偏屈に与ふる書への応援コメント
同意しかないです。
灰色だけではなく虹色もあるだろうし
もっと奇想天外の色もあるって
思って欲しいです。
作者からの返信
お読みいただきましてありがとうございます。
「白か黒か」でことを判じる二分法は、使いどころを間違うと非常に危険なんですよね。世の中はそう簡単に出来ていませんから、これをみだりに振り回すと変に人を傷つけてしまうだけでなく、社会そのものを大混乱させることにすらつながりかねません。
創作も同じように人間がやることの上、何より個人の感性に基づいて行われるもの。二分法で切れるというのは余計にあるものではありません。
「灰色」というのは白黒の中間のあいまいな部分という意味ですが、実際の色と考えればもっと色彩チャートにないような色があってもいいですね。出版や印刷では「特色」と呼ばれるコンピュータで出せない色(金銀など)があるのですが、そういう色だって出て来たっていいと。
偏屈に陥ってしまっている人たちは自分の色が一番いいと思っているわけですが、他人の色に対しては色彩を感じず「白」と「黒」だけの判別をする。こう考えると実に皮肉なものです。
編集済
偏屈に与ふる書への応援コメント
苫澤さん、はじめまして。
いわゆる、なろう系転移転生テンプレが賑々しく上位を席捲する状況を糾弾する方々の、ごく一部に見受けられる偏屈な姿勢を憂いておられるエッセイを読ませてもらいました。
私個人は、別にいいんじゃないの? という感じです。
主に十代の方を中心として書く方も読む方も、テンプレを愉しむ方が大勢いるのは理解できます。
危惧するところがあるとすれば、その作風を二十代になっても三十代になってもこの方々は続けていくのだろうか。読んでいる側も世の中に沢山ある良作や古典なんか見向きもしないまま貴重な若い時の読書をネット小説だけで済ませるのだろうか。そんな老婆心くらいです。
十代の方には十代の方の、今これが最高に面白い! というものがあって、それが勢いをもって上位を総なめにするのは歌と同様、自然な流れです。
偏屈な方々を納得させるには、カクヨムに書き手30歳以上のカテゴリでも作るか、棲み分けとして異世界ファンタジーを独立させてしまうしかないのでしょう。そうやって分かれても、偏屈な人たちはまた何か文句を云い出すはずです。
おそらく偏屈な人たちの不満の根幹にあるのは「自分の作品が読まれていない。正当な評価を受けていない」にあるのでしょうから。
ところで苫澤さんは昭和初期の歌謡曲がお好きなのですね。
(蘇州夜曲とか……?)
漠然としたイメージしかなかったのでyoutubeでさっくり聴いてみました。
へええ、こういう曲と演歌って対立してしまうものなのですね。無知ゆえに、そこはちょっとよく分かりませんでした。
同じようになろう系とそれ以外の人が書くものも、外部からみれば、なぜ反目するのか分からないのではないでしょうか。
一つだけ確かなのは、心ゆくまで創作を愉しんでいる十代の人たちは偏屈な人たちのことなんかまるで眼中にないということです。
しっかり考えて書かれたエッセイをありがとうございました。
作者からの返信
お読みいただきましてありがとうございます。
私が「テンプレ」系作品に融和的なのはまさにそれなんです。いろいろな目的で来てる人がいるんですし、お気楽極楽な作品を求める人がいるのも当然、存在否定まですることはないと。だから上位がこういう作品で占められるのも「まあそうなるな」程度の気持ちです。
ただサイト占拠状態になってしまうのはやりすぎなので「あんまり野放図はいかんよ」と釘は刺しておいた方がよかろう、というところでしょうか。
危惧するところ、私にも分かります。これを長く続けると他のものが恐らく書けなくなってしまいますし、アイディアの引き出しも先細りを起こすと思います。多分どこかで困ってしまいますよ。
読者の方もいろんなものを読んでの「読書」だと思うのですよ。ストレスのない世界で空想に遊ぶのもいいけれど、それはそれ、これはこれ。いろんなものに興味を持つことが出来るのは若い方の特権ですからね。
