一章 なりたて貧乏神編

ミコのおしかけ編

第1話 押しかけミコは突然に

 深い霧の中に俺はいた。かろうじて見えるのは落下防止用の高めの柵。そこはよく知る学校の屋上だった。


 どうしてここにいるのだろう。辺りは暗く、空におぼろげな月が浮かんでいた。ふと視線を下ろせば左腕に誰かを抱き寄せている。


 相手はクラスの委員長、晴川香織はるかわ かおりだった。


 俺はぎょっとする。女の子を腕に抱いた経験などない。委員長は眠っているのか目を瞑って寝息を立てている。少し顔を動かせばキスできる距離に彼女の顔があった。


 顔が熱くなるのを感じ、俺はあわてて顔を離そうとした。しかし体が動かない。それどころか俺の腕は委員長をさらに強く抱き寄せていた。押し付けられる柔らかな二つの感触。


 おいなんだ恥ずかしい!


 委員長が目を覚ましたらビンタされて長々とお説教が始まるところだ。この状況から脱さなくては。体を動かそうとあがいていると勝手に右腕が勝手に動き出し、その手にあるものに俺は目が釘付けになった。


 それは日本刀だった。薄い刀身は月明かりに照らされて妖しく煌めく。息を呑むほど美しい刀だった。見惚れていると刀は手前へと動かされる。その刃は委員長の首筋に当てられていた。


 ぶわっとあぶら汗がにじむ。俺は委員長を殺そうとしていた。


 やめろ! やめろって! おい!


 いつの間にか俺は自分の体から飛び出していた。ぼさぼさ髪の目の下に隈のある辛気臭い顔。幾度となく鏡で見合わせた自分の顔なのに別人の顔のように思える。自分が自分を見ているという異様な状況。だがそんなことを気にする余裕はなかった。


 とにかく今は委員長を助けなくては。


 やめてくれ!


 必死に手を伸ばした先で、俺じゃない俺が笑っていた。



 * * * * * *



「やめ……痛でぇ!?」


 全身に伝わる鈍い衝撃、俺はばっと上半身を起こした。見渡せば穴の開いたボロのカーテン。机に平積みの教科書。肘を乗せられるあたりにベット。ここは俺の部屋だ。


 はぁ、とため息をつき俺は床に寝転がった。


「夢かぁ」


 腹立ちと同時に肩の力が抜けていく。ひどい夢を見た。


 立ち上がり床にぶつけた腰を叩く。どうやらベットから転げ落ちたらしい。


「ああ、くそ。また落ちた……」


 サイズの合ってないベットに視線を送る。


 いっそ床に布団でも敷くべきだろうか。いやでもベットをどかすのは一苦労だ。ああ、今はとにかくシャワーを浴びたい。もうすぐ夏だというのにケチってエアコンをつけずに寝たのがまずかった。


 時計を確認すると登校時刻まで多少時間はある。俺は風呂場へ向かおうと部屋のドアを開けた。


「おはようございます。神さま!」


 ――そして閉めた。


 ……うん? 気のせいだろうか。白い小袖に紅袴の巫女がいた気がする。


 俺は腕組みをして首を傾げた。


 両親はともどもに転勤、妹は寮で生活している。この家には他に人はいない。


 古い家だ。もしやお化けかとも思ったが巫女姿のお化けなどいるのだろうか。


 いや見間違いだろう。見間違いに違いない。まだ寝ぼけているんだ。そうでなければ家に不法侵入したコスプレ女子がいることになる。


 ……なんだろう。俺が被害者なのにニュースで流れたら俺が一方的に容疑者になりそうな字面だ。


 警察に捕まりたくはない。見間違いであれと俺は恐る恐るドアを開けた。


「もう! なんで閉めるんですか。早くしないとご飯冷めちゃいますよ」


 ……見間違いじゃなかった。手で顔を覆い項垂れた俺は、指の隙間からその女の子を見た。


 艶やかな漆黒の長い髪を後ろに一本束ねて垂らした女の子。同い年くらいだろうか。白磁の肌に黒髪がよく映える。非常に整った顔立ちをしており、薄い唇が蠱惑的だった。


 見つめられるとつい視線を逸らしてしまう……って照れてどうする!


 俺は距離を取りつつ大声を出してけん制した。


「誰だお前!? どうやって家に入った!」


「ああ! 自己紹介がまだでした。はじめまして。私は神宮じんぐうみい子。見ての通り巫女なんです!ミコって呼んでください」


「ああ、どうもご丁寧に。俺は雨字貞彦あめじ さだひこです……じゃない! どうやって入ってきたんだよ!」


「開いてたので入ってきちゃいました」


「はぁ? 鍵締め忘れてたっけ……だからって勝手に入るなよ。警察呼ぶぞ」


「いえ、その。バキバキでしたので」


「バキバキ……?」


「ご覧になります?」


 怪訝けげんな表情の俺にミコが微笑みかける。ミコの後ろを追って玄関へと向かった俺は目を疑った。


 それは玄関と呼ぶよりも洞窟の入り口と言った方がいい有り様だった。戸が内側にひしゃげて倒れている。枠組みにもひびが走り、その衝撃の凄まじさを物語っていた。


 ミコが壊したということはまずありえない。まるで外からどでかい鉄球でも飛んできたかのようだ。


「本当にバッキバキだな!? どうなってんだコレ!?」


「たぶん神さまの力が飛んできたときに入る隙がなかったんじゃないでしょうか。戸締りのし過ぎですね!」


「いや戸締りのし過ぎってなんだよ……ていうかさっきからちょくちょく出てくる神さまって何?」


「え? いや、ほら。サダヒコさまって神さまになったじゃないですか」


「……はい?」


「だから、サダヒコさまは神さまになったんです」


 神さま、神さま……俺が、神さま?


