正義の味方係編

第41バグ・バグの無い世界

 自室。

 ジャパルヘイムから離れて早2日。

 久し振りの高校から帰ってきた出雲は、自室に籠って1人通帳とにらめっこしていた。


 ベッドの上で仰ぎ見る紙には、一介の高校生が稼げる額を遥かに上回る数字が記載されている。

 性能に拘らなければ、国産の新車を買ってもゆうにお釣りが来るだろう。


 時給250円。

 だが、働き初めた当初はエイルを雇っていなかったおかげでフルに給料を得ている。

 加えて、死亡時の復活代や嗜好品の購入があったとはいえ24時間賃金が発生しているのだ。いくら低い給料であっても、これぐらいの額は蓄えられて当然である。


 15分ほど通帳を見つめたところで、出雲は飽きてしまったように床に放り投げた。

 カサッと音を立てたそれは、部屋の一部としてあっという間に同化した。


 右腕で目元を覆い寝転がる。

 あと1時間もすれば夕飯だが、とてもではないがご飯を口に出来る気分ではなかった。


 虚しい。


 正当な報酬であるはずなのに何故かそう感じる。


 新しいゲーム機やスマホといった物を買いたいが為に始めたバイトだったのに、今はお金にちっとも惹かれなかった。


 自分は一体何を求めていたのだろうか。


『お金ではない報酬を望んでいた人は少しだけ待っていて頂戴。女神フラウの名において必ずや叶えてみせましょう』


 女神が言った言葉が妙に頭の中に残っている。


 あの時反応した鳥居や社、それに水無月はお金の為に仕事をしていたわけでは無いということになる。

 後に続くフラウの口振りからすると、水無月は命に関する何かを求めていたということだろうか。


 なら、自分は?

 本当にお金が欲しかったのか?

 自分が欲しかったものはそんなものだったのだろうか。


(やめよう)


 寝返りを打ち横になる。


 いくら考えても答えは出ない。

 無駄とは言わないが、具体的な解がない問題を直視するのは馬鹿げている。


「母さんご飯まだかな?」


 やたらと腹が減った。

 帰宅してから変に思考を働かせていたせいで、無意味にエネルギーを消費してしまった。


 ベッドから離れようと床に足を付ける。

 そして、部屋から出るため歩みを始めたところで──、


 先程投げ飛ばしていた銀行通帳を踏んで盛大に滑った。


「いってぇ!?」


 背中から落ち、衝撃が背から胸を駆け抜ける。

 一瞬痛みによって呼吸が上手くできなかった。


「いててて、何やってんだか。馬鹿すぎる」


 自虐を挟みながら立ち上がる。

 そして、騒ぎのもとになった通帳を手に取ると、鬱憤を晴らすようにベッドに叩き付けた。

 床を大きく鳴らしてしまったせいで、1階にいる母親に不審に思われたかもしれない。


「これじゃあエイルみたいだな」


 元相方のドジを思い出して微笑む。


(あいつ元気かな)


 まだ別れてから大して日は経っていないのに、天使の名前に妙に懐かしさを感じる。

 これも四六時中あの馬鹿天使と一緒にいたせいかもしれない。


「いやいやいや、別に寂しいわけじゃないし!」


 自分以外には誰もいない自室で何故か言い訳をする出雲。

 直ぐに我に返ったものの、あまりの阿呆らしさに乾いた笑みがこぼれた。


「思ったより依存してたんだな。屈辱」


 自分がこんなにも弱い人間だったのかと、正直情けなくなってくる。

 共にいた期間は1年にも満たないのに、毎日一緒に過ごせばここまで近くに居るのが当然と思えるのか。


(いや、これは腹が減ってるせいだ。空腹によってマイナス思考気味になっているせいに違いない!)


「母さんご飯まだー!」


 叫んでみるが反応がない。

 急遽きゅうきょ買い物にでも出ているのだろうか。


(ちっ、めんどくさいな)


 悪態を吐きながらのそのそと自室から出る。

 すると一階のダイニングの方から、テレビの音ではない人が笑う声が伝わってきた。


(お客さんでも来てるのか?)


 そう思いながらも廊下を突き進み、ダイニングへの扉の取っ手に手を掛ける。


 そこでもやはり母と誰かの愉快な声が聞こえてきた。

 余程ご機嫌なのか、入ろうとした決心が失せてしまいそうになるほどだ。


(空腹には変えられんか)


 例え客が来ていて食事の用意が終わっていなくとも、キッチンには備え付けの菓子パンがあるはずだ。

 客に一言挨拶を交わすだけで腹が満たせるなら、入る価値は全然ある。


 そう判断し、出雲はドアを開いた。

 だが、飛び込んできた景色は予想を遥か斜め上にいっていた。


「お母さんの肉じゃが絶品っすねー。じゃがいもの味が素晴らしいっす!」

「本当にエイルちゃんは嬉しいことを言ってくれるわねー。あ、このお漬け物もどう? 自家製なの」

「おぉ!? ほどよく漬かっているおかげで丁度良い塩気と食感がたまんないっす! 持って帰りたいほどっすよ!」


 出雲が開いた世界の先には、次から次へとご飯を食卓に並べる母と、それを美味しそうに頬張るエイルの姿があった。


「なにやってんだお前っ!?」

「あ、出雲。見て分かんないっすか? ご飯をご馳走になってるんすよ」


 のほほんと返してくるエイル。

 口元にご飯粒を付けた天使は、清々しいほど能天気な顔をしていた。


 出雲は無言で馬鹿天使の元へと近寄る。

 そして、脳みその代わりにアボカドが詰まっているのであろう天使のこめかみにげんこつを当てた。


「いきなり現れて何やってんだお前! とうとうお前自身がバグったか!」

「いた、痛いっす! やめて、やめるっすよぉ!」

「何で急に俺んで飯食ってんだよ! 何が望みだ、言え!」

「そんなのないっすよぉ!」


 結局母親に頭を叩かれるまで、出雲は天使を拷問する手を止めなかった。

 ついさっきまでセピア色だった出雲の世界に、急激な速度で色が戻った。

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