第10話 潜在解放(ディープアウト)

 如珠(いたま)の裏拳と男の蹴りが激突。ダイナマイトのような爆裂音が炸裂する中、蹴りを拳で受け止めた如珠(いたま)が膝を折った。


「如珠(いたま)っ」


 守偵(さねさだ)の妹兼助手、探護如珠は骨折こそしていなかったものの蹴りを受け止めた右手は真っ赤に腫れあがっていた。


(嘘だろ。あれだけの破裂音がしたのになんで、如珠しかダメージを受けてないんだ)


それに対し、蹴りを放った眼鏡の男の足はほぼ無傷だった。


(如珠の拳を、戦闘系の能力を持った異人の拳をまともに受けて立てるはずが、骨が折れていてもかしくないはずだ)


 如珠(いたま)の能力は潜在解放(ディープアウト)。人間は無意識に自分の力に制限をかけており、その制限を自分の意思で外すことはできない。潜在解放(ディープアウト)はその人間が無意志にセーブしている力の制限、リミッターを意識的に解除することで人間本来の力を解放する力である。


 当然リミッターを解除すれば体に壮絶な負荷がかかる。そのため、多用はできないのだがその分効果も大きい。


 中途半端な戦闘向け能力持ちの異人では、瞬く間に病院送りにされてしまう。


 それほどまで如珠(いたま)の持つ潜在解放(ディープアウト)は強大な力なのだが……


(虚勢を張っているようには見えない。本当に大してダメージは受けてないみたいだな)


「いい拳だ。お前には見込みがある」


 膝をつく如珠(いたま)を見下ろしながら男は汚れていない膝を手で払った。


「人の家族を、お兄ちゃんをいきなり蹴り飛ばそうとしたろくでなしに認められても、ちっともうれしくないんだけど」


 鈍い痛みに耐えながらも如珠(いたま)は溢れそうになる涙をぐっとこらえて、目の前で膝に付いた見えないゴミを払いのけた男を鋭く睨みつけた。


「それはお前の兄が能力を使おうとしたからだ」


「「っ」」


 普段から鎌かけを警戒している守偵(さねさだ)はなんとかポーカーフェイスを崩さず神妙な顔つきのままだったが、普段は大学に通う一般的な大学生である如珠(いたま)はそうもいかなかった。明らかに動揺が顔に出ていた。


 しかし、男は如珠(いたま)の顔をつまらなさそうに一瞥するのみで、どうやら本当に守偵(さねさだ)が能力を発動しようとしているのを知っていたようだった。


(鎌をかけてきたわけじゃないみたいだな。能力発動の気配でも感じ取ったのか……それともそれがこいつの能力か)


 守偵(さねさだ)の知る限りラプラスの瞳に発動の予兆、他者の目から見てラプラスの瞳が発動しているかどうかを知る方法はない。論理的には相手の能力発動を察知できる能力を持つ異人以外に守偵(さねさだ)のラプラスの瞳の発動を予見するのは不可能だ。


 だが、勘の鋭いものや長らく戦いに身を置く者は能力発動の際に生じる守偵(さねさだ)のわずかな変化、雰囲気や表情筋などの些細な変化を鋭敏に感じ取る者が確かに存在する。


「異人にとって能力は人間至上主義の社会を生きるための唯一の生命線にしてどんな障害をも貫く最強の矛だ。貴様の兄がどんな能力を有しているのかは知らんが、能力発動前に制圧するのが異人を相手にするうえで最も安全かつ利口なやり方だ。覚えておくといい」


 男の言葉に守偵(さねさだ)も内心頷いた。


 異人それぞれの持つ能力は確かに強力だが、発動さえしなければただの人間と相違ない。

 

 異人にとって能力とは腕や足と同じ、心臓のように無意識に動くものではない。能力使用には必ず使用者本人の意思が介在する。


 故に、意識の外、虚をつく戦法が対異人に最も有効な方法であると言えるのである。


(そのことがわかってる時点で、こいつはただ者じゃないな)


「これが最後のチャンスだ」


 男の声は冷たい。


「答えろ。貴様らは何者だ。どうしてここに来た。もしまた能力を発動する素振りを見せれば、俺がお前たちを殺す」


 視線が鋭さを増し、静かな殺意が男からあふれ出している。


(回答を誤れば、間違いなく殺される。だが……)


 額から一筋の汗がタラリと流れ落ちた。


(少なくともこいつの能力はパワー系。武闘派の能力者だ)


 如珠の潜在解放(ディープアウト)で強化した拳を受けても全くダメージを受けていないことがこのことを物語っている。


(だが、こいつの勘の鋭さは侮れない。嘘を吐くのは得策じゃない。他に嘘を見抜ける能力を持った異人がこの中にいる可能性もある)


 守偵(さねさだ)は噓をつかず、話の中に嘘を加えずにどうにか男の質問に答えようとするが、目の前の男の静かな圧に気圧され、考えがまとまらない。


「俺たちは……」


 守偵(さねさだ)は言葉に詰まった。頭は早く何か言えと急かすが、体が、口が硬まってしまいうまく言葉を紡げない。


「どうした。俺はお前たちの素性を聞いているんだ。そんなに難しい質問じゃないだろ。早く言ったらどうだ、それとも言えない理由でもあるのか」


「……」


(だめだ、考えがまとまらない)


