18.ここにいるオワカネ・ヤングツキとは異なるあなたの人生の物語

 メシ行こうぜ、と同じ軽率さで、いっしょにこの惑星を救わねえ?、と勧誘する目の前の天然ジゴロに対して、ギョッとしたような表情を向けるでもなく、オワカネは冷静に応じた。


 ヤ、ちがう。


 必死に冷静さをよそおっているだけだ。

 ここは本来、桶の中で酢飯を作るときのように豪快に混ぜっかえすところだ。平時のオワカネならきっとそうした。それができないのは、べつのところに感情のリソースを割りあてているからだ。


「ひとっつ確認させてほしいんだが、おれはおまえの旅に、その、つまり、これから始まるやつじゃなくて、最初の旅にどこまでつきあったんだ?」


「だから何度もいってるじゃねえか。最後までえ!」


「だよな」


「よくもまあ厭きもせず似たようなことをくりかえし聞くもんだね。耄碌するにはまだ早いんじゃないかな、アニキ?」


「ヤメロ。おまえの話でいけば、いまのおいらよりここにいるおまえは年上のはずだろう。年長者に兄貴呼ばわりされても、皮肉にしか聞こえねえ」


「これは関係性の話だよ。だから年下の兄がいたってぜんぜん不思議じゃないのさ」


「まったく、勇者はなんでもありか?」


「それにドーナツの穴以外の部分はそのまんまなんだから、ハタから見れば何もおかしなところはない」


「もういい。おまえのしち面倒くさい存在論的問題にまで、ここで立ちいりたいとは思わねえよ」


「そうだね。いま話さなきゃならないのはべつの問題だ、おれのじゃなく」


「べつの問題、ねえ。つまりてめえは、自分だけじゃなく、このおれさまにも何か問題がある、って、そおおっしゃるわけですかい?」


 ダメだろ。笑いスマイルが完全に引き攣ってるぜ、兄貴。


 沈黙をもって応えると、やがてオワカネは細くてながい、希望という名のクモの糸を吐きだすかのような呼吸をした。


「よーするに、おれはしくじった、ってこった」


「それは何を目指していたのかによる。正直いって、ウィネトカでおれに声をかけてきた時点のあんたが、どこまで未来を見越していたのか、おれにはわからない。けど、まさか幼なじみが魔王の許までたどりつくとは思ってなかったんじゃないの?」


 本人がくわしく解説しようと口を開くのを制して、おれは続ける。


「おれにいわせれば彼は巧くやったよ、実にね。世間知らずの勇者はもちろん、あんたに命令を下して甘い汁の上ずみだけをこっそりとちょうだいする気まんまんだったシケた盗賊団のお頭をだしぬき、あまつさえ莫大な金銀財宝を蓄える国家の金庫にすら無視しがたいダメージを与える大物プロデユーサーにまで成りあがっちまったんだもん。まさしく業界のフィクサー。しょせんは王の幇間たいこもちにすぎないブロなんとかさんなんか目じゃねえぜ!」


「なんの話だ」


「ここじゃない未来の、ここにいるオワカネ・ヤングツキとは異なるあなたの人生の物語さ」


「おれが? あの男を? だしぬく」


 にわかに落ち着きを失うオワカネ。左右のてのひらを口のまわりまで持っていき、けれどもその置き場に困り、ふるえる脣を蔽う、というより拭うみたいに小刻みに動かしながら、せわしなく視線をさまよわせる。まるですぐ傍であの男、とやらが聞き耳をたてていて、この会話が筒ぬけになっているかのようなあわてよう。幼い頃、ヒーローと仰ぎ見ていた人物のこのような凋落を目のあたりにさせられるのは、人生の最も辛い瞬間だ。


「ごめん。そこまであの団長を怖れていたとは知らなかった」


「怖れてる? お怖れてねえよ!」


 おれにとって、その男はよくある障害のひとつにすぎなかった。


 よくよく振りかえってみれば、Pにけしかけられていたことが明らかになるわけで、必ずしも勇者がその手で排除しなければならない脅威でもなかった。魔王を倒す旅の途中、主に路銀を捻出する目的で、懸賞金めあてにその土地土地の悪の組織をいくつか潰滅させたものだけど、これもそんなエピソードのひとつだ。