偏屈に陥ってる方々を納得させるには、カテゴリ分けを使ってもまず無理でしょう。『小説家になろう』では「異世界転移・転生」が独立ジャンルで立っていますが、それでもこの層は消えません。そういう前例もある上、そもそもどういう立て方をしていいのかも見当もつきませんからそういう対策は取れないでしょう。結局処置なしです。
「自分の作品が読まれていない、正当な評価を受けていない」が不満の根幹とのご指摘、まさにそれです。一番は結局それなんですよ。確かに面白くないですから不満が生じるのは理解するんですが、だからといって相手を憎んでも仕方ありません。読まれる機会に不平等が生じている、そこが問題なのに坊主憎けりゃ袈裟まで憎いになっては仕方ないです。
私は「流行歌」と一括で称されていた頃の曲をたしなみます。時代はまさに初期で、おおよそ昭和二十年代いっぱいでしょうか。『蘇州夜曲』は昭和十五年なので期間中頃ですね。一番好きなのは松平晃さんです。
流行歌と演歌の対立については非常にごちゃついているので紙数の関係上省きましたが、少し説明します。
この対立は流行歌のファンによる神聖化が主な要因です。音楽学校出身の音楽家や声楽家がたくさん関わったこともあって、ファンに「フォーマルな存在」として受け止められているんですね。それと比べると演歌はぽっと出の歌手が汚いこぶしを入れてしょうもない粗製濫造の曲を歌う、下品下劣だと、そういう認識がありまして。
でも実際には流行歌手もぽっと出多いですし、粗製濫造も普通にありますし、違うのはうまい人が多いくらいなので人のこと言えないんです。
これも結局は「流行歌が風化させられている、正当な評価を受けていない」が本音ですよ。生理的に受けつけないならしょうがないですけど、当たってる暇があったら将来に受け継がれるようそっちに力を注いでは……と思っています。
おっしゃる通り、Web小説での反目も全く知らない人には分からないと思います。分かるのはおたく文化に触れている人たちだけでしょう。うちの親(七十代)にも説明したことがありますが、不思議そうな顔をするばかりでした。
偏屈な人たちの批判を見るたびに「これ絶対批判されてる側の人見てないよな」と思っていましたし、実際に届いていないでしょう。本人が闇落ちして恨みにこり固まるするばかりで、批判対象には意にも介されない。何ともはや。
さっと書いた文章だったので出来が心配だったのですが、ご好評をいただけましたことを改めてお礼申し上げます。
編集済
偏屈に与ふる書への応援コメント
なるほどな、と思いました。
僕はお互い様な所があると思うんで、互いに心行くまで殺し合えばいいんじゃないかな、と思ってますw
だから僕も殺しに行くかもしれないし、殺しに来られても構わないです。正面切って戦うかどうかはわかりませんがw
作者からの返信
お読みいただきましてありがとうございます。
こんな諫めるような文を書いておいて何ですが、私も偏屈な人たちには心行くまでやらせるしかないんだろうなと思っています。
何せ人の話を聞かないのですから、止めようがありませんし。
それにあの手の方々は、「テンプレ」系を書く作者の方から反感買っても上等だと思ってるきらいがあります。それは批判じゃなくて批難・侮辱・挑発・けんか売りの類だというようなこと書いてる人も普通にいますし。
ないと信じたいですがもし衝突が起こってしまったら、正直「もう勝手にやってくれ」と関わりを避けるしかありません。
私も需要がある以上ある程度まではお互いさまの部分があると思いますので、せめてそんなことにはなってほしくないものです。
偏屈に与ふる書への応援コメント
学生時代の音楽教師が、
「クラシック以外の音楽は認めない!」
と云う先生でした。
歌謡曲も演歌も民謡も『雑音!』と言い切っていました。
正直、生徒も他の教師も呆れていたと思います。
音楽コンクール? などで実績も有ったので彼女に意見出来る人も居ませんでしたね。
アルファポリスの話ですが、人気作者様も いろいろと大変なようです。
更新速度を上げろ!
展開が気に入らないから変更をしてくれ!
( 皆、ハッピーエンドを希望?)
