土砂降り。マリーとエリク

 ディアンヌ邸は大騒ぎになった。


 エリクが突如として倒れ、意識を失ったまま目覚めないのだ。


 ぐっすり眠りにおちていたシャルは、まずジャンヌによって起こされた。寝ぼけ眼を擦り、覚醒しきっていない意識にマリーの動転した叫びが谺していた。


 ただ事ではないと察し寝間着も着替えず雨で濡れることもかまわず彼の元へと赴き、血の気が引いた。ひ、と悲鳴を発しそうになった。


 泥と雨水に塗れながら苦しみ呻いていた。血の気が引いた。すぐに縋りついたが、体がまるで高温で炙られた鉄のような熱を帯びていた。


 どうすればいいかわからず、足がガクガクと震えた。一番落ち着いていたサムが出した指示に我を取り戻し、寝室へと運ぶことになった。大きい体を運ぶのは難儀で、邸内に入れるのも一苦労だった。


 ベッドで寝かせると、シャル達にエリクを見ていてくれと頼んだサムは医者を呼びに行った。エリクは常に汗を搔き続けた。このままでは体中の水分を失ってしまうのではないかという凄まじい量とスピードで。


(死んでしまうっ)


 どうしてこうなったのか、シャルにはわかるはずもない。ただ、エリクがこのまま命を落としてしまう。なのに助けるための知識も経験も自分にはない。危機感と悔しさで涙がとめられず、焦燥感を掻き立てていく。


「シャルロット様、手伝ってください」


 戻ってきたジャンヌは、水差しとコップを持ってきていた。コップの中に突っ込んだハンカチを少しだけ絞るとエリクの口に、歯で噛ませるように入れた。喉が、小さく上下に動きだした。


「こうしておくと、ハンカチに含まれている水が上下の歯に押されて寝ながら水を飲ませることができます。詰まらせることもありませんし」

「な、なるほど・・・・・・」

「もっとタオルが必要なので持ってきます」

「わ、私が持ってきますわっ」


 タオルがしまってある場所は、常日頃働いているシャルが一番把握している。駆け回り、持てるだけの大小様々なタオルを探し回る。


「こ、これくらいでいいかしら、ジャン――――なにをしているんですのおおおおおおお!?」


 戻ると、なんとジャンヌはエリクのシャツを脱がせようとしていた。


「なにって、着替えさせようとしているだけですが」

「な、何故ですの!? キチンとした理由を――――」

「汚れていますし、濡れた状態のままでもよくないのです」

「な、なら私がしますわ!」


 とはいえ、二人がかりでも大変だった。重い身体を起こし倒し少し浮かせ、ぐちょぐちょのシャツとズボンを脱がせるのだ。そのあと、汚れていた全身を綺麗に拭き取り、乾いたタオルで仕上げる。


  下着は・・・・・・・・・どうするかどうか大いに悩んだが手にかけようとしたジャンヌを食い止めた。いくらシャルでも乙女心はまだ存在しているのだ。


 なんとか着替えさせ終わったが、すぐにまた汗が滲みはじめている。エリクの顔中を覆っている毛並みもぺしゃん、と潰れてきている。シャルとジャンヌは中身が真っ黒になっている水桶を新しくするため、タオルを補充するため、そしてエリクの体や顔を濡れたタオルで冷やし、汗を拭うことに終始した。


 本来のシャルなら、エリクの体に触れることを狂喜乱舞しただろう。ちょっとした羞恥に浸りながら、うっとりと触れ続けただろう。無防備な尻尾に抱きつき、頬ずりをしていたかもしれない。


 そんな余裕もなく、ただエリクのためにできることをしようと動き続ける。


 体力が尽きそうになった。一歩立ち止まり息を整えると手に痛みが。女中として働くうちに生じた豆が潰れ、薄らとした血が。振り乱した髪がべっとりと張りつき、寝間着は外に出たとき、エリクを運んだときに濡れ、汚れたままだ。


