18、大丈夫

 1週間後の日曜日の早朝。ぼくは再び家を出てコウくんの家に向かった。

 大きなリュックとキャリーケースを背負って移動する姿は、まるで今から旅行に行く人みたいに見えるかもしれない。

 リュックとキャリーケースには、以前コウくんにも見せた「ぼくが今まで描いてきたコウくんの絵」がパンパンに入っている。とはいえ全部は持っていけないので、これでもかなり減らした方だ。

 それと、コンクールに出した作品は流石に持って来れないので、A4サイズの紙に印刷したものも入れている。

 いつもならこれだけの量は重くとても感じるのに、今日はちっともそんなことなかった。

 前回は1回目というのもあってすぐに帰ったけど、今日は少し粘ろうと思った。絵もすぐに見せて説明できるように持っていくことにした。

 元々一度で通る方が確率低いだろうなーとは思っていたから、今回も拒否されても無問題。また行くだけだからね。

 でも警察に通報とかされたらやばいかなぁ…そうなったら父さん達に連絡いくのかな。ぼく今日は友達のとこ遊びに行くって嘘ついちゃった。

 あんまり心配とか迷惑かけたくないからそれは嫌だけど、2回目だったらもしかしたらあるかもしれない。

 父さん、母さんごめんね。ぼく、心配かけてばっかりの不良息子だ。でもどうしてもやらなきゃなんだ。



 前回と同じ道を通り、コウくんの家の前に着く。深呼吸してからチャイムを押す。


 ピンポーン…ピンポーン…

 

 「はぁい、今行きまぁす。」

 ガチャリと扉が開くと、そこにいたのは前回のコウくんのお母さん…ではなく、茶色く焼けた肌に白髪混じりの短髪と髭を生やした、大きくていかつい50代くらいの男の人だった。

 これは…コウくんのお父さんだ、絶対そうだ!だってめちゃくちゃ顔が似てる!

 コウくんも将来こうなってたのかな、と少しだけわくわくする反面、前回の女の人が来ると思っていたら大きな男の人が出てきたことで、正直ぼくはビビってしまった。

 いやでも、そうだよね、お父さんの方が出てもおかしくないよね。

 とりあえず名前を言って挨拶すると、コウくんのお父さんは「はぁ…」とポカンとした顔をしている。もう追い返されない今のうちに話せるだけ話そう。

 「その、突然こんなことを話しても信じてもらえないかもしれないんですが、ぼく、黒谷さんの息子さん…黒谷幸太郎くんと、友人関係だったんです。正確には幽霊だった彼となのですが…13年間、彼と仲良くさせていただいてました。それで先日、幸太郎くんが成仏する前に、ご家族の方にして欲しかったことを話していたので、ぼくはそれを届けにきました。」

 少し一方的すぎるかな、と思いながらも、ぼくは話しながら絵を取り出そうとリュックを下ろしてチャックを開ける。すると

 「…アンタ、梨恵りえさんが話してた、例の高校生だな?」

と、さっきより低い声がして、思わず顔を上げた。

 そこには、睨みつけるようにこちらを見下ろすコウくんのお父さんがいた。

 思わずごくりと喉が鳴る。

 「えっ、と…」

 「なぁ、俺はアンタみてぇなのは知らねぇし、どこでうちのことを聞いて、うちの息子の情報得たのかも知らねぇがよ」

 ズイ、とコウくんのお父さんはぼくに近づいて、ぼくの顔を覗き込むように見る。嫌でも目があって、離せない。

 ぼくはまるで蛇に睨まれた蛙のように、冷や汗を流して固まってしまう。

 「そうやって、ふざけて大人を馬鹿にするのも大概にしろよ。ましてや、死んだ息子の名前を出して、2度もしていいことじゃねえだろ。なぁ?それくらいの判別、高校生なんだから、わかんだろ?」

