シャルロットとして
シャルはご機嫌だった。
恋い焦がれているエリクとの距離をぐぐっと縮めることができたのだ。
一つ屋根の下で暮らすようになり、以前より側で一緒にいられることはできた。しかし真面目でしっかり者である彼は戸惑うことこそあれ、自分の好意に気づかなかい。
それどころか、アドバイスされたとおりに実践しているアプローチも通じない。もしかして自分には魅力がないのか。エリクの好みではないのかと落ちこんだこともあった。
なのにだ。
「ふふふ、」
尻尾を触らせてくれた。一緒に本を読むことができた。女性癖が悪い騎士から庇われた。それだけでシャルはご満悦だ。今までの苦労が吹き飛んだほどの喜びだった。
今でも一つ一つ思い出すと、胸が温かくなる。心臓の痛みが小気味よく鼓動を刻み、頭を蕩けさせる。
男女の恋を描いている本はいくつも読んできたが、そのとき胸に抱いたドキドキと憧れ以上に甘美な幸福に浸っている。
一目見たときは驚いた。身を挺してでも助けてくれたエリクのことが知りたくなった。侍女や周囲の人達にそれとなく教えてもらった。呪われ騎士でよくない話ばかりだったが、実際に話して見たエリクと乖離しすぎていて信じられなかった。
お礼をしたくて、侍女のフリをして会いに行ったとき、とても恥ずかしかった。直に会って話してみたかったのだ。侍女のジャンヌには呆れられたが、行ってよかったとおもったのだ。
人の噂とは当てにならないのだと知れた。甘い物を食べているときのエリクは、深い赤毛に覆われていながらも美味しそうに食べていた。そして尻尾を振っていた。食べ物を味わう子犬と同じ反応をしていて、可愛いとおもった。
とてもじゃないが、怪物だとか忌まわしい呪われ騎士と一致しなかった。
それに、エリクが刺客から守ってくれたときの戦いぶりは物語で出てくる立派な騎士と同じだった。そのときエリクに触れたときのたくましさ、かっこよさは今思い出すだけでも熱くなる。
もっと知りたい。もっともっと近くにいたい。そして、知れば知るほど好きになっていく。近くにいけばいくほど身が内側から焼かれるような情熱に浮かれていく。
まだ恋がなんたるかもわからない乙女の感情は、誰にも止められなかった。
命を守らせるという名目でエリクの使用人に扮して一緒に住んでしまおうと考えるくらい盲目になっていた。
シャル自身には、強引だとか突飛な名振る舞いをしているとか、そんな自覚はなかった。小さいときから甘やかされ、誰からも愛されて育ったし、厳しく叱られたことはおろか、何一つ苦労をしたことがない。
我が儘というわけではないが、自分が望んだとおりに周りが動き、誰からも傅かれているのが普通だった。そんな彼女にとって、相手の都合を考えるとか客観視するという能力は皆無。
いうなれば無自覚な傲慢。悪意のない尊大さ。無知。良くも悪くも、シャルが根っからの王女だからできてしまうにすぎない。
だが、シャルからすれば自身の行動は効率が良い。元々、刺客から身を隠すという計画はあった。それを理由にして好きな男性と一緒にいられるようにしただけにすぎない。
(明日はもっと頑張りましょうっ)
明日の女中としての仕事を思い浮かべ、ふんっと鼻息を荒くするほどのやる気が湧いてくる。日々の仕事は疲れて、苦しい。だが、一つ一つできることが増えていくのは楽しいし、なにより好きな人の役に立っているとおもえば、なんということもない。
エリクへの気持ちが原動力になって、張りが出ている。なんでもできるとう自信にもなっていた。
(そしていつかはエリク様と、えへへへ♡ あら?)
お風呂から上がって普段寝起きに使っている部屋に戻る途中、ある一室が少し開いていて中から角灯の灯りが微妙に漏れている。
(あそこはたしか・・・・・・・・・・・・)
そっと中を窺った。寝間着に着替えたマリーが縫い物をしていた。手際よくスイスイと針が進み、糸が布を這い形が整っていく。なにを繕っているのかよく見えないが、なにを作っているんだろう?
