第2話 探偵推参

 密室殺人という摩訶不思議な不可能犯罪が起こった九百一号室の隣、九百二号室。第一発見者であるホテルの従業員が九百一号室に宿泊していた客の死体を発見直後にあげた悲鳴を聞きつけ駆け付けた三人の容疑者が待機するこの部屋で事件担当の年の差コンビ古株と若寺は聴取を始める。


 クセのある容疑者三人に聴取は難航、さらに容疑者の一人である銀髪の女と中年刑事古株が衝突。事件解決に暗雲が立ち込みはじめる。出口のないトンネルの中のように混沌とする室内に突如新たな風を吹き込む者が現れた。


 自身を探偵と自称し許可なく勝手に現場へ入ったにもかかわらずみんなの前で堂々と頭の痛い登場を決め自己陶酔に浸る正真正銘のやばい奴……


「か、かくほおおおおおおお」


ナルシストサイコパス野郎である。


「え、ちょ、まっ」


 自称探偵こと侵入者、ナルシストサイコパス野郎――守偵(さねさだ)は登場わずか一分で若寺に現行犯逮捕されてしまった。


「ま、待った待った、何で逮捕なんだよ。俺何もしてねえだろ」


「現行犯ですよね、不法侵入の」


「うっ」


 手錠をかける若寺の言葉に自称探偵――守偵(さねさだ)は視線をスイングさせる。


「それに今は事件の聴取中、最悪公務執行妨害もつきますよ」


「ぐっ」


 守偵(さねさだ)の口内にほんのり苦い味が広がる。


「待ってくれ、俺は本当に超一流の探偵なんだ」


「それが」


「それが、じゃなくて。よくあるだろ、通りすがりの探偵がたまたま出くわした事件現場で事件を颯爽と解決する超かっこいい王道展開が」


「その超かっこいい展開を自分もしたくて現場に勝手に入ってきたと」


「そう、それ」


 少年のように目を輝かせて訴える守偵(さねさだ)を見て、若寺は呆れを通り越してかわいそうな気持ちになった。


(いるんだよな。こういういくつになっても子供みたいな大人が)


「とにかく、今は密室殺人の聴取中だから君の不法侵入の件については署に連行してもらってじっくり――」


 捜査の邪魔にならないよう室内の外へ連れ出そうとした若寺の手を振り払い守偵(さねさだ)は容疑者たち全員の顔を一瞥した。


「ちょ、君」


 慌てて部屋の外に連れ出そうと伸ばした若寺の手が空をつかむ。守偵(さねさだ)は腕に手錠をかけられたままある容疑者の前まで行くとじーっと至近距離でその容疑者の目を覗き込んだ。


「何やってんだよ」


 見かねた古株が守偵(さねさだ)に近づく。


「おい、兄ちゃん、ここはドラマやアニメの世界じゃないんだ。あんまりふざけたことすると本当にむしょに――」


「あなたですよね、今回の事件の犯人」


「え……」


 守偵(さねさだ)の言葉に室内がシンッと静まりかえる。


 部屋にいる全員の視線が茶髪の若い男――若井茶良(わかいちゃら)に集まる。


「ちょちょ、待てよ。なんで俺が犯人になるんだよ」


 突然、犯人と名指しされ慌てたように椅子から立ち上がり証拠を見せろと詰め寄る若井。そんな若井に守偵(さねさだ)は


「証拠なんてありませんよ」


 あっけらかんとしや調子でそう言った。


「へっ」


 緊張で引き締まっていた室内の雰囲気が見る見るうちに緩んでいった。


「まあ、探せばあるのかもしれませんけど、少なくとも今あなたを犯人と断定するほどの証拠はありませんよ」


「証拠が、ない……ど、動機は」


「そりゃ何の関係もない人をわざわざ密室にしてまで殺すとは思いませんからありはするんでしょうけど……今日初めてこの人に会ったのにそんなことわかるわけないじゃないですか」


 恥ずかしげもなくそう言ってのける守偵(さねさだ)に古株は頭を抱えた。


「今の私にわかっているのは今回の事件の犯人がこの人ということです。証拠や動機は後で警察が調べていけばわかるでしょ」


「なんだよそれ、頭いかれてんじゃねえのか」


「もういい、付き合ってられん。さっささとこの兄ちゃんをここから――」


 守偵(さねさだ)はいつの間にか手に隠し持っていたナイフを器用に手のひらの上で回転、刃を若井に向けると手錠をかけられたまま若井の腹を突き刺した。


 守偵(さねさだ)と若井が床に倒れこむ。


「おいっ、何してんだ」


 慌てて古株は若井に覆いかぶさる守偵(さねさだ)を引きはがした。


「ぐふっ」


 壁に勢いよく守偵(さねさだ)が頭をぶつけたが、古株に構っている余裕はない。すぐに刺された若井の傷口を確認しようとした。


「あんた大丈夫かしっかりし、ろ……」


 古株は刺されたはずの若井の腹を見て、言葉を失った。


「どうなってんだこりゃ」


 若井の腹にぽっかり十セントほどの穴が開いていたからだ。


「何で腹に穴が開いてるんだよ」


 ぽっかり空いた穴をよく見ると、穴の先に守偵(さねさだ)が若井を刺したはずのナイフが見えた。ナイフは若井の腹に開いた空洞を通ってそのまま床に落ちたのだ。


「……まさか、お前」


 勘の鈍い古株でもわかった。この若井という男は……


「人間じゃない」


 再び静まり返る室内。


「密室殺人」


 そんな中、古株に突き飛ばされた守偵(さねさだ)は立ちあがると尻もちをついたままの若井の元へゆっくり歩いて行った。


「到底人間にはできない摩訶不思議な不可能犯罪。一見すると超難解迷宮入り必至の事件だが、種を明かしてみればこれほど単純なものはない」


 若井は尻もちをついたまま、近づいてくる守偵(さねさだ)をじっと見ている。


「犯人が人間じゃなけれれば不可能でも何でもないんだからな」


 若井の腹に開いた穴がスーっと音もなく元に戻った。


 目の当りにした現象に皆が言葉を失う中、守偵(さねさだ)は倒れたままの若井の前まで行くと腰を下ろした。


 守偵(さねさだ)はこの事件を締めくくる最後の言葉をルビー色に輝く赤い瞳いっぱいに若井の顔を映して告げた。


「お前、異人だろ」


 守偵(さねさだ)の言葉を聞き、若井は力なく頭を下げた。


 午前十時三十分。迷宮入りもかくやと思われていた有魔ホテル九百一号で起きた室密室殺人事件は事件発生から一時間半という驚異的の速さで解決することになった。解決の立役者となったのは突然現れた謎の探偵探護守偵(たんごさねさだ)。彼は証拠も動機も突き止めていなかったにも関わらず犯人を特定してみせた。その姿を見たものは皆、彼がこの事件のすべてを見通していたのだと思うだろう。


 だが、それは大きな間違いである。


 なぜなら、彼は知らなかったからだ。この事件が後に起きる大事件の序章でしかないことに。


 この事件に関わったことが彼と彼の大切な人の人生を大きくゆがめてしまうことに。


 この時の彼はまだ何も知らなかった。


 彼の瞳は、すべてを見通すなどというほど便利なものではなかった。

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