第14話 血、じゃないですか?

「皆様、おはようございます」

 毎朝、職員室では朝礼が行われます。私が頭を下げると、先生方も「おはようございます」と礼をされました。

「では、共有事項。まずは私から……。例年通り、来月クリスマス会を行ないます。来週の会議で出し物の案を集めますので、一人三つはアイデアを用意しておいてください」

 寺の幼稚園でクリスマスを祝うのは妙な話ですが、これは父の代から続けている行事です。これも時代の流れですし、子供たちからも評判です。

「他、共有事項はございますか」

 桐村先生が手を挙げました。どうぞ、と私は促します。

「例の刃物の不審者の事で、保護者からも心配の声が上がっています。何か僕らで対策を立てるべきかと思いまして――」

「対策と言ってもねぇ」

 口を挟んだのは篠田先生でした。

「私たちにはどうしようもないじゃない。犯人を捕まえるのは警察の仕事でしょ。それともの私たちに、刃物男を捕まえろって言うのかしら」

 篠田先生はという言葉を強調して言いました。

「でも、何もしないのも心配ですよ。だって近所の子は、一人で帰宅する事だってあるんですよ。そんな時に刃物を持った大人に出くわしたら……どうなるか分かりますよね」

「集団帰宅しろって事? 引率はどうするの」

「それは僕らが手分けして……」

「桐村先生。今ゆうひ幼稚園の総園児数は何名?」

 それは……、と桐村先生が言い淀みますと、篠田先生は「答えられないの?」とため息混じりに言いました。

「九十三名。自分の職場の園児数ぐらいパッと答えられなくてどうするの」

 ねえ園長先生、と篠田先生は苦い顔をして私を向きます。

「その九十三名の園児と集団帰宅なんて、引率はどうやってするの? 自宅の方面もバラバラよ。何人がかりで引率するつもり? その間、園に残っている延長保育の園児は誰が面倒みるの?」

 矢継ぎ早に攻め立てられ、桐村先生は二の句が継げなくなりました。

「じゃあ、園児の安全は……どうすれば」

「それは今すぐ答えを出せる問題じゃないわ」

 篠田先生はぴしゃりと言い切りました。桐村先生は腑に落ちない顔で篠田先生を睨んでいます。その視線に気付いた篠田先生は「何よ――」と睨み返します。

「言いたい事があるのかしら。はっきり言いなさいよ」

 空気が張り詰めてまいりました。悪い雰囲気です。私は横槍を入れるよう「はいはい、別の報告はございませんか」と笑顔で間に入りました。

 すると千夏先生が挙手されました。

「あの、絵の具を使ったクラスはありませんか?」

 絵の具? と先生方は聞き返されます。

「ええ。わたしも昨日の朝に気付いたんですが、たんぽぽ組の教室の前の地面がシミになってるんですよ」

 まさか……。私は息を止めました。

「私も気になってたの。赤っぽいというか、茶色っぽいというか……。どこのクラスなのよ、アレ」

 そう言った篠田先生は先生方を見回しました。知らない、という顔を誰もがしております。その位置……早織ちゃんが死んでいた場所です。

 赤いシミというのは、血の痕でしょうか。あの夜、きれいにホースで流したつもりだったのですが、一部はコンクリートに残ってしまったようです。それが一日経ってこびり付き、空気に触れ続けて赤茶色に変色したのでしょう。

