してみたが、すぐに妙案は思い浮かばなかった。
「とりあえず、私が10個ほど買いましょう。その後、残り490個売る方法を考えます」
「ありがとうございます……。ですが、売れたら……、えっとスガワラさんへの報酬は?」
「薬草の販売価格に利益をのせます。そしてその半分を私がもらいます」
「安くてもなかなか売れない薬草を、さらに値上げして売るつもりなんですか?」
「はい、利益が出ないことには私の仕事になりませんから」
「……そ、そうですか、それではとりあえず10個お願いします」
そこまで言って、私は我に返った。たかが薬草10個……、ただ、酒場で居候中の私にはお金がほとんどないのだった。以前はそれなりに自由に使えるお金を持っていたので、その感覚で話をしてしまった。
これから稼いでいこうと決めてこの仕事を始めたばかりだ。苦い顔をしていたら、ラナさんが横から覗き込んできた。表情を見て、私の現状を悟ってくれたのかもしれない。
「薬草10個くらいならボクが買ってあげますよ? その分たくさん働いてもらいますけどね」
笑顔を見せた後、彼女は再び店の奥へと消えていった。一人称「ボク」が妙に耳に残って消えなかった。
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