「誰ですか?」
「! あ、えっと、あうっ」
もっと中を覗こうとしてしまったため、戸が少し開く拍子に軋んだ。こちらを射竦めるようなマリーの目と合ったせいであたふたと慌てふためいた。
「きゃうんっ」
「・・・・・・・・・・・・・」
そうこうしているうちに足が縺れ、前のめりに倒れてしまった。そのまま戸が完全に開き、マリーとしっかり対面した。
「も、申し訳ありません・・・・・・・・・・・・・・・・」
「なにをしているのですか・・・・・・・・・・・・・・・・」
「灯りが気になって、まだ起きているのかと・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ただ旦那様のフードを用意していただけです」
そういえば、エリクは毎日出掛けるとき口まで覆える大きくて深いフードを被っているが昨夜は付けないで帰ってきた。
「マリー様が繕っているのですか?」
「ええ。替えもないですから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
会話を終えたというのに、シャルは立ち去る気になっていない。それどころかマリーの隣、ベッドに腰掛け具に繕っているのを見ている。
「マリーさんは針仕事も得意なのですね。すごいですわっ」
「ただ私の母が教えてくれたとおりに、しているだけです」
集中力を削がれている。早く出ていけ、という無言の圧を放つがシャルは解していない。
「食事の作り方も、掃除の仕方も?」
「ええ。それが仕事でしたし」
「羨ましいですわ。マリーさんのようになりたいです」
「あなたは母親からなにも教わっていないのですか?」
ちょっとした棘が混じるのをマリーはとめなかった。毎日のシャルの不器用ぶりと上達のしなさはマリーにとって悩みの種になっているのだ。本人のやる気と真剣さは認めるが、それとこれとは話が別。
「・・・・・・・・・・・・・・・お母様、母はいません」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「私を産んですぐ亡くなったそうですので」
「そうですか」
珍しいことではない。針の動きを少し止めてしまうくらいには罪悪感を覚えた。
「あの、マリーさん。私にも教えてくださいませんか?」
「ダメです」
バッサリと退けられた。
「あなたにはまだ早いです。せめて料理を一人で作れるようになってから」
「う・・・・・・・・・・・・・・・・」
「いえ、せめて食材を均一の大きさで切れるように。いえ、一人で火の番ができるように。いえ。配膳を一人でできるように。いえ、あなたには・・・・・・・・・・・・・」
「?」
「いえ。一つ一つの仕事をもっとキチンとできるようになってからでないと」
段々と難易度が下がっていったが、最後には若干の哀れみを含んでいた。
「もう休みなさい。寝坊しても許しませんよ」
「でも、マリーさんもまだ寝ないのでしょう?」
「それほど時間はかかりません。それに、よく兄やエリク様の衣服もこうして直していましたから」
「まあ、そうだったのですか?」
「ええ」
「でも、マリーさんは毎日私より忙しいのでしょう?」
「空いた時間を少しずつやりくりすれば、すぐですから。それに私しかする者がおりませんので」
「・・・・・・・・・・・・・・・マリーさん。マリーさん」
「?」
ちょいちょい、と袖を弱々しく引っ張られて、
「エリク様をお慕いしていらっしゃるのですか?」
「!?」
危うく指に針を貫通させそうになった。
「あなたは、なにを突然おかしなことを・・・・・・・・・・・・・・・」
「だって、エリク様のためにそこまでできるなんて」
「使用人として当たり前のことをしているだけですっ! 妙なことを!」
「ご自分の休む時間を減らしてですか?」
「そうですっ!」
「でも、エリク様にお仕えすると言いだしたのはマリーさんだったのでしょう? エリク様にお仕えするために、お料理やお仕事も熱心になったと」
「ち・が・い・ま・す!!」
シャルはただ、サムから聞いた話を今の自分に置き換えて述べただけだ。好きな人のためになりたい、そのために仕事をもっとできるようになりたい、という自分とマリーを。
自分とそう年齢が変わらないのに、自分以上に働いている。いつも誰よりも早く起き、誰よりもエリクのために動いている。それに、エリクの好みや栄養、体調や気分に応じて食事の味付けや食材も変えている。
シャルが王宮で暮らしていたときの侍女や料理人使用人、計数人分に相当する働きをしている。それは一長一短では身につかない。小さいときから培ってきたとはいえ、尋常ではない努力をしなければできないんじゃないか?