 おかしいですねぇ、と桐村先生が声を低くしました。

「昨日も一昨日も、絵の具を使ったクラスはありません。第一そんなところで絵の具のバケツを流したりする子はいませんよ。僕だったらしっかり注意します」

 ですよね……、と千夏先生も同調します。篠田先生が口を開きました。

「絵の具じゃなくて、油じゃない?」

 油……。その一言に、私の指がぴたりと固まりました。

「園児が持ってるのは水彩絵具よ。こびりついても水で流せば溶けるでしょ。昨日は結構な雨が降ったのにシミが残ってるって事は、油性の何かじゃないかな」

 私はようやく言葉を発せました。

「そ、それなら給食をこぼした園児がいた、などでしょうか。ほ、ほら。油ものは服に付いてもシミになりますし」

「えええ、外ですよ。外で給食を食べてた子なんていませんよ」

 千夏先生がそう否定すると、篠田先生も続きます。

「一昨日の午後はうちのたんぽぽ組が体育だったけれど、そんなシミなかったわよ。つまり給食のシミじゃないって事ね」

「それなら一昨日の夕方から、私が発見した昨日の朝までに汚れたって事ですか……。ご飯時じゃありませんし、そもそも園児がいる時間でもありませんか」

 うーん、と顎に指を置く千夏先生。大きな瞳をぱちくりさせています。その目は厄介な好奇心に満ちていました。その薄い口唇が再び開かれました。

「階段の下……ですよね」

 ひそめた声。私のうなじに冷や汗が這います。

「もしかして、誰かが階段から落ちた……とか? ってなると、あのシミは……まさか……血、じゃないですか?」

 頭を殴られたような衝撃が走りました。この千夏先生、勘が鋭い……。

 何言ってるんだよ、と桐村先生が入ってきます。

「あのシミだと相当の量だよ。血だったら、大怪我じゃないか。そんな大きな事故なんてなかっただろ」

「隠したんじゃないですか?」

 即座に言い切る千夏先生。目を輝かせて続けます。

「階段から落ちて大怪我した人が自分で血を掃除した。もしくは第三者が掃除して、怪我人も隠した――とか」

 桐村先生が「怪我人を隠すって、あり得なくないか。どういう状況なんだよ?」と眉を顰めました。

 顔に汗が滲みます。脂汗です。つまり――、と千夏先生は続けます。

「死体遺棄事件――、じゃないでしょうか」

 私は凍り付きました。篠田先生が「何言ってんの」と鼻で笑います。

「物騒な事言ってんじゃないわよ。変な噂になったら、園の評判にも関わるでしょ」

 きつく言いつけられ、千夏先生は口を噤みました。そしてぽつりと呟きます。

「……じゃあ、何のシミなんでしょうか」

 怪訝そうに考え込む先生方。このままでは本当にシミの原因を突きとめようとされるのではないでしょうか。私は耐えきれなくなって口を開きます。

「すみません。実は、私の所為せいなんです――」

 園長先生がっ? と先生方は驚かれました。

「はい……。二日前の夜です。床用のワックスを運んでいる途中、少しこぼしてしまいまして……。水で流したのですが、残ってしまったようですね」

 また嘘をつきました。

「黙っていて申し訳ありません。階段下のシミの事は、私が責任をもって掃除します」

 深く頭を下げると、先生方は快く許してくださいました。

 私は「他に報告はございますか」と早々に話を切り替えます。すると桐村先生が「質問なんですが――」と手を挙げました。

美津みつ海斗かいと君――というのは、たんぽぽ組の子でしたよね」

 そうだけど、と受け持ちの篠田先生が答えました。

「延長保育で担当したんですが、どうも年齢よりも幼い気がするんです。甘えん坊と言いますか……ちょっと度を超えている気がするんです。クラスでは、どんな様子なんですか」

「別に、普通だと思うけど。集中力が足りないところはあるけど、年相応じゃないかしら」

 それが……、と桐村先生が顔を顰めました。

「延長保育だと、僕と千夏先生が担当する時もあるんです。その時なんですが、海斗君が千夏先生の……その、胸やお尻を……」

 千夏先生は恥ずかしそうに表情を崩しました。篠田先生はきつく千夏先生を睨みます。

「クラスでは、そんな事はないわ。抱きつかれたり身体を触られるのは、甘く見られてる証拠よ。あなたがメリハリを付けなさい」

 は、はい……と、千夏先生は不服そうに目を伏せます。しかし篠田先生はその態度を見過ごしませんでした。

「何なの。若いから子供が寄ってくる、みたいな顔して。自分が人気者とでも思ってる?」

 篠田先生の語気が強まります。さすがに私が「先生、そんな言い方なさらなくても……」と宥めますが、篠田先生は止まりません。

「それは人気じゃないわ。勘違いしないで。ただ舐められてるだけ。あなたの指導力が不足してるだけよ!」

 篠田先生は千夏先生の顔を指さし、唾を飛ばしながら言いました。捲し立てられた千夏先生は涙を溜めておられます。俯いた千夏先生は絞り出すように、こう呟かれていました。

「……すみません。わたしの所為せいです」

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