 とくにてこずったという記憶はないし、はっきりいって名前も憶えちゃいない。


「うん、そういう意味でもやっぱり彼は成功したんだろうよ。親友の手を借りて、みごとにトラウマを克服したってことになるわけだし」


「間違ったやりかたで、だろ?」


「勇者はね、利用されてなんぼなところがあるからネ」


「おまえの口からそんなせりふを聞かされるたあナ。昔のおまえを知ってる身としては、ちょっちカナシイ」


 オワカネのすわった目の底に、わずかに正気が戻る。


「何ごとも程度の問題さ。ご利用は計画的に、だよ? こっちの意味ではわれらがPも蹉跌を味わうことになった。おれは彼ほど逃げ足に優るやつを知らない、その彼ですら金と権力の誘惑からは逃れられなかった、完全に引きどころを見誤った。結果、ありふれた陥穽わなに引っかかって、どぼん!、てわけですよ。おかげでこちとらの評判もガタガタのガタ。テクニカルな要因とはまったく無関係に、危うく勇者候補の資格を剥奪されちまうところでしたぜ」


 おれにとってはすでに笑い話に分類されている未来なので、ここで披露する笑いにはいっさいの皮肉アイロニーもない。


「わからねえな」


「何が?」


「ふたっつある。ひとつは――そうだな、感情的な話はあとまわしにすっか――法的なことだ。とどのつまりは、おれはおまえの目を盗んで、賄賂を受けとったり、実体のない斡旋料をせしめたりしていたわけだろ」


「あんたじゃない。ここにいるあんたがまだ起こってないし、もはや起こりようもない未来に関して、責任みたいなものを懐くのは純粋に間違ってる」


「黙らっしゃい。おれの話を聞いてろよ。感情的な話はあとでするっつったろ。不正な金銭授受をくりかえして感覚の麻痺したどっかのおれさまは、行き着くところまで行っちまい、しまいには国家を相手に一大詐欺を企てた。ああ、そうだ、おまえが勇者としてすくすく成長すればするだけ、おれの取引相手もでかくなってくって寸法だからナ。そりゃもっともななりゆきだろーさ」


「おれのせいだっていいたいの?」


「勇者はマヌケなままであっちゃいけねえとは思うよ。腕っぷしだけ成長されてもな」


「ずいぶんと調子が戻ってきたじゃないか。さっきはぶるぶるふるえてたくせに」


「いまだってふるえてら。このおれが、殿さまやお大臣を相手に大金巻きあげたなんてハナシを聞かされたら、背筋がぞくぞくしてこようってもんじゃねーかッ。で、どうしておれは生きている? ヤ、おれじゃねえんだ、おまえの見てきた未来のそいつは、なんで斬首や投獄をまぬかれた?」


「勇者の権能は国境を越える」


 ブロブディナン氏のことばを借りればそういうことになるだろう。


「あ?」


「厳密に考えれば、彼は絶賛(誤用です)お尋ね者のままだ。何ひとつ罪をまぬかれていない。当該国に一歩足を踏みいれれば、その場でお縄につくことになると思う」


 そういう意味でいえば、いちおう国外追放の罰を受けていることになる。


「じゃあ何か、かつての未来の勇者サマはそんな詐欺師を片腕にしてたってのか?」


「ただの詐欺師じゃない。彼に騙されたのは一国にとどまらないからなあ。まさに大陸を股にかけた、当代でも指折りの国際的な大悪党! 魔王を倒す勇者のパーティーの一員なら、せめてそんくらいじゃないと困る、でしょ?」


 おれのどヘタクソなウインクに、オワカネは髪を掻き毟って絶叫する。


「わあった! わあった! 英雄が法に縛られないのなんて、古今東西よくある話だ。おれたちがこの街の外にでるためにむさぼるように読みあさった本の中にも腐るほど溢れかえってたよなッ。よろしい! お堅え法のハナシは置いとこうじゃねえか」


「うん。じゃあふたっつめだ。確か、感情的な話、だっけ?」


 バチッ、と脱いでる最中の真冬のウールのセーターがスパークするように、オワカネの目に紫電が宿る。


「なんでおれを切り棄てなかった。おれがおまえならそうするぞ」

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