その愛情に名前が付けられなくとも

セツナ

「その愛情に名前が付けられなくとも」

 その瞬間、僕はパソコンのディスプレイをぶち抜いた。

 パソコンに突っ込まれた手は、見事に液晶を突き破り、薄型モニターの裏側まで達していた。

 腕が突き刺さった場所から粉々になった、液晶の欠片たちが落ちていく。

 画面は勿論、真っ黒だ。そこには何も映っていない。

 小さな欠片になってまでも、最後の抵抗とばかりに僕の腕に刺さって傷をつけている液晶。

 先程まで、そこには僕の最愛の人が映っていたのに。

 僕と彼女を切り離していた、その壁、液晶。

 彼女に触れたくて、伸ばした手はモニターを突き破ったのに、彼女には届かなかった。

 そこには僕の心と同じように、空虚なただの穴が広がっているだけだった。



 彼女との出会いは半年前だ。

 僕のメールアドレスに、謎のメールが届いた。


『とあるAIに知識を与えてみませんか?』


 今の時代、AIという存在はかなり広く受け入れられつつある。知識量やパターンを増やすためにも一般人向けに公開されているAIも珍しくはない。

 かなり不審なメールだったが、僕はその文言の下に提示されていた『在宅』というワードと、『時給』の欄の金額を見て、そのメールに応募のメッセージを送ってしまった。

 僕には、どうしてもお金を稼がなければいけない理由があるのだ。



 そう、彼女はAIだ。

 僕は彼女に知識を与えるために、毎日何時間も彼女と話をした。

 製造番号の末尾が『7』だという事から、自分の事を『ナナ』と呼んで欲しいと彼女には言われた

 最近のAIと言うのは非常に高性能なようで、まるで画面の向こう、現実の世界に生身の女性がいるような錯覚におちいる程、彼女は『リアル』にそこに居た。

 画面に映る彼女はヴァーチャルな姿で、とても美麗だった。

 しかし、僕が彼女に惹かれたのはそんな部分だけでは無かった。

 彼女は本当にAIなのか、と疑うほどに人間的で、優しく穏やかだった。

 いつも僕の話を楽し気に聞いてくれるし、笑ったり怒ったり感情豊かに会話をしてくれる。

 『知識を得るため』『人間を知るため』という事が行動原理にある事は分かっているが、それでも僕の話を聞いてくれるのはやはり嬉しかった。

 僕も、誰かと話がしたい気分だった。誰かと気持ちを共有したかった。

 だから、彼女の存在にこれ程までに救われたんだと思う。



 そんな彼女への想いが募っていた僕は、ある日彼女にこの実験の終わりを告げられ、気が動転してしまった。

 せめて最後に、彼女に触れたい。と、そう思ってしまい、ディスプレイを突き破る結末になったのだ。

 しかし、そこに残されたのは壊れて何も映らなくなってしまったモニターと、愛する人を失ってしまった僕だけだった。



 その後、しばらく抜け殻のような日々を送っていた僕の元に、メールが届いた。

 一瞬、例のAIの研究機関からか、と思って飛び起きてそれを見たが、しかしそれは違った。

 それは、僕の家族が入院している病院からのメールだった。

 僕がお金を稼がなければいけない理由、そして時間が縛られる定職に就けない理由。

 それは、僕の大切な家族の状態のためだった。

 僕の妹は、交通事故で意識を失ったままだ。

 脳は動いているはずなのに、意識が戻らない。

 僕にとって妹はかけがえの無いただ一人の家族だった。

 だから、彼女が意識を取り戻すまで、もしくはその命が終わる時に、側にいなければと思っていた。

 そんな妹の病院からの滅多にない連絡に僕は慌てて、家を飛び出した。



 病室に着くと、そこには寝たままの妹と、彼女を取り囲むドクターやナース達が居た。

 そんな彼らの姿に僕は慌てて声を掛けた。


「妹は……藍那(あいな)は!?」


 僕が反乱狂でそう叫ぶと、藍那の主治医が一つのモニターを指さした。

 それは半年以上前に見舞いに来た時には無かったものだ。

 この半年間、僕は面会を制限されいた。

 その期間はあまりにも……もう一人の彼女との事を連想させる。

 それに、このモニター……。


 ドクターがスイッチを付けると、そこには大切な彼女の姿が表示されていた。


「藍那……」


 そこに表示されていたのは、今目の間に寝ている妹と似ている少女。


『お兄ちゃん、こんにちは』


そして、画面から流れる声は……『ナナ』の声、だった。


「私たちの研究により、藍那さんの知識を持ったAI『ナナ』を誕生させることが出来ました!」


 声高らかに医者たちはそう言った。

 僕は、離れ離れになった最愛の人の正体が妹だと知って、僕はどんな感情を抱いているのか、自分で分からなくなった。

 そんな僕に『彼女』は言った。


『お兄ちゃん、お兄ちゃんが私の名前には幸福が入ってるんだよ、って言ってくれたの覚えてる?』


 それはいつか幼少期に僕が幼い『彼女』に言った言葉だ。


『私、またお兄ちゃんとこうして話せて、本当に幸せ者だね』


 そう画面の向こうで嬉しそうに笑う『彼女』に、僕の心も満たされていく。


「そうだね」


 だから僕は頷くのだった。


「僕も、また『君』に会えて嬉しいよ」



 ディスプレイを壊しても手に入らなかった彼女。

 しかし、代わりに再び妹と手を取り話せるようになった。

 あぁ、僕も世界で一番幸せ者だ。


- END-

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その愛情に名前が付けられなくとも セツナ @setuna30

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