第三話 命を救うために

3-1

「魔力を回復させる効果がある魔法薬は、ありったけの数を用意してください。寄生している糸状虫の数によっては長期戦になることが予想されます。その間、治癒の魔法陣を起動したまま維持しなければならないため、多くの魔力が消費される可能性が高いです。ほんの一瞬でも魔法陣の効果が途切れたら、治療に失敗する可能性が高まると考えてください」

「は、はい!」

「用意した魔法薬はこちらのテーブルへ。手術用の医療具たちもこちらへ一緒に置いてください。手術台は……用意できたら一番なのですが、さすがに医院から持ち込んでもらうのは困難ですね……。大きな清潔なシーツを用意してください、大きめのテーブルにかぶせて簡易的な手術台にします」

「わ、わかりました!」


 ばたばたと慌ただしく使用人たちが部屋の中を行き来する。

 彼ら、彼女らに素早く指示を出すシュユの声が絶えず部屋の中に響き渡る。

 スウォンツェの療養部屋は今、慌ただしさと物々しい雰囲気に包まれていた。

 元々壁際へ寄せられていた家具に加え、他に設置されていた家具も大部分が邪魔にならないよう、壁際へと寄せられている。

 あるのは大小さまざまな大きさをしたテーブルと、シュユやベアトリスが用意した医療具など治療に必要になるものばかりだ。


 療養部屋から治療室へ様変わりした部屋の中、シュユは床に座り込み、魔法陣を描く際に使われるペンと専用のインクを使って直接魔法陣を描いていた。

 絨毯を剥ぎ取られたフローリングの上に引かれた白いインクによる線は、人の目を大いに惹く。速乾性に優れたそれは引いた端からどんどん乾いていき、魔力伝達を助けるために配合された細かく砕かれた魔法石が照明を反射してきらきら輝いていた。


「しかし……本当によろしいのでしょうか……。侯爵様は問題ないとおっしゃっておりましたが……」

「治療のために必要なのでしょう? どうかお気になさらず。インクは私どものほうで掃除すれば問題ありませんので!」


 はつり。思わず小さな声でこぼした独り言に、返る声がある。

 ちょうど作業をしていたシュユの傍を通りかかったメイドはそういうと、にかりと笑って自分の作業へ戻っていってしまった。

 苦笑を浮かべて彼女の背中を見送り、シュユは円形に引いた線と線を繋ぎ合わせると、優雅な動きで立ち上がる。

 足元に描かれたのは、手術が必要になる大がかりな治療が必要となる際に、必ず描かれる治癒の魔法陣。


 ――そう。シュユは今、侯爵邸の一室で手術を施そうとしていた。


 条件を一つ飲んでくれるのであれば、フィルアシス症を治療する。

 シュユがリュカへそういったあと、彼は一切の迷いなく、ためらうこともなく、シュユへ治療の許可を出した。

 さらに、今回のスウォンツェの治療は全てシュユへ任せ、ベアトリスにはシュユのサポートをするように命令を追加で下し、早々にジェビネを連れて退室してしまった。

 答えを出すのがあとになると思っていただけに、リュカの決定にはさすがのシュユも驚いてしまった。


 ベアトリスもまさかリュカがそんな判断をするとは思っていなかったらしく、大きく目を見開いていた。突然出てきた信頼できるかわからない幻療士――それも、現場を見ているかわからない貴族の令嬢に治療の全権を掠め取られ、彼女も内心では面白くなかったに違いない。

 現に、ベアトリスがシュユを見る目により厳しさが増し、メディレニアが面白くなさそうに短く唸り声をあげたほどだ。

 それでも、リュカの命令に従い、シュユのサポートに回ってくれる彼女には感謝しかない。


「エデンガーデン様、準備が整いました」


 ちょうどベアトリスの姿を脳裏に思い描いていたタイミングで、ちょうど本人から声がかけられた。

 ぱっとそちらへ目を向ければ、自身の医院から連れてきたのか、手術着やナースウェアに身を包んだ数人の幻療士を引き連れたベアトリスの姿が視界に映った。

 ふわりと柔らかく口元へ笑みを浮かべ、シュユは身体ごと彼女たちへ向き直った。


「ありがとうございます、ピスタシェ様。ピスタシェ様の医院の皆様方も、ご協力ありがとうございます。今回はどうぞよろしくお願いいたします」


 深々と丁寧にお辞儀をする。

 頭を下げている時間は数秒。すぐに顔をあげ、シュユは浮かべていた笑みを消して真剣な表情へと切り替えた。


「使用人の皆様方も、準備のお手伝いをありがとうございました。おかげで治療の準備がスムーズに終わりました」

「いえ、私たちは旦那様から命じられたことをなしただけですから。……スウォンツェ様を、どうかよろしくお願いします」


 執事が深々と頭を下げ、シュユへそういうと他の使用人たちとともに治療室を出ていった。

 ぱたりと扉が閉じられれば、この場に残るのはシュユとベアトリス、彼女が連れてきた幻療士たち――そしてメディレニアとスウォンツェのみだ。


「それでは、カンファレンスを始めましょう」


 緊張感と静けさに満ちた中で告げたシュユの声は、よく響いて聞こえた。

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