ピクニック ~その1~

「ピクニックに行くのです!」


 夕飯を終えた食堂に、麻色の髪を持つ少女の甲高い声が響いた。


「なので、その準備をするのです」


 その台詞に、侍女のアイネスは他の使用人たちと互いに顔を見合わせた。


 声を上げた当人はと言うと、先ほどまで座っていた椅子の上に立ち上がり、腹を前に突き出した格好で、フォークを手にふんぞり返っている。


「こんな夜更けにピクニックへ行く愚か者は、あなただけですよ。それに二度と肝試しはしないと、私に地面に頭を擦りつけて、謝っていませんでしたか?」


 執事のセドリックは少女にそう告げると、おもむろにその足元にある椅子を引いた。その動きに、少女の小さな体が、達磨落としの如くすとんと床に落ちる。


 だが少女はそれに動じることなく、セドリックの方を見上げると、フンと鼻を鳴らして見せた。


「地面に頭を擦りつけて謝るなど、あり得ないのです。それに愚か者はお前なのです。誰が今から行くと言ったのです?」


「お嬢様に愚か者と言われると、この世の誰に言われるよりも心外ですね。その生意気な口をフォークで縫いますよ。それに散歩はもうこりごりと言っていたのを、早くも忘れたのですか?」


「そんな記憶はまったくないのです」


「あなたの頭の中身は、振れば音が出る程度にしか詰まっていないのは、よく分かっています。それでも記憶力はネズミにも劣りますね。ネズミでも餌の在りかぐらいは覚えていますよ」


「誰がネズミ並なのです。それにセドリック、やはり愚か者はお前の方なのです。散歩とピクニックは違うのです。散歩は歩くだけなのです。ピクニックはお弁当を持って、もっと遠くへ行くのです!」


「大した違いはないと思いますが?」


 セドリックは侍従服の裾を引いて僅かな皺を伸ばすと、彫像の様に美しく整ってはいるが、見るものに冷徹さと畏敬の念を感じさせる顔を僅かに傾けて見せた。


「とっても違うのです! それにお前の意見など聞いていないのです」


 少女が手にしたフォークをセドリックに向けつつ、そう叫んだ。


「やはりその生意気な口を、フォークで縫い付けてやる必要がありそうですね」


「お嬢さま、明日の天気は大丈夫でしょうか?」


 セドリックが少女の手からフォークを取り上げたのを見て、アイネスは慌てて声を上げた。二人にこの会話を続けさせると、この先何が起こるのか想像もつかない。それにピクニックと言うことは……。


「今夜は星がきれいなので、明日は間違いなく晴れなのです。絶対に行くのです。フフフ、それに今度こそ……」


「ですがお嬢様、どこにも星は見えないようですが、本当に大丈夫でしょうか?」


 窓の外を眺めたアイネスが少女に問いかけた。どう目を凝らしても、窓の外に星の瞬きは見えない。


「ななななな! そんなことはないのです。いっぱいに輝いていたのです」


 少女はアイネスの言葉に首を横に振ると、背後の窓に取り付いた。だがアイネスの言う通り、窓の外は真っ暗で、星の瞬きなど何処にも見えない。


「お嬢様の頭の周りを飛び回っている星と、見間違えたのではないですか?」


 セドリックの言葉に、少女が怪訝そうな顔をして見せた。


「どこにもそんな星は見えないのです」


「混乱している者だけが見えるという、伝説の星ですよ」


「ななな、なんなのです。おのれセドリック、主人をばかにするとは許せないのです。今すぐ首なのです。すぐにここを出ていくのです!」


 少女は麻色の髪を両手で搔きむしりつつ、非難の声をあげたが、セドリックはそれを完璧に無視すると、ソースでべったりと汚れた少女の口をナプキンで拭いた。そして執事服の裾を伸ばして、僅かについた皺を伸ばす。


「そんなセリフを吐くのは、あと1000年ほど早いですな。それに何かよからぬことを企んでいますね。もう一度、ピーマンの肉詰めを食べてみますか? その口がもっと正直になると思いますよ」


「ななな、なんでもないのです。ピクニックはピクニックなのです。それにあれは、絶対にピーマンなんかではないのです!」


「あのう?」


 いがみ合う二人の背後から、アイネスが小さく声を掛けた。


「アイネス、なにかね?」


「明日のお弁当は、何にすればよろしいでしょうか?」


「サンドイッチに決まっているのです!」


「はい、お嬢様。承知いたしました!」


 アイネスは少女に向かって、その黒い瞳の中にキラキラと星を輝かせながら、深々とその頭を下げた。


 



 目の前には、夜明け前の僅かに白みかかった空を背景に、禁忌の森の黒々とした姿がある。クルスはその入口を前に、簡素な地図をもう一度見直した。


 クルスは父親が道具箱の底に隠していた日記、と言うより走り書きを見つけて以来、ずっと心に決めていたことを実行に移そうとしている。


 クルスには叔母が一人いた。いたはずだった。だが彼女がまだ幼かった時に、禁忌の森に迷い込んで行方知らずだ。


 だがクルスが見つけた父親の手記には、父が母と結婚する費用を得る為に禁忌の森に入り込んだこと。その後を叔母がついてきていて、命を助けてもらったにも関わらず、そのまま置き去りにして、一人逃げ帰ったことが書いてあった。


 父がどうしてそんなことを書き残したのか、クルスには分からない。きっと父もずっと後悔していて、それをどこかに吐き出さずには、いられなかったのだと思う。


 それを見つけて以来、クルスは必ずそこを訪れることを、そして父に代わって叔母に懺悔することを心に誓った。そして今日、父が禁忌の森に叔母を残してきたこの日、自分はついに森へと入るのだ。


 どこかで夜鷹が鳴いている。クルスは背嚢の中身の確認を終えると、禁忌の森へと足を踏み入れた。

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