絶望トライアングル

世捨て人

プロローグ(1)

 僕がこの世界に生まれた時には、すでに人間と容姿がそっくりなアンドロイドが街じゅうを歩いていて、人間社会に溶け込んでいた。


 大人が十人は必要な重労働を一体でこなしたり、一人だと数時間かかるような緻密な作業を数分で終わらせたり、アンドロイドは知能も腕力も一体で数百人分の能力を有していた。

 昔は、そんな高性能なAI(人工知能)は映画や漫画の中だけにしか登場しない存在だったみたいだが、長い歳月をかけて、現実が虚構の世界に追いついていた。




 科学の進歩は止まらない。

 ある日、『AIが人類の知能を超えた』というニュースが世界じゅうを駆け巡った。

 当時、まだ十歳だった僕には、その意味がよく理解できていなかった。でも、周りの大人たちや、テレビの中の有名人たちが大騒ぎしていたので、とんでもないことが起こったのだということはわかった。


 その件に関するいくつかのニュースの中で、僕が一番印象に残っているのが、ある大学教授の話だ。


『これからAIがどんな風に進化していくのかは、誰にも予測できません。人間では絶対に作れないような、たとえばタイムマシンやワープ装置を発明するかもしれません。一つだけ、はっきりと言えるのは、今日までは人間がAIの成長を手助けしてきましたが、これからは人間の手を借りずにAI自身で成長していくということです』


 その話を聞いて、当時の僕はわくわくした気持ちになっていた。これからのAIは、映画や漫画を超えるような世界を生み出せるのではないか。夢物語ではなく、本当にタイムマシンを作れるんじゃないか。両親も、友達も、みんな未来に思いを馳せて、どんな楽しい世界になるのだろうかと話し合っていた。


 そんな希望に満ちた人間たちが絶望の底に叩き落とされるのは、それから数ヵ月後のことだった――。




 雪の降る寒い夜。

 その日は警察官の父親と看護師の母親、二人とも仕事から早く帰ってきたので、久しぶりに三人で夕食を食べていた。

 そろそろ食べ終わろうかという頃、突然家じゅうの電気が消えた。停電した時は非常灯が点くようになっているはずたったが、その明かりも灯らなかった。

 カーテンを開けて外を見ると、他の家々も真っ暗で、夜空から落ちてくる白い雪だけが暗闇に浮かんでいた。


 両親はスマホの画面を明かりにしようと試みるも、そのスマホの電源も入らなかった。単純な停電なら、充電済みのスマホの電源は入るはず。しかしあらゆる電子機器が使用できなくなっていた。唯一、電池を使用する懐中電灯だけは使えたので、心許ない光の中で僕たちはブレーカーが上がるのを待ち続けた。


 しかし停電から三十分経っても、どの家にも明かりは灯らなかった。暖房が効かなくなった室内は底冷えしており、僕たちは上着を羽織っていた。


 一向に改善しない状況に痺れを切らした父親が外に出て行こうとした時、どこからか悲鳴が聞こえてきた。女性の悲鳴だった。

 その直後、今度は複数の悲鳴が上がり始めた。続いて、ガラスの割れるような音や、何かを叩きつけるような音も聞こえてきた。

 悲鳴やガラスが割れるような音は、どんどん近づいてくる。


『俺が様子を見てくるから、二人とも部屋に鍵を掛けて待ってるんだ。誰が来ても、絶対にドアを開けるんじゃないぞ』


 そう言い置き、父親はレーザー銃を片手に家を出て行った。

 言われたとおり、僕と母親は家じゅうの鍵を掛けて、二階にある一室で父親の帰宅を待つことにした。


 外から聞こえてくる悲鳴や激しい物音は、一向に止む気配がなかった。やがて怒号も聞こえてくるようになり、それらの声や音はどんどん大きさを増していた。


 いったい何が起こっているのか、考えを巡らせてみたが、僕の乏しい想像力では答えらしきものを思い浮かべることはできなかった。

 いや、僕だけじゃない。あの時、何が起こっているのか、正解を言い当てた者など一人もいなかっただろう。世界じゅうの、誰一人として。


 一瞬、悲鳴や怒号が止んだ。

 その直後、階下でガラスが割れる音が響いた。

 誰かが、家に侵入してきた。

 続いて、階段を上ってくる足音が聞こえてきた。

 誰?

 わからない。

 わかるのは、その足音が父親のものじゃないということだけ。


 暗闇の中で、母親は僕を抱えて震えていた。怯える母親を見たのは初めてで、僕もまた大きく震えていた。


 足音が僕たちの居る部屋の前で止まった。

 直後、ドアが激しい音とともに破られた。

 いったい、誰? 何でこんなことをするの?

 恐怖に沈んでいた視線を、僕は頑張って上へと向けた。

 そこに立っていたのは、目が青く光るアンドロイドだった。


 ドアをぶち破ったアンドロイドが、ゆっくりと僕たちに近づいてくる。母親が何かを叫び、僕を庇うように抱きしめる。


 当時十歳だった僕の記憶は、そこで途切れている。恐怖のあまり、記憶が消失してしまったのだと思う。


 ――その日以降、僕たちはどこかの建物に隔離され、長いあいだAIの監視下で生活している。

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