びんぼー神にゃもったいない!

蒼瀬矢森(あおせやもり)

第一章 なりたて貧乏神編

巫女のおしかけ編

第1話 おしかけ巫女は突然に

 トントントン。リズミカルな音が聞こえて目を覚ました。穴の開いたカーテンから陽光が漏れている。目覚まし時計を手に取るが、まだアラームが鳴り出す前だった。

 ベットから出ようとして足を滑らせ、俺は床に背中から落下した。

 ――ああ、またやった。

 何事もなかったかのように立ち上がる。制服に着替えている途中、先ほどの音が気になって耳を澄ませてみた。


「聞こえない……さっきの音は夢かな」


 当然だ。音が聞こえてくるはずがない。あったとしても外から聞こえてきた音だ。部屋から出て階段を降り、洗面所へと向かう。顔を洗っていると違和感を覚えた。すんすんと匂いを嗅ぐ。


「いい匂い……隣の家か? いいなぁ」


 羨ましい、とため息をつく。俺は一人、朝は食パンと牛乳だけ。朝から温かい汁物なんて贅沢だ。洗面台の罅のはいった鏡を撫でる。そこには冴えない眼鏡の男が映っていた。

 朝から陰鬱な気分でリビングに向かい――俺は固まった。


「おはようございます、 神さま!」


 そこには見知らぬ少女がいた。

 長い艶やかな黒髪を後ろに一本束ねて垂らした女の子。同い年くらいに見える。白い肌と黒髪の対比が綺麗で笑顔が眩しい。服装は白い小袖に紅い袴の巫女装束で、机に食膳を並べていた。

 息を呑むような美少女、だが俺は実家に一人暮らし。こんな人がいるはずがない。


「な、なんだお前、 どうやって家に入った!?」

「自己紹介がまだでした。はじめまして! 私、神宮じんぐうみい子です。見ての通り巫女なんです。そのままミコって呼んでください」

「ああ、そうなの。おれ貞彦さだひこ、よろしく……じゃない! どうやって家に入ったんだよ!」

「開いてたのでお邪魔しちゃいました」

「はぁ? そんなわけ――」


 視線を玄関に移すとなんと扉がバッキバキに壊れていた。内側に扉がひしゃげて倒れている。古い日本家屋の引き戸だからといって、どうやったらこんな破壊ができるのだろう。まるで外から鉄球でも飛んできたかのような壊れ方だった。


「ありすぎるだろ何だコレ!?」

「神さまの力が飛び込んできたんですよ。どこも戸が開いてないから入り口がなかったのかな? 戸締りしすぎですね!」

「戸締りのしすぎってなんだよ……あとさっきからちょくちょく出てくる神さまって何?」


 俺の質問にミコがぱちぱちとまばたきをした。何を言ってるのかわからないと首を傾げている。


「ほら。サダヒコさまって神さまになったんじゃないですか」

「……はい?」

「だから、サダヒコさまは神さまになったんです」


 今度は俺がまばたきをしていた。


 神さま……神さま……俺が、神さま?


「はぁあああああ!?」


 今日一番の絶叫が響き渡った。



 * * * * * *



「俺が神さまって何、どういうこと!?」


 俺はミコの肩を掴んで前後に揺さぶった。


「えーなんでサダヒコさまが知らないんですかー。親御さんから聞いてないんですかー?」

「聞くも何も、知らないんだよ全く!」


 はっと女の子の肩を摑んでいたことに気づき、俺は慌てて手を離す。


 乱暴は駄目だ。たとえ相手が不法侵入者だからって……あれ? ならよくないか? 文句の言われようなくないか? ……いやいやいや駄目だ。どんな状況でも男が手を出したら負けなんだ。そうだ。世の中腐ってるんだ……。