ではその努力をできる理由は?
愛ではないか? と結論づけた。
「はっ!? ではマリーさんが私に厳しいのもエリク様を盗られることをおそれたから!?」
「あなたは何を言っているんですか!」
「あれもこれも。今考えてみれば嫁を気に入らない姑がする嫌がらせと同じ!?」
「誰が姑で嫁ですか! あなたが仕事できなさすぎるから当然の叱咤をしているだけです!」
「は!? では私が旦那様に食べさせようとしたときも朝起こそうとしたとき怒られたのも嫉妬からですの!?」
「あなたが使用人として間違っているからです! どこの世界に成人した殿方にあーんをする使用人がいるんですか! 昨今の王族でもしないでしょう!」
「え?」
「えっ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・どうしましょう。私、いつの間にか物語に出てくる横恋慕をする嫌な女性になってしまっていたのですか!?」
「違うと言っているでしょう! というかやはりあなたエリク様にそんな感情があったんですね! 薄々勘づいてはいましたが!」
「・・・・・・・・・・・・・ポッ♡」
「なにを今更恥じらっているんですか! 第一、私がそんな気持ち抱くわけないでしょう!」
「おいマリー。大声を出しすぎだぞ。一体――――」
「私にはそんな資格もないのだからっっっ!!」
「え?」
「・・・・・・マリー?」
ハッとしたマリーは、そのまま沈痛な様子で項垂れて伏せていく。気遣わしげになにか話しかけようとして、でも喋れないでいるサム。二人の間に挟まったシャル。
「ん~~~~・・・・・・・・・・・・・・・・一体どうしたんですか? ふあ、」
そうこうしているうちに、寝ぼけ眼を擦りながら枕を抱えたジャンまでやってきてしまった。
「なんでもありません。兄さんも。騒いでごめんなさい」
「マリーさん。あの、」
「あなたも、もう休みなさい」
てきぱきと繕っていた布も糸も、道具箱さえも手早く片づけていく。サムに促されながら、部屋を後にするしかない。
「シャル。あなたまたなにかしたんですか?」
また、というジャンに苦笑いで返す余裕もない。
「あの、サムさん」
「ん?」
「エリク様と旦那様は、昔なにかあったのでしょうか?」
先程のマリーの剣幕は、台詞は、そうおもっても仕方がなかった。
兄のように慕っていた。妹のように可愛がっていた。だが、今の二人はそれが信じられないくらい距離がある。ただの使用人と主以上に。長年仕えている間柄で芽生える信頼感だけでなく、わざとらしい遠慮をシャルは双方から感じるのだ。
「シャルちゃん。君の正直でまっすな性格はとても素晴らしいとおもうよ。好感が持てる」
親しげでありながら、優しく窘めているようなサム。
「エリク様も、変わった。いや、変わってきてる。きっと君のおかげなんだろう。でもね? 世の中には、根掘り葉掘り聞かれたくないということもあるんだよ」
「聞かれたくないこと・・・・・・・・・・・・・?」
「本人にとっては辛くて、罪深いとさえおもっていることがさ」
大人びた態度と言い回しで、そのままサムも自室へと戻っていってしまった。後に残されたシャルは、一人呆然としたまま立ち尽くす。
「結局なにがあったんですか?」
ガシッ!! と目にもとまらぬ早さでジャンを掴んだ。
「相談したいことが、あるのです・・・・・・・・・・・・ジャンヌ」
「それは明日ではいけませんか?」
迷惑だ。嫌だ。めんどくさい。これほどまで徹底した拒絶反応をわかりやすく隠そうともしないなんて、他にいるだろうか。
「シャルロット王女様」
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