過去。はじまりと出会い
エリクが王都にやってきたのは十五歳の頃、ちょうど兄が妻を娶った時期だ。
早くから志していたというのもあって、正式に騎士を目指すことに決めたのだ。
激励と少しの涙。慣れ親しんだ人々に温かく見送られ、故郷から遠く離れた王都までの道中は胸が躍った。夢への第一歩を踏みだした期待は王都に足を踏み入れ最高潮に達したほどだ。
騎士団に入って一年間、訓練に明け暮れた。自己の鍛錬はしてきたが、どれも想像を絶する訓練ばかりで最初は朝から晩までへとへとだった。
戦い方だけでなく、騎士としての振るまい方等々学ぶことは多々あった。辞めていく者もいたし厳しく辛いこともあり、エリクは充実していた。
「なぁ、エリク。今度の夜会、お前どこに配置された?」
夕食と入浴は終わっていて、もうすぐ就寝の時刻だ。ベッドの上で仰向けに寝転がりながらアランがぼやいた。
隊舎には居住スペースがあり独身、そして新入りの騎士見習いが暮らしている。役職に付いている者は個室が与えられるがそうでなければ基本複数で暮らす。元来から明るく口達者なのか、誰とも打ち解けられたアランだが、同室であるエリクに対して特に親しげだ。
「大広間だったかな」
「はあ~~~~、羨ましい。一番良いところじゃねぇか」
年に四回、国王主催で開かれる夜会は大規模な社交の場だ。王都のみならず各地にいる貴族も招待される。訓練期間を半分終えたエリク達も夜会の警備を一部担うことになっていた。
アランの発言の真意を察したエリクは眉を潜める。あわよくば、ご令嬢とお近づきになれるだろうという邪な考えが見えたのだ。
「俺達みたいな見習いが行っても相手にされないんじゃないか」
「馬っ鹿、お前。なにも最初から恋人ができるなんておもっちゃいねぇよ。俺達だって騎士になればそれなりに機会が増えるだろ。そのときに備えておくのも大切だろ」
貴族にとって社交界というのは重要な意味を持っている。親交を結び、人脈を広げる。そして伴侶を探すことが大半の目的だ。特に貴族の次男、三男で爵位を正式に持っていない騎士にとっても、出会いを求める大切な機会なのだ。
エリクとて、年頃の男だ。それなりに女性との交際に興味はあるし憧れもある。だが、まだ半人前だという自覚はあるしなにより任務で行くのだ。
それに定められている刻限までに隊舎へ帰らず、翌日に厳しい罰則を受けている同輩達はそこかしこで目撃している。とてもじゃないが、アランのように現を抜かす気分にはなれない。
「お堅いねぇ。あ、わかった。お前ダンスや女性の口説き方自信ないのか? ダンスの手ほどきでもしてやろうか? ん?」
「やめろ気色悪い」
立ち上がり、大袈裟な動きでステップを踏みながらクルクルと回転しながら、しなだれかかってくるアランを払い除けようとする。
「ん? なんだこれ」
ダンスに誘っているつもりなのか、しつこく誘ってくるアランだが、エリクの手元からなにかをひょいっと奪い、そのまま読みこんでいく。
「おいこら!」
「なんだしっかり相手いたのかよ」
アランが持っているのは、エリクが受け取り、そして差出人に返事を認めようとしていた手紙だ。定期的に家族達とやりとりをしているが、今は運が悪かった。
「ま、りー? なんだ、許嫁か? しかし、汚いなこの字。子供みたいだ」
「まだ! 十歳! だからな!」
「なに!? そんな小さい子を!?」
「だから違う! 返せ!」
「なんだお前、それじゃあ社交界なんて興味なくて当然だわな!? けど、お前それ犯罪・・・・・・・・・・」
「斬るぞお前!」
暫く手紙を取り合い、喧嘩する猫のような様相を呈した。しかもその最中、からかい混じりなアランの誤解がエリクの勘気に触れる。
このときはまだ、やり過ごすということも大人としての適度な距離感もわからない。傍目から見れば仲が良い風にしか映らないじゃれ合いを無意識にしてしまうくらい若かった。
「はあ? 乳母の娘?」
「ああ、産まれたときから実家で暮らして共に育った。妹みたいな子だ」
先輩の隊員に怒鳴り込まれてから落ち着きを取り戻し、ようやく誤解を解く流れとなった。
