ラプラスの瞳☆完結保証★
@maow
第1話 事件発生
くたびれたスーツを着る中年とおろしたてのスーツを着る若い青年。あまりにも不釣り合いな二人が肩を並べて足早に向かっているのはこの街唯一の三ツ星ホテル――有魔ホテル九階、九百一号室。
バンッ
九百一号室と書かれたプレートが取り付けられた扉の前に着くとすぐに中年男は荒っぽい手つきで扉を勢いよく開けた。当然、このホテルも一般的な高級ホテル同様部屋はすべてオートロックなのだが、今この部屋のオートロック機能はある事情のために停止している。いや、させている。そのため二人はカード―キーを使わずに部屋の中へ入った。
「殺風景な部屋だな」
それが部屋の中を見て真っ先に思いついた中年男の感想だった。
「生活感が全くありませんね。よほど几帳面な人だったんでしょうか」
部屋の中は清掃員が掃除した後なんじゃないかとおもえるぐらい整頓、髪の毛一つ落ちていないのではと思えるほどきれいにされていた。
「いや、几帳面つっても限度があるだろう」
パンフレットに乗っている部屋の写真と変わらないほど整然とした室内に中年男が眉をしかめる。違う所といえば、絨毯に大小様々な赤黒い染みがついていることと中でも一際大きな赤黒い染みの近くに貼られた横になる人のシルエットをかたどった安物の白いテープ……
「がいしゃはここで倒れていたのか」
「はい」
実際に出くわしたことはなくても、この部屋のありようを見れば誰でも察しがつくだろう。この部屋で何が起こったのかを……
「第一発見者は」
「このホテルの従業員です。モーニングコールを頼まれていたのですが、がいしゃが電話に出なかったため、直接起こそうと部屋を訪れノックしたのですが応答せず。大事な約束があるので絶対起こしてほしいと念を押されていたのでマスターキーを使い部屋の中へ入ったところ」
「胸を刺されたがいしゃを発見した。というわけか」
「そうです。古株刑事」
古株刑事と呼ばれた中年男は視線だけ動かし部屋の中を見回すと、誰にはばかることなく盛大に舌打ちした。
「部屋に入ってきたのはその第一発見者だけか」
「いいえ。従業員が悲鳴を上げた後、声を聞きつけた宿泊客三人が立て続けに部屋に入っています」
「ちっ、野次馬め。そいつらは今どこに」
「隣の部屋で取り調べを受けてます。第一発見者の従業員は死体を見つけたショックで気絶してしまい今は病院で検査を受けてます」
「そうか……」
何度見ても部屋は整理整頓され生活臭一つしない。
「ここにいても仕方ねえな、俺たちも取り調べにいくぞ若寺」
「はい」
そう言って二人の刑事は部屋を後にした。
この部屋のオートロック機能は停止している。いや、させている。捜査を円滑に行うために警察がホテル側に頼み一時的に停止させたのだ。つまり事件当時オートロック機能は生きていた。だから従業員はマスターキーを使ったのだ。
事件が起きた九百一号室があるのはホテル九階。窓から下を見れば人の頭頂部がマット棒の頭のように小さく見える。
これはただの殺人事件ではない。摩訶不思議な不可能犯罪。人間には到底なしえない神の御業、密室殺人である。
「ここか」
「お疲れ様です」
部屋の前で見張りをする警察官に軽い挨拶をし二人は容疑者たちのいる部屋に入った。
「む」
「うぉ、なんか偉そうな人来た」
「……」
九百一号室の隣にある九百二号室。来週から改修工事がなされる予定だったこの部屋は他の部屋と異なり家具が一切なく、ただ容疑者三人の座る椅子が一メートルほどの間隔をあけて置かれいるだけだった。
古株と若寺が容疑者たちのいる部屋に入った時にはすでにあらかたの聴取は終わっていた。一応事件は密室殺人と言われる不可能犯罪の一つだが、間違いなく犯人はこの中にいる。証拠はないが、現場にいる誰もがそう確信していた。だからこそ容疑者である三人は聴取が終わっても古株と若寺が来るまで部屋に待機してもらっていたのだ。
「えーと、あんたらが隣の部屋で従業員が悲鳴を上げた時に迷惑にも勇んで入ってきた馬鹿どもか」
「ふん」
「馬鹿って」
「……」
古株の言葉に三者三様の反応を見せる三人の容疑者。
「まず最初に入ってきたのは……あんたか」
