エドモン・シャウウッドという男
宿に到着したときには既に日も沈みかけていた。喧噪な中央街から少し離れたところに高級な宿屋が乱立していたが、エドモンがいると告げていた『金糸の蝶亭』はすぐに見つけた。
宿屋に入るとビクついた応対をされたが、用件を告げるとすぐに部屋へと案内された。訪いを入れ扉が開くと、裸に近い格好の女に招き入れられた。
「んん、なんだ・・・・・・・・・・・・?」
しなだれかかっているもう一人の女を払い除けながら、ベッドから上体を起こしている。部屋に充満している酒と香水臭さ、そして情事を連想させる匂いに光景。娼婦とお楽しみ中だったということか。仮にも職務中だろうに。
「反吐が出る・・・・・・・・・・・・」
「んん・・・・・・・・・? なんだ?」
つい口に出てしまっていた。
「エリク・ディアンヌです。頼まれていた物を届けに参りました」
そうやって誤魔化すと、なんとか通じた。幸運なことにエドモンに届かなかったらしい。顰めた表情も毛深さのおかげで隠れている。
「んん・・・・・・・・・・・・・そうかそこらへんに置いておけ」
「ねぇ、騎士様。この人は?」
「ああ、こいつは使い走りだ。聞いたことはないか? 呪われ騎士というのを」
小首を傾げる女から強引にコップを取りながら立ち上がったエドモンは、脱ぎ散らかしている制服から革袋を取りだした。
「ご苦労だったな。そら、受け取れ」
「これは?」
「報酬だ」
中身を見ると、金貨が詰まっていた。もしかしたら口止め料としての意味もあるのかもしれない。
「なんだったらお前も相手してもらったらどうだ? ちょうど一人で二人抱くのにも飽きていたところだ。別の男と睦み合っているのを眺めるのも面白そうだ」
そのままエドモンは女二人の肩を抱き寄せ、耳元でなにやら囁いた。クスクスと笑みを漏らし、こちらを舐めるように視線を上下させる。
「死ねばいいのに」
「あ?」
「いえ、大丈夫です。これは受け取れません」
またつい本音が出てしまった。
「まさか女を抱いたことがないのか? まぁそうだろうが、娼婦くらいしか相手にされんだろう」
「そういうことではありません」
「お前が受けている呪いは姿形を変えるだけでなく、女への興味を失わせるのか?」
な ん だ こ い つ は。
騎士としてあるまじき振る舞い。尊大な態度。的外れな嘲り。それらはまだ我慢できるが、鬱陶しいにもほどがある。
「エドモン卿。仮に俺が彼女達を抱いたとしましょう。あなたの目の前で。それでどうなるというのですか?」
「面白いだろう。俺は満足できるぞ」
話にならん。
「ああ、そうだ。もし俺を楽しませられたらお前を昇進させてやろう。それだけのコネと実力はある。なにせ俺はいずれシャルロット王女を妻に娶るつもりでいるからな」
「いえ、出世には拘っていません・・・・・・・・・・・・・・・・え?」
「ん、なんだ?」
「今なんと?」
「シャルロット王女を妻に娶るといったのだ」
聞き間違いではなかった。
酒に酔った世迷い言かとおもったが、エドモンは正気らしい。
「ありえないという話じゃないぞ。俺はまだ騎士になる前からシャルロット王女と親しかった。毎年誕生日のお祝いの席にも招かれ、社交界で会い、お茶会も何度となく一緒にしている。幼い頃から共に過ごす時間も多いと自他ともに認めている。それは王女も一緒だろう」
「・・・・・・・・・・・・」
「勿論、他国へ嫁ぐこともあるだろうが今の同盟関係や情勢から見てその線は薄いだろう。そんなことを父が言っていた」
「・・・・・・・・・・・・」
「その度に彼女との仲は深まっていると実感しているさ」
「・・・・・・・・・」
「俺の父は国王陛下にも近く、政務を担う者達の中でも重鎮だ。家柄でも釣り合いが取れている。将来的には俺が婿になるということはないだろうが、どちらでもいい」
言葉を失っていた。多分意識も少し。
何故こんなことをエドモンは言えるのか。自信に満ちた様子で言ってしまえるのか信じられなかった。
