午前十時。このベンチで。
秋野凛花
第1話
目を開くと、一面の赤と黄の絨毯が広がっている。私は一人、ゆっくりと瞬きをしながら見つめていた。
私が黙って固まっている間も、赤と黄の葉は私の目の前で踊る。前なら、その光景に目を輝かせただろう。自分が世界で一番幸せだと、信じて疑わなかっただろう。この光景を見られるなんて、この光景を「綺麗」だと感じられる自分が、世界で一番幸せだと。
それなら納得だ。私は今、世界で一番不幸だ。この光景に、ちっとも「綺麗」だなんて思わない。むしろ、イラつてくる。この赤と黄は、私のことなんて露知らず、気楽そうだ。私はこんなに、青い気持ちに浸っているのに。目の前をうろついて、鬱陶しいったらありゃしない。
それでも、目の前でただ落ちるだけの赤と黄の葉に、優越感を感じるのも事実だった。
落ちるしかできない。きっといつまでも大樹という母親に甘えていたかっただろうに。独り立ちをした結果は、地に落ちて、人間に邪魔だと払われるだけなのさ。
思わず鼻で笑う。目の前の赤と黄を。……そんな捻くれた考えしか出来ない、自分を。
私の心は、乾いた、荒んだ、そんなもので満たされていた。
──だから私は、その出会いを一種の運命だと、思ってしまったのだろう。
目の前の絨毯の上を、ゆっくりと歩く人がいた。その人は、「踏んでいる」というより、「踏ませてもらっている」という謙虚さがある気がした。そしてそれを、赤と黄の葉たちは快く受け入れているような気がした。
その人は、なんと私の目の前で止まった。その人の足は、赤と黄の葉の上に、ふわりと収まっている。そんな気がした。
ゆっくり顔を上げる。シンプルなデザインのスニーカー。同じくシンプルなジーンズ。深緑色の薄手のコートを身に纏っている。顔は、特にこれといってイケメン、というわけではないけれど。少しだけ困ったようなハの字の眉が目立った。
「あの」
その人が、口を開く。意識を集中しなければ見失ってしまいそうな、そんな声だった。か細くて、優しくて、でも芯のある。不思議な声だった。
「はい」
私は、こっそり深呼吸をしてから返事をした。震えていなかったか不安だ。……しかしそんな私に構わず、彼は依然としてどこか困ったような眉を見せながら、言う。
「僕の絵のモデルになってくださいませんか」
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