そう言って古株が視線を向けたのは入り口から向かって右に座る白髪の老人。
「白杖皺(はくじょうしわ)さん。有魔市に住む元会社の社長さんで現在は隠居。このホテルに泊まったのは……退屈しのぎ、だそうです」
「退屈しのぎで三ツ星ホテルかよ。金持ちの道楽にはついていけねぜ」
「何か文句でも」
「い、いえ何も。先輩っ」
老人は明らかにふてくされていた。二人が部屋に入った時からすでに老人の態度は悪かったから、おそらく聴取で根掘り葉掘り聞かれて苛立っていたのだろう。そこへ古株の不躾な言い様が輪をかけてしまったようだ。
「で、なんでじいさんは従業員が悲鳴を聞いた後、あの部屋に入ったんだ」
「む」
古株の言葉に老人の眉がぴくりと動いた。じいさんと呼ばれたのが気にくわなかったのだろう。しかし、ここで揉めればより面倒になることも老人はわかっていた。不平不満を大きなため息とともに吐き出し、老人は素直に古株の質問へ答えた。
「人の悲鳴が聞こえたんじゃ。誰だって何事かと様子を見に行くじゃろがい」
「そうかねえ、俺だったらおっかなびっくりして部屋のカギ閉めてベッドの中でぶるぶる震えてるがね」
「あはは」
絶対あなたも見に行くでしょ、とは言えず。若寺は苦笑いでお茶を濁す。
「で、このじいさんの次に入ってきたのは」
「あ、そのおじいさんの次に部屋に入ったのは俺っす」
そう言って茶髪の男は自分で自分を指さした。
老人の疑いが晴れたわけではないが、これ以上聞いても無駄と判断した古株は老人の隣、真ん中の椅子に座る若い茶髪の男に話を聞くことにした。
「あなたは若井茶良(わかいちゃら)さん。市内の大学に通う大学生です。アルバイトの傍ら雑誌のモデルもしているそうで今回このホテルに宿泊したのはその雑誌の撮影の下見だそうです」
「ほうモデルで雑誌の下見」
明らかに疑っている目で見る古株に若い男は身じろいだ。
「な、何すか」
確かに男は王子様のようなかわいらしい顔をしている。身長こそそこまで高くないが、スタイルもいい。モデルをしているというのもうなずける。古株には理解できないが、着ている服装もモデルの仕事をしているだけあってかなり奇抜で人目を惹く。
「いやぁ、いくら仕事のためとはいえこんな高そうなホテルに泊まるなんてねぇと思って。下見なら宿泊しなくてもできただろう。モデルって仕事はそこまで儲かるもんなのか」
「んなわけないじゃないですか。け、経費ですよ。経費。読モがそんな稼げるわけないでしょ」
「どくも……」
全く聞いたことのない未知の単語に古株は首をかしげる。ファッションはおろか流行に乗れない、そもそも興味がない相撲中継と競馬中継と全国高校柔道選手権ぐらいしか見ない古株にとって読モは普段交わることのない異界の生物と同義だった。
そんな古株を見かねて若寺がわかりやすく補足した。
「読者モデルのことですよ。雑誌の読者がよく読んでる雑誌のモデルを彼はやっているんです」
「読者がモデルで、モデルが読者……モデル見習いみたいなもんか」
微妙にニュアンスが違う気がする。が、否定しようにも読者モデルという職業がどんなものなのかなど実際に読モをしている人ですら正確にはわからない。
だから若寺と男は古株の読モに対する解釈に苦笑いで答え、話を流した。
「で、最後に部屋に入ってきたのが」
古株は残る容疑者である長い銀髪の女、左端の椅子に座る女へ視線を動かした。
「…………」
女は古株たちが部屋に入ってから一度も声を発していない。ずっと目を閉じたまま姿勢正しく椅子に座っていた。
「あんた、名前は」
「……」
パンツスーツに身を包み黒縁の眼鏡をかけたいかにも働く女性をそのまま具現化したような女。
「仕事は何をしてるんだ」
「……」
腰まで伸びる長い銀髪に日本人離れしたスタイルの良さが彼女の纏う神秘的な雰囲気と合いまってより彼女の魅力を引き立てている。
「どうしてこのホテルに泊まったんだ」
「……」
徐々に語気を強めていく古株お得意の恫喝まがい聴取も彼女はぴくりともせず、彼女は高価な絵画のように目を閉じたままただ座っていた。
「……」
古株は無言で若寺を見た。眉間にしわを寄せて。
