第3話 委員長には敵わない

 ホームルームが終わり、俺は教室の机に突っ伏して沈んでいた。

 さっきの女子の胸にダイブ事件はクラス中に広まっている。ミコが余計なことを言ったせいで事故から事案に変わっていた。

 いや、変態していたとでも言おうか。ヘンタイだけに。ははは。どうした? 笑えよ。


「おはよ。朝からヘン……大変だね。サダヒコ」

「おはよう……言い直せてねーよ委員長」

「そうだね。ヘンタイ」

「言えって意味じゃねぇ!?」


 俺がばっと顔を上げるとクラス委員長、晴川香織はるかわ かおりが見下ろしていた。

 赤みのある茶髪をおさげにまとめ、指先で遊んでいる。髪質のせいで若干チャラいが服装はきっちりしている。スカートは膝下三センチだ。釣り目のせいでいつも怒っているみたいだが実はそんなことはない。本当に怖いのは無表情で冷ややかな視線を向けられられることだ。こんな風にな。

 はは、背筋が凍りそうだ。自分の顔が引きつっているのがよくわかる。


「キミの尻拭いは私の役目だけど、今回ばかりは庇えないよ?」

「いや、あの、その。委員長にはいつも申し訳ないと思ってるけどさ。ほんとに事故なんだって」

「はぁ……知ってるよ。キミなんだかんだで真面目だし。相手の女の子にちゃんと謝ったの?」


 委員長はしゃがんで机に肘を置いた。頬杖を付くと顔を覗き込んでくる。

 俺は視線を逸らした。


「謝った、はず」

「だーめ。ちゃんと謝るの」

「いやでも、ミコだって悪いし……」

「往生際が悪いんだから。て、ミコ? あれ? 知り合い?」


 俺はばっと口を塞ぐ。なんで俺の口はこんなに滑るんだ。ワックスでも塗ってあんのか。

 もし委員長がミコがうちの家に住み込もうとしているなんて知ったら大惨事になるだろう。間違いなく俺は叱られる。そうなったら俺は泣く。確実に。畜生、俺悪くないのに。


「け、今朝知り合ったんだ」

「サダヒコが? 私とまめちゃんぐらいしか女の子と話したことないのに? 名前呼びなのも変だよね」

「そういうことだってあるだろ」

「ないよ。キミに限って絶対に」


 委員長の視線がどんどん冷たくなっていく。ツララの先端で背中をなぞられている気分だ。少しでも答えを間違えたら貫かれてしまう。俺は何を言えばいいんだ。言葉が出ない。


「ま、いいよ。聞かないであげる。ミコちゃんだっけ? 直接聞くから」


 お? 死刑判決かな?

 いや、ふざけている場合じゃない。ミコに好き勝手させたらどんな悲劇が起こるか予測不可能だ。あることないこと言いふらすに決まっている。少なくとも俺の学生生活は終わりだ。

 俺は衝動的に委員長の肩を掴んだ。


「それだけはやめてくれ! 頼むから!」

「ひゃ!? ちょ、ちょっといきなりどうしたの」

「ミコから話を聞くのだけはどうか、どうか勘弁してください……」

「どうしたのよ本当に。も、もしかしてミコちゃんのことが好きとか」


 ぷつん。


 何かが切れた音がした。

 今、俺が、誰のせいで、こんな目に合ってると思ってんだ。勝手に家に入ってきて飯作って住み込もうって奴が好きか、だぁ……?


「んなわけあるか! ミコより委員長の方が好きだよ!!」

「うぇ!?」


 ……あ。


 いつもは騒がしい教室が静まり返っていた。顔を真っ赤にした委員長に対して俺の顔はみるみる血の気が引いて青ざめていく。


「ま、待て! これはち――!」


 違うんだ。立ち上がってそう言おうとした。だが俺の視線は天井を向いている。


 あれ、なんでだ……ああ、椅子か。椅子に足を引っ掛けたのか。

 判断が遅れた。勢いよく立ち上がろうとしたせいだ。受け身も間に合わず俺は頭から転倒した。


「――がっはぁ!?」

「サダヒコ!?」


 鈍い衝撃が体を駆ける。ぐわんぐわんと視界が回っていた。気持ち悪くて目を閉じると大丈夫と声が聞こえる。

 目を開けると委員長の顔が近かった。


 ……あれ? 委員長ってこんなかわいかったか……?

