【10】偽りの侯爵
1. 二通の手紙
アラガルド王国精霊祭への出発がいよいよ明日に迫った日の朝、冷たい空気を割くようにして、封蝋のされた手紙が一通、風に乗って竜樹の元に届けられた。
白い封筒、差出人も宛名もなし。
ロザリーも同じ封筒を受け取った。
談話室へと集まり、竜樹とロザリーは封筒を見せ合う。
「同じ
封蝋に捺された
「断定は出来ないけど、差出人はフィアメッタだと思っているの。ミランダも、恐らくそうだって」
透け感のない、高級感のある紙製の封筒。
魔法が手紙を運ぶということ自体、なかなか信じ難い事象ではあるが、目の前でその現場を見てしまうと、なんだか不思議な感じがする。
「こうやって二つの世界を飛び越えて、紗良や竜樹の元に手紙が届いてたんですね……」
佑は目をぱちくりさせて何度も手紙を覗き見た。
「封を開けなければただの封筒に見えるけど、開けたら最後、何回か読めば消えるんだ」
竜樹はそう言って、手紙を自分に引き寄せた。
「前に届いたのは、公国領に着いた日の朝だった。儀式の準備が着々と進んでることや、王家の人達の近況が書いてあった。あとは、トビアスがやたら喚いてることとか」
「当日の段取りを確かめている話が書いてあったわね。今日は……、どうかしら」
竜樹とロザリーは、前回の手紙の内容を振り返り、頷き合った。
タイミングを合わせ、二人同時に手紙の封蝋に手をかける。
蝋が割れ、開いた封筒から白い便箋が見えると、それだけで佑の胸は高鳴った。
「ロザリー、読んで貰っても?」
「良いわ」
ライオネルに促され、ロザリーは声に出して手紙を読み始めた。
「――“離宮の庭にも春の兆しが見え、精霊祭の日が着実に近付いていることを私に教えてくれる。最良の日を迎えるために、国が一丸となって動いているのは実に喜ばしい事だと思う。私は当日、王家側の席で参列するが、あの美しい精霊石の輝きを直接目にすることが叶わないのはとても残念だ”」
文章は確かに、セリーナとロザリーの兄、ジョセフのものに違いない。
その目線で手紙調に、王宮の出来事を綴っている。
「“普段より多くの貴賓を呼びましょうと、アーネストは特に意気込んで、席次を練るのに時間を割いている。ここ数日は各国の要人らに出した案内に、次々と返事が届き、多忙を極めている様子。王都の宿屋や邸宅に、どの国の貴賓を案内すべきか、料理の準備は万端かと、例年以上に入念だ。今年は特にリアムの即位五周年であるからだとか、星の巡りが良いからだとか、アーネストが今年に拘る理由は曖昧だ。しかし私は知っている。トビアスの悪夢によって、今年の精霊祭は特別なものに仕立て上げられたのだ”」
トビアスの悪夢、のところでリディアがピクッと眉尻を上げた。
口を挟みそうになったようだが、グッと堪え、手紙の続きに耳を傾ける。
「“儀式ではリアムが精霊石に跪き、豊穣への祈りと平和の誓いを立てることになっているが、大切な場面なのに警備が手薄だと近衛兵が話しているのを耳にした。精霊石の展示台には通常四人の兵が四つの方向をそれぞれ警備しているのに、儀式が始まると近衛兵は持ち場を離れ、広間の入口の警備に移る。例年は少なくとも警備は二人残すのに。これは、儀式の清廉さを演出するためであり、如何なる者も神聖な儀式の間の出入りを禁ずるためだと聞いているが、恐らく違う。儀式の最中に何かしでかすのではないかと……、確証はないが、推測するのが自然だろう。リアムは若いながらもしっかりと王としての責務を果たそうと、儀式の手順を何度も確認し、儀式での宣言の練習を私に聞かせてくれる。五年目にもなろうと言うのに、まだ若い彼にとって、この年に一度の儀式は重圧に違いない。私も王の時分は、同じように練習を繰り返した。あの頃、もし目が見えていたなら、きっとリアム以上に緊張していたに違いない。私を慕ってくれる末の弟に、私は精一杯、励ましの言葉を贈ることしか出来ないのは、実に歯痒いことだ”」
手紙の文面を辿る限り、現王リアムとジョセフの間は良好のようだ。異母兄弟ではあるが、幼い頃から兄と慕っていたことが見て取れる。
そして手紙は、王家とは一切血の繋がりのない、ある人物にも触れていく。
「“心配なことがもう一つある。イアンのことだ。精霊祭が近付くにつれ、表情が乏しくなったように思える。アーネストの後継者には相応しくない器であるのに、それを強いられているのを見るのは辛い。彼はそもそもそういう人間ではない。学者になりたいとあんなに幼い頃から聞かされていたのに、その夢から遠ざかり、政治に身を置かねばならないなんて、実に理不尽であると思う。それもこれも、シーラのご機嫌を取るためだと思うと、本当にやるせない。王太后という地位を与えられているのだから、もうイアンは解放してやるべきだと思うが、生憎私にそれを言う立場や権利はないのだ”」
「――あの、すみません」
聞き覚えのない名前が出てきて、佑は思わずロザリーの声を遮った。
「イアンと……、シーラというのは……?」
「イアンはシーラの連れ子です。シーラは私達の継母。イアンは良い子なのですけど、シーラのご機嫌をいつも伺っていて……、可哀想な子です。もうすっかり大人なのに、好きなことをさせて貰えないのだもの」
ロザリーの表情を見るに、イアンは幼い日の佑と似たような境遇ではないかと――そんな気がしてしまう。後妻として王に嫁いだ母に、ずっと気を遣っているのだろう。
恐らく、見えない被害者の一人なのだと思うと、一気にイアンという存在に気持ちが吸い寄せられていった。
「続けるわね。――“何事もなく精霊祭が終われば良いのに、きっとそうではないと精霊達も騒ぎ立てる。しかし、魔法で探りを入れようとするのは危険だ。私達王家の人間は籠の中の鳥と同じ。アーネストとトビアスは、私達の行動を逐一監視している。もし何かことを起こせば、今度は誰が犠牲になるのだろうと思うと、気が気でならないのだ。この手紙が毎回無事に届くのを祈るので精一杯。どうか無事に精霊祭で再会出来ますように”」
最後まで読み終わると、ロザリーはゆっくりと顔を上げた。
それぞれが顔を見合わせ、こくりと頷き合う。
「精霊祭で……、何かが起きるのは確定だな」
ライオネルは額の汗を手の甲で拭い取り、深く息をついた。
「次の標的は……イアンか。王位とは何の縁もない連れ子は、犠牲にしても差し支えないと。あの二人の考えそうなことだ」
リディアは握り拳を震わせて、奥歯をギリリと鳴らしている。
「警備をわざと手薄にして、儀式をめちゃくちゃにする気じゃないの。……けど、言い換えれば、その場でヤツらを抑えることも出来るってことだよね」
竜樹が言うと、大人達は大きく首を縦に振った。
「せっかくの手紙を無駄にしないためにも、もう少し作戦を詰めませんか。なんとしても、無事に精霊祭を終えるように……!」
佑の言葉にも力が入った。
精霊祭まであと僅か。
それまでに出来ることを――。
談話室の窓から、アラガルド王国へ続く空が見える。
嵐の前の静けさと言わんばかりの青い空に、佑はブルッと肩を震わせた。
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