「はぁ。わかりました、説明します……とりあえず冷めちゃうので先にご飯にしましょ!」

「ミコが飯作ってるのも意味わかんないんだけど……」

「巫女が神さまの御膳を用意するのは当然じゃないですか」

「当然かなぁ……?」


 言われるままに食卓に座る。用意されていた料理は雑煮だった。かつお節と昆布の香りを混ぜこんだ湯気が立ちのぼり、俺は思わず唾を呑む。


 ……でもこれ食べて大丈夫かなぁ? ミコの話には確証がないし。でも何か悪いことするつもりなら、寝てる間にいくらでもできたはずだしなぁ。


 意を決して俺は雑煮を口に運ぶ。


「う、うまい」


 薄味なのに物足りなさがない。餅で腹が膨れるし、大根もにんじんもよく煮えている。俺はあっという間に器を空にしてしまった。


 なんだ、これなら文句なしだ。強いて文句を言うなら勝手に冷蔵庫の食材使ったことだけだ。ちくしょう、ふんだんに使いやがって。


「えへへ。そうでしょー。料理得意なんですよ。 おかわりしますか?」

「い、いや。大丈夫……ンン。で、どうして俺が神さまになったの」


 そんなにがっついていたのか。ずっと見られていたらしい。

 なんだか照れくさくて咳をして誤魔化した。ミコは口を抑えてもぐもぐと咀嚼して飲み込んでから口を開く。


「サダヒコさまが神さまになったのは、神さまがいなくなちゃったからです」

「いなくなったて。そこからどうやったらおれが神さまになるんだよ。そんな要素ないだろ」

「サダヒコさまのお家……雨字あめじ家は神さまと同じ名前を代々受け継ぐんです。神さまに何かあったときに代わりに神さまになるお役目なんです」

「聞いてないんだけど!?」


 周りと比べて名前が古いなぁとは思ってたけど、そりゃないだろ。せめて教えといてくれよ親父……。いや、まだだ。まだ聞くことがある。


「そもそもどうして神さまいなくなっちゃったんだよ」

「……わかりません。嫌になってやめちゃったのかも?」

「身勝手な話だなぁ。ちなみに何の神様なの」

「貧乏神ですよ」

「そりゃやめるわ!」


 今日は一体、何回叫ばないといけないんだろう。ちょっとワクワクしていた自分の頭をぶっ叩きたい。

 他にも色々いるだろうに、なんでよりにもよって貧乏神なんだよ。


「どうやったらやめられるんだ神さまって」

「わかんないです私巫女ですし……え、やめちゃうんですか!? 神さまですよ!? すごいんですよ!?」

「いらないよ玄関ぶっ壊して入ってくるパワーとか……そもそも俺普段と何も変わらないんだけど」


 自分の筋肉とか触ってみるが変化を感じられない。

 あの破壊パワーとか入ってたなら筋骨隆々の世紀末覇者みたいになってそうなもんだけどな。


「大丈夫です! 私から見ると神さまって感じですよ!」

「貧乏そうって意味なら喧嘩だぞー」

「サダヒコさまじゃ私に勝てませんよー」


 なんだこいつ敵か? はは、冗談だろ。……冗談だよな?

 巫女の目が笑ってない気がしたが、俺は努めて無視する。ふと時間が気になって時計を見ると普段家を出ている時間はとっくに過ぎていた。


「まずい遅刻する!」

「あ、待ってください。着替えますから!」

「え……?」


 なんで。そう口にしようとしたとき、ミコの袴がすとんと地面に落ちた。あんぐりと口を開けて俺は静止する。そのまま小袖を脱ぎ始めたので、慌ててその胸元を開かないように掴んだ。


「何やってんの!?」

「何って……着替えないと学校に行けませんし……」


 よく部屋を見れば彼女の鞄が置かれていた。そのバックは自分と同じもの。チャックが開いており、中には畳まれた制服が見えた。


「同じ高校の制服……いや待って。ミコって何年生?」

「サダヒコさまと同じ一年生です」


 くらりと立ち眩みがした。マジかよ。うちに不法侵入したの同級生なの……?


「ああ、うん。わかった。わかったけど目に毒だからどこか別の……いや、俺部屋出るから!」


 廊下で待っている間、心臓がバクバクとなっていた。

 床に服が落ちる音が生々しい。壁一つ向こうで着替えているというのがはっきりわかってしまう。考えてみれば女の子を家に上げたのも初めての経験なのに。


「お待たせしましたサダヒコさま!」

「あ、ああ。玄関気をつけてな。どうしようかなコレ……」

「うちのおじいちゃんに連絡してありますから帰ったころには新しくなってますよ」

「助かる……! ありがとう。ん? なんか玄関にキャリーケースあるんだけど?」


 ああ、とミコはなんてことのないように言った。


「私、今日からここに住みますので」

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