 不意にそんなことを思いながら俺は意識を手放した。



 * * * * * *



 寝息と右のわき腹に感じるぬくもりで目を覚ました。白い天井をぼーっと眺める。ぐいと頭を押し込むと柔らかいクッションのようなものに押し返される。これは枕か。体にはかけ布団がかけられている。

 消毒液の匂い……ああ、保健室か。ようやく脳が冴えてきた。そうだ。俺は教室で頭から転んだんだった。横にいるのは誰だ。


「……げ」


 上半身を起こして視線を向けた先にいたのはミコだった。隣の椅子に腰かけて布団に伏せている。前科が多いのでつい引いてしまった。


「いや、失礼か。看病してくれてたっぽいし」


 額に触れると絞ったタオルが置かれている。まだ少しだけひんやりしていて、定期的に取り換えていてくれたことがわかった。タオルを手に取ってぼんやりと眺める。


 ミコは一体何者なんだろうか。巫女だからって手を尽くし過ぎだ。神さまになったと言われても俺には実感がない。そもそも貧乏神だ。福の神ならまだしも俺にそんなことをする必要がどこにある。


「んん……」


 起こすのも悪い。俺は再び寝転がった。

 もう体調は回復しているけど、今更授業に戻るのも面倒だ。今何時か分からないが昼休みまでは粘らせてもらおう。


「おか、あさん……」


 ミコが呟いた。おかあさんと確かにそう言った。置いて行かれた子どものような声だった。


「……ミコにも色々あるんだろうな」


 目を閉じて寝ようとしたとき、布団を囲んでいたカーテンがばっと開かれた。


「だいじょぶサダコ!」


 この声。誰かと思ったら、まめか……。保健室の先生かと思った。俺は寝たふりを継続する。ミコは驚いて「うひゃぁ」と素っ頓狂な声を上げていた。


「……あらら? みい子ちゃん? どうしてここに?」

「ま、まめさん。私はサダヒコさまの看病を。巫女なので」


 また巫女って言ってるよ……あれも禁止しないとな。

 油断していた俺の耳にもう一つ声が飛び込んできた。


「あれ? まめちゃん、誰かいるの?」


 委員長の声だ!?


「うん! みい子ちゃんだよ。サダコの部活仲間の!」

「へぇ、そうなんだ。みい子さん、初めまして。晴川香織です。サダヒコのクラスの委員長をやってるの」


 ……お? みい子がミコって気づいてない? よし、このまま気づかないまま――。


「……そうなんですね。初めまして、あらためまして神宮みい子です。サダヒコさまの巫女をやらせてもらってます」


 ――うん……知ってた。知ってたよ……。

 胃がきりきりと痛みだす。三人に気付かれないでこの場を逃げ出せたらなぁ……。


「巫女……みい子……あなたがサダヒコの言ってたミコちゃんか!」


 気付くのがはやい。はやいって。委員長はやすぎるって!


「サダヒコさまが何か言ってたんですか?」

「何か言ってたわけじゃないよ。ちょっと困ってたからほどほどにね」

「えーそんなー私とサダヒコさまの仲なのにー」


 起きればよかった……案の定ミコが変なこと言い出した。今からでも遅くないかとも感じるけど、目を開けるのが怖い……。


「今朝あったばかりの仲でしょ。そんな言い方駄目だよ」

「サダヒコさまが言ったんですか……!? 驚きました。まめさん以外にも友達いたんですね」


 おう、待てコラ。どういう意味だそれは。


「そうだよ。お友達……今はまだ」

「え? かおりちゃん。今はまだって?」

「まめちゃんは知らなくていーの」


 背中がむず痒い。くそ、こんな会話聞こえる場所でしないでくれ。


「な……! ふ、ふーん! 別にいいですけどね! 私はサダヒコさまと同じ家に住むんですから!」

「ちょ、おま!」


 あ、と俺は口に手を塞いだ。……気づいてない。誰も気づいてない……!

 おそるおそる目を開ける。目の前には委員長の顔があった。


「……おはよ? サダヒコ。ちょーと聞きたいことあるんだぁ?」

「は、あはは……」


 どうやら背中にツララを突き立てられていたままだったらしい……。

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