 守偵(さねさだ)は決して頭が悪いわけではない。むしろ、主観を排し第三者の目から物事を俯瞰的に見るのは守偵(さねさだ)の得意分野である。それは守偵(さねさだ)の持つラプラスの瞳ととても相性が良かった。


 一見中二病チックに見える挙動も守偵(さねさだ)としてどのように振舞えば依頼人が安心して依頼を任せられるか、他者の印象に強く残ることができるか、そして自身を探偵として奮い立たせる自己暗示として守偵(さねさだ)なりに考えた結果のものだった。


 しかし、それは裏を返せば当事者意識が軽薄で何事にも一生懸命に取り組むことができない守偵(さねさだ)の性格を示していた。


 守偵(さねさだ)は、

 

 ここぞという土壇場に弱かった。思考が停止してしまうのだ。

 

「………………」


「それが答えか」


 男が無言で腕を上げる動作をしたと同時に、守偵(さねさだ)は如珠(いたま)をかばおうと前に出た。


「お兄ちゃん」


「死ね」


 男の腕から突然、鉄の刃が現れた。手のひらに収まるほどの超小型の短刀。よく見ると、その剣には鞘がなく、手首から手のひらに向かって伸びている。まるで体から鉄の剣が生えているようだ。


 その姿を見て男の能力を理解した。男の能力は、


 体内の鉄を操る能力。


(俺に蹴りをくらわせようとしたとき、足を薄い鉄のプレートで覆っていたのか。そうすれば守りは当然、蹴りの威力は格段に上がる。如珠が拳を痛めたのも、鉄を生身の拳で思いっきり殴ったからか)


 半ば反射的に守偵(さねさだ)はラプラスの瞳を発動させた。今まさに鉄の短刀が頭上に振り下ろされようとしているタイミングで未来が視えたところで守偵(さねさだ)にはどうすることもできない。


 かわす間もなく、短刀が守偵(さねさだ)の頭に突き刺さる。


 だが、もし一瞬でも短刀を振りかぶる男の中に迷いが生じれば、男は守偵(さねさだ)の能力を知らない。守偵(さねさだ)がこのタイミングで能力を発動するのは男もわかっている。


 守偵(さねさだ)の能力を男が脅威と判断し、ほんの少しでも動きが鈍れば。


(攻撃をかわして、如珠を連れ即退散)


 腰を下ろし、身をかがめる。明らかな反撃の姿勢。そのあからさますぎる守偵(さねさだ)の行動が逆に男に守偵(さねさだ)の能力はこの状況を打破できるものではないということを教えてしまった。


 一切止まることなく短刀が守偵(さねさだ)目掛けて振り下ろされる。


(だめか)


 生を諦めかけた守偵(さねさだ)の視界にある映像が映し出された。


 短刀の刃先が刺さる寸前、迫りくる短刀の刃が目と鼻の先にある切り取り画像。


 それが、本来誰も視ることのできないラプラスの瞳を持つ守偵(さねさだ)のみが視ることを許される数秒後の未来だった。


「お兄ちゃん」


 如珠(いたま)の悲痛な叫ぶと同時に、守偵(さねさだ)が視た未来と同じ位置まで男の短刀が迫り、そして……


「待て、博人(ひろと)」


 止まった。


「……どうして」


 守偵(さねさだ)が視た未来と同じ状況で、男の短刀は止まっていた。


 全員の視線がある一人の男に集まる。


 日に焼けた小麦色の肌とパンパンに膨れ上がったタンクトップ。一見ボディビルダーか、ジムのトレーナーに見える赤髪を刈り上げた筋肉男。


 守偵(さねさだ)も如珠(いたま)もその筋肉男とは初対面であった。だが、彼の名を知らない者はこの場に誰もいなかった。


「レンジ……」


「レンジ」


「えっ、それって」


 視線が集まる男の名前を聞き、二人も男の方へ視線を向けた。


(あいつが)


 レンジ。ここ最近で最も口にされている時の人であり、この街で暮らしている者で彼の名前を知らぬものはいない。


「いやあ、うちの博人がごめんね。怖がらせるつもりはなかったんだけど、やりすぎちゃう悪癖があってね」


 異人のみで構成されたテロリスト組織セイムの創設者のひとりにしてその旗振り役。


「ああ、自己紹介がまだだったね」


 圧倒的カリスマ性と人柄でセイムをここまで大きくした今回の潜入調査においての最重要人物。


「俺の名前はレンジ。このセイムで、この馬鹿野郎たちのリーダーをさせてもらってる。まあ、いわゆるお山の大将だ。よろしくな」


 金剛蓮司(こんごうれんじ)。上下関係がほとんどないと言われているセイムにて唯一確固たる上位に座する、セイムの頭目(リーダー)である。

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