下心。王女メイドの申し出

 落ち着きを取り戻し、静かに本を読み過ごす時間がやってきた。壁に掛けられた時計が規則正しい秒針の進みを奏でている。


(落ち着かん)


 人生の中で、女性と一緒に過ごした経験がないわけじゃない。だが、一人でいることが長すぎた弊害か。それとも相手がやんごとなき身分の御方だからか。


 とにかく、シャルと二人きりで本を読んでいるとソワソワとして集中できない。


 マリーともこうした一つの空間にいても、なんともないというのにどうしたことだろうか。シャル自身はさっきまでのやりとりなど遙か彼方。声をかけるのも憚るほどの集中力で読書をしている。


 それが余計、落ち着きのない自分とを比較し、悪化の一途に繋がっているというわけだ。できることならば夕食の時間になってほしいのだが、時計の針は遅々としか進んでいない。


 本を暫く呼んでいると集中できず時計を。次いでシャルをチラリと。そんな負の連鎖を繰り返してしまい、ムズムズとした落ち着きのなさを味わうのだ。


(俺から言い出した手前、今更出ていけとも言いづらい)


ワクワクと興奮している顔。ハラハラと不安がっている顔。ウルウルと涙ぐんでいる顔。表情のみならずパタパタとブーツの爪先が床を踏み鳴らし肩が左右に揺れている。楽しんでいるというのが見てとれ、どこの場面を読んでいるのか、はっきりとわかる。


 そんな分かりやすいシャルを見ていると面白く、心が和む。だけど、バレてしまうかもしれない、はしたない、という自制心が働きながらも、いつしかシャルだけを盗み見るのを止められない。


「ほう・・・・・・」


余韻を充分に味わっているような吐息、愛おしそうに持っていた本を閉じて置くと、そのまま本棚のほうへ。


「まさかもう読み終わったのか?」

「はいっ。面白くてあっというまに読んでしまいましたっ」


 軽い驚きだ。シャルが読んだ本は通常のよりも分厚く、難解な言い回しが多い。


 しかし、少し喋るとシャルは内容を詳らかに感想を語ってくれた。登場人物の台詞、情景描写。しっかり深く理解していないとここまで語ることはできない。


 本当に本が好きなのかと感心してしまう。


「特にここの場面が、主人公が愛する人への気持ちを詩で伝えるというところが素敵ですっ」

「! そうかっ。俺もだよ」

「まぁ、旦那様も?」

「ああ。しかも普段詩なんて作っていないのに、苦悩して書いているときを見ていると、余計にな」

「わかりますっ」


おもいがけず、お互いの気持ちを語らうことになった。シャルとの会話に果てはない。いつ終わるともしれず考えず。語れば語るほどに気持ちに淀みがなくなり、心が弾んでくる。同じ趣味を持つ人はいなかったから、余計楽しくてしょうがない。


一人で過ごすのとは違う楽しい時間だ。こういう楽しみ方もあったんだなと再発見をした。


「あの、旦那様。そのお尻尾のことなのですが」


乾いた喉を冷えた紅茶で潤し一服していると、膝の上に抱えていた尻尾について聞かれた。


「これがどうかしたのか?」


 というか、わざわざ尻尾におなんてつけなくてもいいのに。


「さっき本を読んでいるときもそうし本を載せておりましたが、疲れないのでしょうか?」

「ああ。それほど重くもないし」

「痛くもないのでしょうか?」

「ああ。何故だ?」

「いえ、お尻尾も体の一部なので。もしかしたら負担がかからないのかと。腕もずっと使っていたりずっと立っているだけでも疲れましょう?」

「いや、そういうのはないな」


 尻尾自体は、実はそれほど大きくはない。包んでいる毛の量が多く、長い。その分厚くなっているので図らずも尻尾本体への緩衝材と同じになっている。


「毛でクッションみたいになるから、こっちのほうが見やすい」


 シャルに当たらないようにと配慮もあるが、そうしないと座ったときの位置的に困らないということもある。


「ふふ、ふふふふふ!」

「?」


  コロコロと口の中で転がしているような、控えめな笑い声。なにがそんなに可笑しいのだろう?