家族とともに同年代のサム、サムの母親、そして最近使用人として働くようになったマリーからも来るようになったということを。
最近使用人として本格的に働きはじめたという報告。そしてエリクを心配している内容の質問。身内や家族の状況。仕事の合間に読み書きの練習をしているからか、たしかに達筆とは言い難い。だが、なんとも例えられない感傷満ちた手紙だ。
旅立つときに泣きながら腰にしがみついていた、まだ記憶に新しいマリー。そんな彼女の微笑ましい成長を感じて、エリク自身への励みにも繋がる。
「へ~~。慕われてるんだな~~~。んで? なんて返すんだ?」
「別に。訓練のこととか王都の様子とか」
「つまんね」
「他になにを書けっていうんだ」
「ん? マリーって子が恋しいとか会いたいとか」
「なんでだよ!」
「だって妹みたいな子なんだろ? だったらそれくらいいいじゃん」
「実家にいたときからそんなん言ったことねぇのに今言ったらおかしいだろうが!」
「あっはっはっはっは! なんだよおい昔からお堅いのかよ!」
「喧嘩売ってるのか?」
「まあお前はそのほうがらしいけどさ。わざわざ手紙書くってことはお前が心配なんじゃね? だからそうしたほうが安心するし、嬉しいんじゃねぇの?」
ぐっと黙りこんでしまい、そのまま無視をして机に向き直る。
だが、アランの言葉に悩み、悩みに悩み。マリーや懐かしい面々を思い浮かべ。
愛をこめて、と結びの言葉を書いた。
「もう寝るぞ」
「あ、なあエリク」
「ん?」
手紙をしまって蝋燭を吹き消す。寝具へと異動して寝入ろうとしている間際。
「そのマリーって子、可愛い?」
「お前な~~~~~~!?」
それから数日後、エリク達は予定通り夜会の警備に就いた。
初めての王宮は眩むほど眩く、招かれた貴族達の優雅さに目を奪われる程絢爛だった。緊張と落ち着きのなさは波のように訪れ、その度にエリクは襟と姿勢を正す。
正式な騎士ではないエリク達は、通常の騎士達と比べてやるべきことが少ない。それでも事前に通達されていたとおり、先輩と共に行動する。なんとか付いていくので精一杯だ。
休息をとれる時間になり、まず水を飲んだ。いつもより緊張でカラカラに乾いていた喉が潤い、生きた心地を取り戻す。料理の残りなのか、普段よりも豪華な食事を詰め所でかっこむ。
「今のうちに休んでおけよ。今日はシャルロット王女の社交界デビューだからな。いつもより長くかかるだろう」
「王女って、たしかまだ九歳ですよね?」
「ああ。だが、陛下はもっと早く社交界に出したかったらしい。亡き王妃の忘れ形見だからな。だからこそ愛おしくて皆に自慢したくて見せたくて仕方ないんだろう」
そんな会話をしていると、話題は結婚や恋愛、そして夜会での体験をエリク達に教えてくれた。
父親の知り合いや声を掛けやすそうな令嬢と会話をする。ダンスもする。少し親しくなる。だが、付添人が生活環境や境遇の話をするとそのまま交流はぱったり。それっきりだ。
結婚は家同士の繋がり、家格、身分。そして財産が大きく影響する。騎士の給料はささやかなものだし、大半が大きな財産分与もない。恋人になる前段階でそういった事情から判断されるのだ。
「お前達も来年になれば、夜会や社交界の招待が増えるだろう。だが、あまり夢を見るなよ」
訓示めいたことを告げる先輩の顔は、少しこわかった。しかも結婚できなければできないで出世や評判にも関わると。
そんな話を聞いていれば、賢くないエリクも悟ることができた。
(現実は本のように甘くはないんだ)
休憩を終え、疲労とは別にげんなりとなりながら配置場所に戻る途中、そのとき回廊にぽつんと何かが落ちているのに気づいた。
香水だ。ここに来る途中、誰かとすれ違ったからその人が落としたのかもしれない。振り返るとちょうど擦れ違った誰かが曲がり角に消えていく。
まだ追いかければ渡せる。少し迷ったが、まだ若いエリクは正義感から無視することができなかった。先輩に言づてて走った。
バルコニーに当たる場所に差し掛かり男女の諍いが耳に入った。そのまま窺うと探していた女性だった。
「あの、おやめください」