句読点、文章の指導(国語教師と名乗っていたそうです)
作者様のエッセイや近況ボードで告白していました。
ちなみに私も熱烈?なファン?から
1000文字×複数の感想を送られました。
感想欄にビッチリです。
却下、削除の申請があったので却下しましたが証拠は残してあります。
※アルファでは感想を承認すると作者も読者も削除出来ない仕様に成っています。
特にアルファで人気作者様が、『なろう』で受けたのは、沢山の誹謗中傷を書かれた上に時間が経つと削除されると云うモノでした。
一応、スクショで証拠を残しているらしいですが………その読者は🌟評価を増やしたり減らしたりしていたそうです。
気を悪くしたらスミマセン。
『なろう』では書籍化した作者が続きを見たかったら『買ってクレクレ』をしていました(こんな人は論外ですが)
立場が違えども、それぞれの作者様が悩みながら執筆していると思います。
作者からの返信
身の周りにいらっしゃいましたか……。実は教師の方でなくとも、戦前や戦後しばらくにはそういう人がいっぱいいたので想像つきます。
そういう偏屈をこじらせた人って、周りも見てて不愉快だし面倒な人扱いされて引かれてしまうんですよね。
しかもそういう人に限って何らかの権力持ちなので余計に困るという。
その先生も知らず知らず人を傷つけて怖がらせ、厄介な人扱いされても気がつかない……そんなところでしょうか。
それはそれとして、作者の方が苦労させられているというのは納得です。
紙数の関係上省いたのですが、外部では当初Web小説の環境悪化の要因を作者のみに求めていたのを、最近では読者にも求めるようになっています。「作者は読者の求めで書いてるんだから読者が悪いんじゃないか?」と。確かに悪循環の気がありますので。
更新速度への文句や展開への注文やいらぬ添削など、まさに個人のWebページに載せていた頃からよくあったことだそうで、まあたちの悪い読者は今も昔もいるんだなと。
千文字を複数はちょっと怖いですね。その分だと中身はどうも……なものだったのではないかと推察しますが。
『小説家になろう』で荒らされた方は、かなりきつかったでしょう。あそこは突出して治安が悪いと聞いています。☆を減らしたり増やしたりなんかは私が食らったら立ち直れる自信がありません。昔のpixivの☆1つ評価みたいな陰湿な代物ですよ……。
私が「テンプレ」系の作品に対して無用な攻撃をしないのは、こういうことも合わせてのことです。あの人たちも苦労はしてるだろうなと思うので。
だからこそやっぱり批判するなら、どの点を批判すべきかということは考えてやらないといけないと思うんですよね。ほんと不幸にしかなりません。
編集済
偏屈に与ふる書への応援コメント
この文章のような書式の作品をユーザー企画に持ち込むと、「もっと改行や空白行を多めに使うべきだ」といった感想をよく頂きます。句点ごとに改行しろと言われたこともあります。画面の横幅が狭いスマートフォンから閲覧する場合、文字の詰まった文章は読みづらいのだそうです。
個人でそう思っておられるぶんには、なるほどそうですか、としか答えようがありません。しかし、創作論系のカクヨム作品を覗くと「ネット小説では」「読者にとっては」などの大きな主語を使い、改行や空白行を多めにとるのが「普通」「当たり前」だという言説を広めている人達がいます。
視野の広さに個人差があるのは仕方ないですけど、視野の狭い創作論が初心者さんを感化し、読みやすさ、読みづらさにしか目を向けない、作品に寄り添おうとしない、視野の狭い感想を蔓延させるのなら、勘弁してもらいたいですね。
ひとりふたりの愚行に憤っても、自分の知らないところで同じ愚行が100も200も繰り返されており、キリがありません。せめて自分だけは、作品の外面にとらわれず、ストーリーについて感想を述べるよう心がけたいものです。
作者からの返信
お読みいただきましてありがとうございます。
「改行と空白行を使え」と面と向かって言って来る人がいるのですか。内容ですらない上っ面に文句をつけ、強要するようなことを言うのはさすがに失礼すぎますね。文体が読みづらいというならまだ感想になっていますが、こうなってしまうと感想ですらなくまさに「余計なお世話」以外の何ものでもないでしょう。
それ以前にWeb小説で行間のない文章は読みづらいと決めつけるようなこと自体が、そもそも奇妙な話です。これ、結局は気軽にこま切れでちょこちょこ読むのを好む人の基準なんですよね。そういう人の中にはスマートフォンで読む方も相当数いますので、おっしゃる通りそういう意見が出るようです。
でも中には、どんと座して読む人もいるのですが。スマートフォンでもやろうと思えば普通に出来ることなので、画面の狭さをもってそれを言われても困りますよね。
しかし個人の好き嫌いの領域を超えて、創作論でそれを絶対視するようなことを言う人たちまでいるとは。それはいかにもまずいでしょう、おっしゃる通り作者だけでなく読者にもおかしな影響が及んでしまいます。創作指南ものの中には極端なことや明らかに見当外れなことを書くものがかなり多く、私としては見かけるたび警戒しているのですが……そこまでする読者は余りいないでしょうからね。
こういったことが、本作でも少し書いている読者の質の低下に一役買ってしまっているのは明らかでしょう。そしてそれを見て偏屈な人がまた騒ぐという地獄が。
正直、もっと読者には作品に寄り添うという態度がほしいものです。それが出来ていれば、あくまで表面にすぎない改行や空白にけちをつける発想がそもそも出ないはずなので。作者が見てほしいのはそんなことではなく、どこまで行っても内容だということを忘れないでほしいのですよ。
個人的にはWeb小説が読み捨て消費するだけのコンテンツとして扱われる状況が続いていることも、こういう傾向を強くさせていると思います。それだけではないのに。
私もスタイルだけで散々忌避されて苦渋を味わっている身なので、心がけてくださる方がいらっしゃると心強いです。お互いがんばってまいりましょう。