「まさかそんな冗談を旦那様が仰るなんて、ふふふっ!」

「・・・・・・・・・冗談のつもりはないんだけどな」


 更に吹き出した。両手で口を押さえるほどに。


「本当にそうなのか、是非触って確かめてみたいですわっ。ふふふふふ。きっと本物のクッションよりも気持ちがいいことでしょうっ」


「絶対に触らせん」


ムッとした意地が芽生えた。馬鹿にされているというときの不快さではなく、本当のことだと受け取られていない子供じみた。意地だ視界からも隠れるように体と肘掛の間に尻尾をギュウ、ギュウと押しやる。


「そんな風になさっては、お尻尾が潰れてしまいませんか? もったいのうございます」


 なにがもったいない?


「前々からおもっていたがな。シャルは俺の尻尾に食いつきすぎだ。これほど邪魔なものはない。座るときにも着替えをするときにも邪魔になるんだぞ。いっそ斬り落としてしまいたいくらいだ」

「なんということをおっしゃるのですか!!!!」

「うを!?」


 どうしてそこで大声で怒鳴る!? 突然のことでビクッとしたぞ。


「そんな風に雑に扱ってはいけません! 旦那様の大切な体の一部でございましょう!? 座るときにも着替えるときにも大変だとおっしゃるのならば私がお手伝いいたしますのにっっっ!」

「あ、ああ?」

「自分を傷つけるような真似をなさってはいけませんっ! もしも斬り落としたとしても、どうされるおつもりなのですかっっ!」

「べ、別にどうもする気はない」


 なんだ。シャルがこれほど怒るだなんて初めてじゃないか。


「まったく、何故ご自分を傷つけるような真似をなさるのですか・・・・・・・」


 動物が好きだからか? モフモフした毛並みやそれに類する物に目がないからそれを雑に扱うのが許せない?


「くれるものならくれてやりたいくらいなんだがなぁ」

「はい?」

「いや、なんでもない。尻尾を本気で斬り落とすつもりはない。それくらい俺にとっては要らない物というだけのことだ。普段からこんな風に雑に扱っているしな」

「・・・・・・え? まことですの?」


 ? 信じられないとばかりに驚いているが、なんでそんな表情になる?


「では、お風呂を上がったあとにキチンと拭いたりなどは?」

「していない。別に」

「では、櫛で梳いたりなどは?」

「それもしていない」

「・・・・・・・・・・マリーさんやサムさんにも?」

「皆等しくな」


 なにを真剣になっているのか。この世の終わり、とてつもなく悲しい衝撃を受けたとばかりな反応。


 いや、尻尾をそんな丁重に扱うわけがないだろう。女性の髪でもあるまいし。


「そうですわ、これを機に・・・・・・・・・・上手くいけば距離を縮めることに・・・・・・・急いてはことをし損じるとはいえ、物事には好機というのが・・・・・・・・・」

「シャル?」

「このままでは私もいつ・・・・・・・・・・・・・でもより親密に・・・・・・・・・・」

「シャル」


 俺の言葉は届いていないのか。ブツブツとまるで迷宮に入りこんだようなシャルに、読書を再開して良いのかどうか判断に困る。


「あの、旦那様。差し出がましいかもしれませんが」


 おそるおそる。意を決したような様相。重大ななにかを告げようとしている気配。やっとシャルを放っておこうと決めた間際だというのに。


 微妙な肩透かしを喰らったものの、つい体勢を向け直す。しかし、モジモジしたままで中々喋りだそうとしない。


「私に旦那様のお尻尾のお世話をさせてくれませんか?」

「・・・・・・は?」


 この子は一体なにを言っているんだろう。心底言葉を失った。



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