「つまり、エドモン卿は、シャルロット王女を好きなのですか?」
「貴族の結婚はそんなものじゃないだろう。そんなので妻を選ぶ男はいない」
時として、恋愛感情よ、好悪の印象より家同士の繋がりと格が重要視され、婚姻を結ぶ。どちらかといえば貴族に多い結婚はそういう事情。現実的な
だが、エドモンは自分が選べる立場だと言っている。王家で、自分が仕えている相手から当たり前のようにもらえるものだと。侍らせている娼婦達と同様に扱えるものだと最初からおもっている。
分不相応にも程がある。
「下衆が」
「ん? 今なんと言った? 下衆だと?」
「いえ。そんなことは一つも」
「まぁ、いい。とにかく、美しく聡明で自分より優れた立場にいる女を妻にする。側に置き、従わせる。それも、この国を統べる女をだ。男としてこれほどそそられることはあるか?」
「くたばれ」
「今なんと言った!?」
しかもとてつもなく最低な思惑だ。
遂には我慢ができなくなってきた。
「くたばれと言っただろう! しっかり聞こえたぞ!」
「お酒のせいでしょう。だいぶ酔っていらっしゃる。そろそろお暇いたします」
「おい待て!」
限界だ。
これ以上ここにいると、エドモンという男と一緒にいると腐っていきそうだ。口汚く罵るだけではすまなくなる。
「シャルロット王女の下へ戻られる前に、しっかりと酔いを醒まされたほうがよろしい。報酬はけっこう。ここでのことは他言いたしません。それほど暇ではないので」
「お前、たかが一騎士で、呪われ騎士の分際で虚仮にするのか!」
背中から追い縋る声を無視し、戸に手を伸ばす。スルリとドアノブを取り損ねた。タイミングが悪く、外から開けられてしまったようだ。
つんのめって前のめりになるが、なんとか耐えた。眼前には若い女性が立っていた。しかも一人だけでなく、複数。全員物凄い形相で睨み上げているではないか。
「なん、!?」
一番前にいた彼女が腕を振り上げると同時に、腕に引き攣る痛みが走った。
「ああああああああっ!!」
女性の絶叫とともに頭上から迫ってくる手、そこに握られているギラリと鈍い光を放つ短剣を左手で防ぐ。
「おいなにをしている?!」
「く、」
振り上げた間際に深く斬られたらしい。右腕には赤い血の線が浮び上がっていて絨毯に伝い落ちている。エドモンより先に気づいたらしい。娼婦達の悲鳴が響いた。
「何、者だ!?」
「どきなさい! この!」
「邪魔するな!」
「あんた誰よ!」
傷が疼くというだけではない。足や臑、下半身を中心にした小さくも執拗な攻撃があちらこちらから加わって満足に力が入らず踏ん張れもしない。女性達から振われる暴力によってぎゅうぎゅうと押され、再び部屋へと後退することになった。
見回すと、彼女達は完全に常軌を逸しているのがわかる。年齢も服装もてんでバラバラだが、ギラギラとした目つきに憎悪と怒りに染まっている顔つきで俺を容赦なく責めたてる女性達。剣術や体術といったことは会得していないのだろう。感情のままに、叫びのままにありったけの力で殴り蹴り引っ掻かれる。
(なんだこれは!?)
突然押し寄せてきた女性達にもみくちゃにされている状況に、混乱するしかない。
「あ、いた!」
「やっぱりここに!」
途端に殺気だった女性達が目の色を変え、ピタリととまった。それは少しの瞬間にも満たない時間だったが、すぐに囲んで蛸殴りにしていた俺から離れ別の目標へと移り、向かっていく。
「ひ、ひいいいいい!」
エドモンへと。
「エリク! エリクディアンヌ! 助けろおおおおおおおお!」
阿鼻叫喚とはこのことか。
娼婦達が逃げ出すのを尻目に、殺伐とした空間になった室内を眺める。
いや、殺伐というよりも修羅場、惨劇か?
ポカンと室内を蒼白でわなわな震えたまま棒立ちになっていたエドモンが部屋中を逃げ回り、怒号、喚きを発し続ける女性達。
「助けてくれええええええええええええええええええええ!!」
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