「いいではないか。ここにいたら風邪を引いてしまうよ。休むのだったらもっと良い場所がある」
酔っているのか、男のほうはしつこく食い下がっている。肩を抱かれそうになり、そのまま端のほうへと逃げる素振り、だがまるで追い詰めるのを愉しんでいるようだ。いてもたってもいられなくなり、エリクは飛びこんだ。
「父がここで仕事をしているからね。そこなら誰にも見つからないよ小鳥ちゃん」
「おい」
「った!? な、なんだお前!」
「お前こそなにをしている。どう見ても嫌がっているぞ」
「なにを言っているんだ? 彼女はただ恥じらっているだけさ。例え嫌がっているとしても、関係ないだろう」
「関係なくない」
「はあ?」
「俺は今日、ここの警備に就いている。不埒な輩は見逃せない」
「失礼な! 不埒だと!?」
「例えば、王宮の一角で淫らな行為に及ぼうとしていることが知られたら」
「っ」
「例えどんな家の奴でも罰せられるだろう」
「お、お前・・・・・・・・・・!」
忌々しげに睨み、エリクと女性を交互に見ると鼻を鳴らす。尊大な態度な持ち主なのだろうと、不快感が芽生えた。
「失礼致しました」
「いえ、ありがとうございます。助かりました。少し外の空気が吸いたくなりまして。でも、あの御方がいて」
「災難でしたね」
「ええ、ですが本当に・・・・・・・・・・」
同じ年齢なのだろうか。女性と呼ぶよりも少女と呼んだほうがふさわしい。子供から大人への成長過程にあるのか。大人っぽい立ち振る舞い、所作に隠れてどこか幼さを感じる。
緑色のドレスと艶々しい茶色い髪の毛が実によく合っていて、派手さはないが落ち着いていて慎ましさすら覚える。小さくて赤みがかった小さい目は兎を連想させる。
「実は、貴方を追いかけてきたので。ちょうどよかったです」
「はい?」
「こちらはあなたの落とした物ではないでしょうか?」
「あ、たしかに私のです。だけど、わざわざ?」
「ええ」
「・・・・・・・・・・」
「?」
「・・・・・・・・・・あの、もし? もしもですよ?」
「はい」
「もしも私のではなかったらどうされていたのですか?」
「え?」
「誰か別の人のだったら、どうされていたのでしょうか?」
「・・・・・・・・・・」
「それに、従者や王宮の人に預けることもできたのではないでしょうか」
「・・・・・・・・・・そこまで考えておりませんでした」
指摘されてみて、初めてそういう可能性もあったのだと思い至った。そしてもしもそうだったら、というのを想定して考えこんでしまう。
「ふふ、」
そのまま吹き出した。控えめで口を隠しているが、全身のあちこちに面白いという感情が表れている。自分のおかしさに笑ったのだと、遅れて恥ずかしさが芽生えた。
「真面目な騎士様なのですね」
「まだ騎士見習いですが」
「・・・・・・・ふふ。では、騎士見習い様。お名前を伺っても?」
目尻の涙を拭い取っている女性に、しかし礼を失してはいけないと改めて向き直り、名乗った。
「エレオノーラ・エヴィンジュと申します」
身内以外で接する、初めての女性だった。いわばエリクの生きていた世界にはこれまでいなかった存在。
品格、上品さ、ただ学んだだけでは身につけられない育ちの良さ。それらだけでなく、目につき気がつくこと一切。エレオノーラを形作っているすべてがエリクには未知なるものだった。
母とも乳母ともマリーとも、これまで出会った人々とはかけ離れた存在だ。まともでいられるわけがない。
恋愛経験すらもないエリクには気の利いた台詞一つ告げる術もなく、エレオノーラから目を逸らしたいのに逸らせないというジレンマに陥り。燃え滾るような緊張を味わい。
「~~~~~!」
そして心の中で蕾がゆっくり開き、花弁が開いて咲き誇っていくような不思議な感情に浸る。好んで読む本の物語、登場人物を頭の中で思い描いて愉しんでいるような昂揚感に似ているが。
どうしてこうなっているのかもわからず、己の役目も忘れてエレオノーラに見惚れた。
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