長いと言ってもそろそろよさそうな程にはコンビを組んでいる若寺は古株のその顔から「何かこの女から聞き出した情報はないのか」という言葉を察した若寺は無言で首を横に振った。
「あなたは事前に行われた事情聴取でもなにも答えていませんね。どうしてですか」
「……」
「何かやましいことでもあるんですか」
「……」
全く進まない聴取に古株の低すぎる沸点がいとも簡単に臨界点へと到達した。
「おい、てめぇいい加減にしろ、人が死んでるんだぞ。うんとかすんとか言ったらどうだ」
「ちょ、古株さん」
殴り掛かりそうなほどの勢いで女の襟首をつかもうとする古株を若寺は慌てて羽交い絞めにした。
「だめですよ古株さん。落ち着いて」
「放せ若寺、俺はこのクソ生意気な女に一発ガツンと」
目の前で二人が言い争いをしていると今まで動かなかった女がそっと目を開いた。美しいサファイア色の瞳に皆が見惚れる中、女はこの部屋に来て初めて口を開いた。
「臭い、口が」
そう言って女は自分の鼻をつまむと、しっしっと手を振った。
口が臭いからあっち行けということだ……
「………………あの、古株刑事」
「…………ふ、ふふふふふふふ、ふはははははははは」
突然笑い声を上げ始めた古株の姿を見て若寺の背筋が凍っていくのを感じた。冷たい汗が頬をツーと伝って落ちる。
「上等じゃ、このアマ署に引っ張って洗いざらいひん剥いてやらああああ」
「古株刑事ぃぃぃぃ」
我関せずの態度をとる女にコンプラ的にアウトな発言を連発する古株刑事。相棒の暴走を必死で止める若寺刑事と余計な火の粉を浴びないため関わろうとしない容疑者二名。現場はカオスに支配されていた。
「このアマぁあああああああああああああああ」
法治国家ではありえない秩序が失われた混沌空間。誰も収拾をつけることができず、収束する様子もない。事態をどうにか収めるにはここにはいない第三者の助力が必要不可欠な状況なのだがこんな世紀末空間に好き好んで入る者など……
「おいおいなんだよこれは」
いるわけがなかった。ただ一人を除いて。
突然発せられた聞きなれない声に全員の視線が集まる。
「いくら俺の登場が待ち遠しいからって、暴動はなしだぜ。マナーを守るのは大人のたしなみ、それができないなら幼稚園からやり直してくるんだな」
「「「「「………………」」」」」
室内は静寂に包まれた。
「いい感じに空気が引き締まってきたな。やっぱり主人公が登場するときはこうじゃねえとな」
全員の冷たい視線が鋭く突き刺さる中、突然現れた乱入者は満足そうに頷いていた。
日常生活で被っている人はまず見ないカッコつけた黒いハット。そのハットからちらちら見えるのはルビーのように怪しく光る赤い瞳。体の線は細く、女に見えなくもないが着ているのは男性用のオーダーメイドスーツ。仕立ての具合からしてかなり良いスーツなのだが、乱入してきた男はそれをわざと着崩して着ていた。かっこいいとおもっているのだろう。
「俺の名前は探護守偵(たんごさねさだ)。難事件のにおいに誘われ颯爽と現れた、この街イチの超一流の探偵だ」
そう言って自称超一流の探偵――守偵(さねさだ)は某少年漫画雑誌なら背景にバンッという擬音の具現化が起きそうなカッコつけポーズをとる。もしこの場に中二病という病に心を侵食されている者がいたなら瞳をキラキラさせて守偵(さねさだ)を見ていたのかもしれないが……
当然、この場にそんな病を患っている者などいない。現実(リアル)という病に骨の髄まで犯されている大人(リアリスト)のみである。
「ふふふ、決まった」
ポーズを決め一人悦に浸る自称超一流の探偵――守偵(さねさだ)。
「「「「「………………」」」」」
自分に集まる大人(リアリスト)達の哀れんだ視線に守偵(さねさだ)が気づくことはない。
彼はしばらくの間自分だけの世界に酔いしれた。そんな彼をリアリスト(ちゃんとした大人)達は全員放置した。誰も自分の世界に漬かる彼に話しかける者はいない。なぜなら、
こんな勘違い野郎と誰も関わり合いになりたくなかったからだ。
ついさっきまでばらばらだったみんなの気持ちが一つになった瞬間である。
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