急接近。荒ぶる尻尾

 書斎と銘打っているが、本来は執務室だ。応接室ほど広くはない部屋に、所狭しと並んだ本棚から弾かれたように長椅子と長机が存在している。周囲から圧迫されるようなかんじがしてどこか窮屈そうな部屋だとサムとマリーは良くいうが、俺にとって憩いの場となっている。


 落ち着いて物語に没頭でき、余計なことを考えずにすむ。疲れているときも、悩んでいるときここで本を読んでいるとすべてを忘れられる。


 昨夜から始まったエドモンが発端となった、一連の問題で疲労困憊な今の俺にはうってつけというわけだ。


 疲労とはいえ、精神的にだが。


 昼食を挟み、読み進めていた一冊を読み終えた。すっきりとした読了感に満たされていたが、すぐにもやもやが擡げてきたのだ。


 すぐに新しい本を読む気になれず、ベルを振り鳴らすとすぐ見計らったかのような絶妙さでシャルがやってきた。もしかしたらサムかマリーからお茶の時間を聞いていたのかもしれない。


 サムに来てほしかったんだが、よりにもよってシャルか。


「これは、朝持ってきてくれたやつか」

「はい。一度温め直したのですが」

「わざわざ?」

「できれば、旦那様には出来たてに近いのを召し上がってもらいたくて」


 健気だ。


 決して押しつけがましくない。照れと嬉しさが入り交じったはにかみが眩しい。


「あら、この本って」

「ちょうど読み終えた本だが」


 ちょうど良いか。


「他に仕事は?」

「今はまだありません」

「そうか。なら、ここで休んでいくといい」

「え?」

「なんだったら本を読んで過ごしてくれても」

「は、はい・・・・・・・・・・ありがとうございます!」


 そのまま勢いよく本をとって、長椅子へと腰掛けた。


 俺の隣へと。


「どうして隣なんだ?」

「え?」


 少しずつ距離を詰めてくるシャルにしごく当然のことを問いかけた。


「普通は対面する位置じゃないか?」

「え?」


 また問いかけたが、同じ返事しかこない。 え? じゃない。こっちがえ? だ。


「旦那様はお嫌ですか?」

「う、」


 悲しげな上目遣いの瞳の反面、俺の良心に訴えかけるいじらしさを感じる。魔性かそれとも天然か。どうしようもなく男心を擽られるこの可愛らしさに逆らえる男はいないだろう。


 心臓がバクバクと激しい鼓動を鳴らし、尻尾がそわそわむずむずとしてくる。


「俺は、呪われている体だぞ」

「それは以前にも聞きましたが、伝染るものではないのでしょう?」

「それはだから――――――いや、もういい」


 決してシャルに絆されたとかそういうわけではない。座る場所をああだこうだとやりとりなんて小さなことだ。それよりも優先しなくてはいけない本題がある。


「読みながらでいいから、聞いてくれ。朝来た男を覚えているか?」


 お菓子を食べ、本を読み始めているシャルにようやく本題を話す。


「はい。旦那様の、お知り合いの人なんですよね?」

「あいつは親衛隊の隊員だ」

「ああ、そうだったのでございますね」


 シャルは開いた本に目線を落としたままだ。ページを捲る何度かペラ、ペラ、と紙が擦れる音だけが支配する。


 いやおかしいだろ。


 無関心。どうでもいい、興味がないというのを通り越している。


「何度もお前の護衛を務めているそうだ」

「?」

「小さいときからお前と親しかったと話していた」

「え?」

「騎士になる前から毎年誕生日のお祝いの席にも招かれ、社交界で会い、お茶会も何度となく一緒にしていると」

「・・・・・・・・・・・・」

「父は国王陛下に近く、政務を担っていると。親子揃って王族の覚えめでたいと」

「えっと、旦那様。あの人のお名前を教えていただいてもよろしいですか?」

「エドモン・シャウロッド。侯爵の家だ」

「え~~~~~~~~~~~~~っと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 一変した。


 夢中だったシャルが、なんの話をしているんだろう? という不思議そうな目がパチパチと瞬きをしている。ぽかんと口を大きく開け、そして眉を潜めるのに時間はかからず、指の腹をかき回すように額に当てぐりぐり~~~~。今にも唸りだしてしまいそうだ。懸命に自身の記憶を掘り起こそうとしているのに果たせない、なにかを思い出しそうな仕草。


「う、うう~~~~ん、ううん・・・・・・・・・?」


 まさか。


「もしかして、覚えていないのか?」


 俺が指摘すると、グサリ。なにかに刺された衝撃を味わった! と手に取るようにわかる反応を見せる。


 そのまま本で口元を隠しながら、おずおずと阿るような瞳をまっすぐ向け気まずげに頷いた。

 