「ふ、う~~~~~~~ん!!」


 それでも、シャルは動くことをやめない。


 タオルももっと必要かもしれない。衣服も。水を新しくするため何度も往復しなくてはいけないだろう。


 なにもしないではいられない。動かずにはいられないのだ。


「はあはあ、お医者様はまだかしら?」

「この雨ですからね。夜も遅いですし、来てくれないかもしれません」


 看病しているジャンヌの元へ辿りつき、そのまま変わる。エリクの様子を見ながら額で熱をたしかめる。相変わらず熱が引く素振りはない。

 

(苦しそう・・・・・・・・・・)


 一見毛むくじゃらのエリクの表情。それでも側にいて、一緒に暮らす間に感情を読みとれるようになっている。辛そうなエリクに触れていると無力な自分が口惜しくてたまらなくなってくる。


 気づかないままに頬や額に当たる箇所を撫でるように、優しく触れるように擦ってしまう。

 

「でも、どうして旦那様は倒れたのでしょう?」

「風邪・・・・・・・・・・とはおもえませんね。しかしこのような病が流行っているとは聞いたことがありませんし。持病があったとも聞いていません。シャルロット様。帰ってくるときおかしなところはございませんでしたか?」

「おかしなところ・・・・・・・・・・いえ。エドモン様との食事中も美味しそうにお尻尾を振っておられましたし。お酒もそんなに」

「料理はどのような?」


 どうしてそんなことが気になるのだろうとおもったが、シャルは答えた。動転しているシャルと対照的に、ついぞ冷静だったジャンヌはなにを納得したのか。ふむ、と頷いた。


「もしかしたら、そのせいかもしれませんね」

「そのせい?」

「食べた料理に当たってしまったということです。魚介の材料の中には毒を含んでいる物がありますし」

「まあっ。ではエドモン様のせいでエリク様が!?」

「あくまでも可能性の一つです」

「私、許せませんわ! エドモン様の元へいますぐ――――」


 パシン!


「きゃうっ」


「私一人にエリク様の看病を任せるのですか? それに、ご自分の立場をお忘れですか?」


 シャルロットが王女であることを隠している。今まで正体を知られることはなかったとはいえ、外から来た人間がシャルロットを見て王女だと気づくのではないか。そして財務大臣や刺客に伝わり、居場所がバレないか。


 そんなことさえも、シャルロットは度外視している。


「う、うう?」


(まったく。恋は盲目というのはこのことですね)


「ともかく、お医者様が来るまで大人しくしていてください。あれこれ議論していても治るでもなし。それに、シャル様になにかあれば、エリク様だって死んでも死にきれませんよ」

「縁起でもないことをおっしゃらないで!」

「それか、無理が祟ったのかもしれません」

「無理?」

「シャルロット様がここに来てから、エリク様は常に気を張っていました。真面目な方ですし。外では騎士として。家でも王女を守らなければいけないと気苦労が絶えなかったとすれば」

「つ、つまりは私のせい!?」


(信じんのかよ)


 ガーン!! というショックを受けているのがハッキリとわかるシャルに、


「こほん。私が言いたいのはつまり、これ以上勝手なことをされては困るということで」


 静かに、扉が開いた。今までどこにいたのか、マリーが忍び寄るような足運びで入室してきた。


 息を呑んだ。


 マリーは泣いていた。幽霊のようにユラユラしながらシャルとジャンヌが見えていないようにベッドまで来て、膝をついてエリクの手に自らのと重ね、ギュッと。


「エリク・・・・・・・様・・・・・・」


 普段はこわくさえあるマリー。キリッとした面影はどこにもなく痛々しかった。


「ああ、あああああ・・・・・・・・・・・・・! わ、私が、私が・・・・・・・・・・!」


 取り乱している。人目も憚らずに乱れた心のままに嘆き続けている。


「こ、こんなことになるなら、こんなことになるのなら・・・・・・・ああ!」

「マリーさん、落ち着いてくださいまし」

「私のせいだ、また私のせいで、こんな物、なんの意味も・・・・・・・・・・!」


 シャルの静止も気づいていない。カラカラに乾いた喉が擦り切れたような悲痛な声音で。


「ごめんなさい、エリクお兄ちゃん・・・・・・・・・・」


 ずっと抱えていた罪の意識を吐きだした。

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