 「ぁ…」

 どうしよう。怖い。

 コウくんのお父さん、めちゃくちゃ怖い。

 あと、想像以上に、友達のご家族の方からこういうこと言われるの、心にくる。

 ぼくはショートしかけた思考と口を必死で回す。

 「っ…ごめんなさい…不快な思いを、させてしまって…でも、決してふざけてたわけじゃ」

 「いい加減にしろ!まだ続けんのか!」

 「っ…」

 ドカン、とコウくんのお父さんの怒りの雷が落ちた。

 思わずビクッと肩が跳ねる。心臓がギュッとなって、思わず体が震えそうになる。

 「どう考えてもふざけてるだろうが!何が幽霊だ!どれだけ俺たちのことを、幸太郎のことをコケにしやがる!これ以上訳わからねぇことを言うんじゃねぇ!」

 怒声が、ぼくのビリビリと鼓膜を震わせる。こちらを睨むその目は怒りと、少しだけ悲しみを滲ませている。

 コウくんのお父さんは、ぼくの言うことを信じてないし、本気で怒っている。そう思ったら、胸がジクジク痛んだ。

 全部、ほんとのことなのになぁ。

 伝えるって、むずかしいね、コウくん。

 でも…

 「いいか、今回は警察に通報はしないでおいてやる、だからもう2度とこんなことをするな!ここに来るな!俺たちに顔を見せるな!わかったらさっさと去れ!」

 「…いや、です…」

 ぼくは緊張でカラカラになった口を開けて、情けないくらいに震えた声を必死に絞り出した。

 その言葉を聞いたコウくんのお父さんは、こめかみに青筋を浮かべて、さらに怖い顔になった。

 「お前、いい加減にしろよ…」

 「っ…嫌です!ぼくは、幸太郎くんの願いを叶えたくて、ここに来ました!だから、嫌です!彼の願いが叶うまで、あなた方がぼくの話を聞いてくれるまで、ここに来るの、やめませんから!!」

 無理やり声を張り上げて、コウくんのお父さんをキッと睨み返す。

 負けるもんか!怖くない!全然怖くない!大体、コウくんが怒った時の方が、ずっとずっと怖いし!

 コウくんのお父さんは鬼のような顔でしばらくこちらを睨みつけると

 「…チッ、話にならねぇ…いいからもう来んな!早くどっかに行け!」

そう叫んでからぼくから離れ、バタンッ!と扉を閉めてしまった。

 しばらくして、緊張がじわじわとけてきて、同時に脚からも力が抜けて、その場にへたり込みそうになる。そして、ぼくはそこでようやく周りの状況に気づいた。

 ざわざわと人の声が聞こえる。大声を出してしまったから、様子を見に来た近所の人たちが何人か来てしまったようだった。1人になったぼくのことを遠巻きに見ている。

 よく見ると他の人に混じって、この前ぼくに道を教えてくれたナオヤくんたちも、ぼくを不安そうに見ていた。 


 ああ、やらかしちゃったな。


 「…お騒がせして、すみませんでした。」

 ぼくはその人たちに向かって、頭を深く下げて、コウくんの絵が入ったリュックを背負い直し、それ以上周りの人のことを見ないようにして、駅のほうに向かった。

 


 午後には地元の駅に到着し、そのまま帰路につく。

 行きはあんなに軽く感じたリュックが、今はとても重い。

 だけどそんなぼくに追い打ちをかけるように、空にはゴロゴロと不穏な音を鳴らす暗雲が立ち込め始めていた。今日は一日中晴れって聞いてたのになぁ。

 絵を濡らしたら大変なので、ぼくは早足で家に向かった。


 「ただいまー…」

 「あら、翔おかえりなさい。」

 「翔、おかえり。…どうした、そんな顔して。」

 玄関扉を開けて家に上がると、リビングでテレビを観てくつろいでる父さんと母さんがいた。

 ぼく、よっぽど浮かない顔をしていたのかな、父さんたちはテレビを止めて、こちらにやってきた。

 「んーん、何でもない。今日は遊びに行った先でたくさん歩いたから、ちょっと疲れただけ。」

 「本当に、それだけ?」

 チラリと母さんがぼくの持ってる荷物を見る。友達の家に遊びに行くにしては、大荷物すぎるよね…

 「うん。それだけ。」

 「…なにか悩み事があるなら、遠慮なく父さん達に話してくれていいんだよ。いつでも聞くし、父さん達は翔の味方だからな。」

 「うん。心配してくれて、ありがとう、父さん、母さん。でも、大丈夫だよ。ごめん、ぼく、今から夕飯の時間までちょっと寝てるよ。」

 「そう…分かったわ。」

 「ゆっくりおやすみ。」

 「うん、おやすみなさい。」 

 父さんと母さんはいつも優しい。コウくんの件で色々、昔は理解されないときもあったけど、今は違うしね。ちゃんと「ぼくの大事な友達」だって、わかってくれた。すごく嬉しかったよ、ぼく。