「本当か・・・・・・・・・?」

「小はい。さいときから王宮の出入りは多かったですし、公務以外でも人と会ったり挨拶をすることがしょっちゅうでしたので」

「ああ・・・・・・・・・・」

「多いときには一日に五十人以上とも接していましたわ」

「うん」

「いつも側にいる侍女達や親しい人は自ずと覚えられるのですが、そうでない人達はあまり覚えられなくって」


 つまり、シャル、いやシャルロット王女殿下にとってはエドモンは親しい人に含まれていない。全部あいつの勘違い。自惚れていただけということか。


「お父様やお兄様は、立場上人の顔を覚えなくてはいけませんでした。ある意味一つの仕事だと」

「はああああああ~~~~~~~・・・・・・・・・・・・・」


 晴れた。


 胸の中に巣くっていたモヤモヤ。エドモンの自慢していた内容と乖離しすぎた二人。それに対する違和感が。そういうことかよ、と長く深い溜息を吐くのがとまらない。


 納得できていながら、大きな呆れた気持ちが残っている。


「あの、それがなにか?」

「いや、なんでもない。しかし、そういうことはよくあったのか?」

「ええ、毎日です」


 毎日か。


 大丈夫かこの子。仮にも王女だぞ。将来的にはこの国を担うかもしれない立場だとというのに。


「それだと困ったことがあったんじゃないか?」

「いえ。特には。誰かと会うときや話をするときは事前に侍女が耳打ちをしてくれていましたし。当たり障りがないやりとりしかしておりませんでした」

「陛下や殿下は?」

「無理せずともよい、そなたはそのままでかまわないと」


 いいのかそれで!


 溺愛しすぎだろ。あのお二人がシャルにそう語りかけているのが容易に想像できるじゃないか。


「しかし、親衛隊だっていつも側にいるだろう」

「特に親しいお話もしませんもの。それによく隊員の方々も交代したり、別の場所を見回りするときもあるんですのよ?いつも側にいるというわけではありませんし」

「うん、そうか・・・・・・・・・・・・・なんというか、大変だったんだな」


 もうそれしか言えなくなった。


 しかし、シャルの認識がその程度でしかなかったとは。エドモンが聞いたらどうなるだろう。ある意味エドモンとは違う尊大さだ。王族にしかできないぞ、そんなエレガントなこと。


「あの、旦那様。なにかおかしいでしょうか?」

「今更だが俺とは住む世界、いや次元がかけ離れているとおもってな」

「まぁ、それは、私も同じです」


「旦那様のお屋敷で働いて、使用人がどのような仕事をしているのか。どうやって掃除をしているのか料理はどうやって作られるのか知りませんでした。知ろうともしなかったのです。どれだけ難しいのかも初めて自分自身でやらなければわかりませんでしたわ」

「・・・・・・・・・・・・」

「このようなお仕事をして安い給金で一生を送る人達もいるのか、それが平民の幸せなのかと悲しくなりましたわ」


 マリーとサムが聞いたら激怒するぞ。特にマリーは。あの二人にとっては仕事ができない新入りでしかないんだから。


「それに、旦那様が普段どのようにして過ごしているのかもマリーさんとサムさんが教えてくれました。騎士団の仕事も、簡単にですが」

「そうか」

「酷いときには何日も屋敷に帰れないというのは本当ですの?」

「そういうときもある」

「昨晩よりも大怪我をしたということも?」

「騎士だからな」

「では、私が襲われたときのようなことも?」

「何度もある」

「私、そういうことも知りませんでしたわ。旦那様のような人達がいるから、マリーさんやサムさんのような人達のおかげで私達がいつも平和で暮らしていられるのだと」

「シャルは本来しなくても良い苦労だ」


 世間知らずで箱入り娘とも呼ばれるべき少女が日々体験していることは、本来の身分から考えてもありえない。人には身分や立場ですべき事とできない事はどうしてもある。


 自ら望んで買って出ているということも含めて、彼女にとってはしなくても良い苦労だ。


「ええ。ですけど、知ると知らないのとでは、大きく違いますわ。今まで自分がいた世界とは違って見えるのです。不謹慎かもしれませんが、ここに来てよかったとおもっています」


 大袈裟な、と切って捨てることはできない。暢気だと断じることもできない。


「もしも王宮での暮らしとここの暮らしを選ばなきゃいけなくなったら、悩んじゃうくらいです」

「・・・・・・」

「も、勿論旦那様がいてこそですけど・・・・・・・・・・」

「ふふ、」

「?」


 大切な宝物を見せてはしゃいでいる子供みたいに、誇らしそうで、嬉し恥ずかしげなシャルを見ていると笑いがこみあげてしょうがない。


「旦那様、笑顔になるとそのようになるのですね」

「っ」


 心臓を鷲掴みにされた。


 視覚以外の五感が消失し、世界から隔絶されている心地を味わう。空中を漂っているようなふわふわした浮遊感にも似た思考、自分の体でなくなったみたいに体が鈍く、重い。


 もどかしい熱が内側からじんわりと広がってきてもどかしくてしょうがなくなる。


 シャルの柔和な微笑みに、釘付けにされた。


(う、)


 締めつけられるような苦しさ、けど嫌じゃない苦しさだ。それでも、このままいるとどうにかなってしまいそうだ。なんとか背けることに成功した顔に、口に、お菓子を一心不乱に運び、詰め込み、咀嚼し続ける。続けまくる。


「次の本を持ってくるっ」


 だが、それでは誤魔化せない。そう言い訳をして、強制的に距離をとった。再び戻るまで、


 鎮まれ俺。鎮まれ俺の尻尾。


 そう唱え続けるのに精一杯だ。


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