「はぁああああ!?」


 俺は今日一番の絶叫を上げた。



 * * *



「俺が神さまって何? どういうこと!?」


 俺はミコの肩に手をあてて前後に揺らした。玄関が破壊されているだけでも大惨事なのにこれ以上問題を増やして欲しくない。


 取り乱す俺に対して、ミコは頭にはてなを浮かべているような様子だった。


「えー? なんでサダヒコさまがわからないんですか? 親御さんとかから聞いてません?」


「なんっも聞いてない! 説明してくれ!」


 最初こそ疑心暗鬼だったミコも俺が何も知らないと察したようで口元に手を当て、眉根を寄せていた。


「本当に知らないんですか? ええ? それでサダヒコの名を継いでいるなんて……」


「うん? 名を継ぐ?」


 俺が繰り返すと、ミコはコホンと一つ咳をして語り出した。


「サダヒコというのは神さまの名前なんです。雨字家は代々サダヒコの名前を継承して、何かがあったときに神さまの代わりになるお役目なんです」


「初耳なんだけど!?」


 自分の子どもなんてもんつけてくれてんだ親父……いや名付けたのはそう祖父だったか。古臭い名前だとは思っていたがまさかそんないわくつきのものだったとは……。


 いわくつきなんて言ったら罰当たりかと苦笑しつつ、俺はミコのある一言が気になった。


「なぁ、ミコ。何かあったときって言ったよな? 前の神さまはどうしたんだ?」


「……わかりません。神さまが嫌になってやめちゃったのかも?」


「身勝手な話だなぁ……で、何の神さまなの?」


「貧乏神です」


「そりゃやめるわ!」


 本当にいわくつきだった。俺が何をしたって言うんだ……ただでさえ貧乏なのに本当の貧乏神にすることはないだろ……。


「ミコ……神さまってどうやったらやめられるんだ?」


「わからないですよ、私巫女ですし……って、え!? 神さま辞めちゃうんですか!? 神さまですよ、すごいんですよ!?」


「いらないよ玄関ぶち破って入ってくる力とか……そもそも俺普段と何も変わらないんだけど」


「私から見るとすごく神さまですよ!」


「貧乏そうって意味なら喧嘩だぞー」


「サダヒコさまじゃ私に勝てませんよー?」


 なんだこいつ敵か? はは、冗談だろ……冗談だよな?


 ミコの目が笑っていない気がする。俺は冷や汗で更に湿ったパジャマの襟をぱたぱたと仰いだ。ああ、早くシャワーを浴びたい。その後、学校に……学校?


 はっとした俺はリビングへ向かい置き時計を確認する。すぐに着替えて家を出ないといけない時間だった。


「ミコ! 細かい話は帰ってからだ、遅刻する!」


「え? もうそんな時間ですか!? ご飯にラップしておかないと」


「家の食材勝手に使ってないだろうな!? いや今はそんなのはどうだっていい! ドアも放置だ、どうせ取るもんないし……とにかく着替えないと!」


「あ、私も着替えます」


「え?」


 なんで、と聞き返そうと振り返るとミコの履いている袴がすとんと落ちた。あんぐりと口を開けて俺は固まる。上の小袖まで脱ごうとするミコに、おれはあわててその胸元を抑えた。


「何やってんの!?」


「何って……着替えないと学校に行けませんし」


 よく見ればリビングにミコの鞄と制服が置かれている。そのどちらにも俺と同じ艮関うしとらせき高等学校と同じ校章エンブレムが入っている。


「同じ高校の制服……いや待って。ミコ今、何年生?」


「サダヒコさまと同じ一年生です」


 俺は思わず立ち眩みがした。


 嘘だろ……うちに不法侵入したの同級生なの?


「ああ、うん。わかった。わかったけど! とりあえず俺が出てから……ああいや、玄関開きっぱなしなんだった。玄関見張っとくからさっさと着替えてくれ」


「え? 大丈夫ですよ。別にそんな」


「美人の女子高生が外同然の空間で着替えてるんだから大丈夫なわけないだろうが! というか人の家で生着替えするなって話だからな!?」


「そ、そうですか? すいません。すぐ着替えますね」


 俺は光の速さで玄関の前に移動した。壁一枚を挟んだ向こう側で同級生の女の子が着替えている。何だこの状況は。布ずれの音が妙に生々しかった。


 思わず唾を呑む。いかがわしい妄想を振り払うように目を見開くと玄関にキャリーケースが置かれていた。


「ありがとうございます。着替え終わりました」


「なぁ、ミコ。この荷物なんだ?」


 ああ、とミコはなんてことのないように言った。


「私、今日からここに住みますので」

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