 本当に、ぼくは幸せ者の息子だと思う。

 でも、ごめんね、父さん、母さん。ぼく嘘ついちゃったよ。

 心の中で謝罪しながら荷物を持って階段を上がる。

 電気をつけずに自室に入り、リュックとキャリーケースを置くと、ボフッ、とベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。

 「…疲れた…」

 本当に、今日は疲れた。

 こういうのって、一筋縄ではいかないのはわかってたけど、ぼくの父さんたちは「コウくんのことをわかってくれた」から、コウくんのお父さんたちもいけるかなって、ちょっと期待してたんだよね。

 でも、甘かったなぁ。

 コウくんのお父さんたちも、他の人も、幽霊のコウくんのことなんて見えないし、ぼくたちのことなんて、知らないんだもんなぁ…

 ごめんね、コウくん。ぼくまた失敗しちゃった。コウくんのご家族の人達に、絵を届けられなかったよ。

 それに、コウくんのご家族の人怒らせちゃったし、周りの人達にも、迷惑かけちゃった。コウくんも、今のぼくを見たら、怒るかなぁ…


 家に着くまでは降ってなかったのに、もうザァザァと雨の音が強く聞こえ始める。バチバチと窓や屋根を雨粒が責め立てる音がする。同時に、獰猛な獣が唸っているかのような雷鳴がより大きくなる。

 そしてピカッ!と空が光ったかと思えば、間髪をいれずにドォオオン!と、街が吹き飛ぶんじゃないかってくらいの轟音を立てて、雷が落ちた。

 その瞬間、コウくんのお父さんの怒鳴り顔と怒声が脳裏に浮かび、ぼくは俯せのまま枕をぎゅうっときつく抱きしめて、そこに顔をうずめた。

 …ぼくは、昔から雷が苦手だ。

 小さい頃は本気でへそをとられると思っていたし、あの音や、光ってから落ちるまでの瞬間が怖くて怖くて、雷が鳴るたびに泣いていた。

 でも、そんな時はいつもコウくんがいてくれた。

 雷の鳴る日は、たとえ真夜中でもコウくんは必ず来てくれて、

 「大丈夫だぞ。オレがついてるから。ヘソも取られないし、すぐに雷も止むから。」

と言ってくれた。

 幼いぼくが、ヘソを押さえながら布団から顔だけ出して

 「でも、それでも、かみなりさまに、おへそとられたら、どうしよう…ぼく、おへそとられたくないよ…」

なんてシクシク泣いていても、

 「そうなっても、オレが雷様ぶっとばしてショウのヘソをとり返してきてやる。だから、大丈夫。な?」

なんて言って、優しく笑ってくれてた。

 その時のぼくにとって、コウくんはいろんな怖いものからぼくを守ってくれるヒーローだった。ぼくが泣いていたら、絶対にやってきてくれた。

 お互い、触ることなんてできないけど、それでもコウくんは優しく頭や背中を撫でてくれた。夜寝る時なら、ぼくが安心してまた眠りにつくまで、そばにいてくれていた。

 本当にそれが、どれだけ心強かったことか。どれだけ、泣き虫なぼくは救われていたことか。

 撫でてくれた感触も体温も感じないけど、ぼくはあの時、コウくんがそうしてくれたことを、あの声を、あの笑顔を、今でもずっと、覚えてる。

 

 「…だいじょうぶ… 」


 コウくんが言ってくれたように、呟いてみる。強張っていた体から、フッと力が抜けて、楽になる。


 雷が鳴っている。ずっとずっと、鳴っている。


 だけれども、ぼくの意識は緩やかに呑まれて、そのまま深い眠りに落ちた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る