第22話 侵略
私のせいだ。
環がまず思ったのはそれだった。
全部、私のせいだ。
村の家屋が燃えている。男たちが燃えた家屋を倒して消火しようとしている。先導しているのは仁だった。環を見て、はっと目を見開き、何か他の男衆に指示すると、静かに環に走ってくる。
「環、隠れろ」
「何があったの?」
「いいから出てくるな。隠れていろ」
仁の言葉には力がこもっており、以前の環なら従っただろう。
「だから、何があったのかを聞いているの。それでどうするのかは私が決める」
仁は驚き、それから口を開いた。
「誰かが村に火をかけた。怪我をしたやつもいる。お前は危ないから隠れていろ」
「誰かって、誰なの」
「わからん」
仁は首を振った。困惑しているようだった。嘘ではなさそうだと環は判断した。
「外の人の仕業なの?」
「わからん。だが……」
言葉を切る。何かを隠している。問い詰めようとしたところで、誰かが叫んだ。
「おい! 環だ!」
声に含まれる怒りに、環は動けなくなる。声を上げたのは、環の知った男だった。声から庇うように、仁が環の前に出る。
「火消しに戻れ! この火と神には関りがない!」
「そんなわけがねえだろ! やっぱりあいつじゃだめだったんだよ!」
怒鳴りあう二人に、村人たちも気付く。仁は振り向かずに言った。
「逃げろ」
環はその言葉にほとんど従おうとして、だが堪えた。仁の影から出て叫ぶ。
「聞いて! 私は都から神様のことに詳しい人とここに来たの。これからどうしたらいいのかをちゃんと見てもらおうと思って!」
環の必死の様子に、殺気立っていた男たちの毒気が抜ける。
「大丈夫ですか」
兵士たちが環に追いついた。環は振り返って必死に頼む。
「誰かが村に火をかけたみたいなんです。火を消すのと、村の人たちを手伝ってくれませんか。仁、この人たちは都から来た兵隊さんなの」
「誰かは環についていてください。とりあえず、ついてきてください。火を消します。環」
仁は環をまっすぐに見据えた。環は見返す。
「絶対に一人になるな」
仁の声には、もともと人を従わせる強さがある。
上に立つものとして、大きな責任を負って生まれてきた。だがそのとき環の胸を打ったのは、上から指示するというよりも、どうしようもないものを前にしてただ頼むしかない必死さを感じたからだった。弱さの中で縋っている。環は頷いた。
「わかった」
仁は祈るように強く頷き返すと、まだ不信のくすぶる男たちを先導して、村のほうへ戻って行った。
「こちらへ」
ついていきたい感情を抑え、環は兵士に従った。
兵士たちの力添えもあって、火はすぐに消し止められた。焼け出された村人たちは座り込み、女たちが水を配っている。環は兵士たちに囲まれていた。村人たちが、環を見て何事か囁いている。好意的ではない。環はただ平静な様子で座っていた。心の揺れが、表に出てこない。今動揺を見せるのがまずいのはわかっていた。村人たちはずっと環と村の平穏を重ねていた。村が危機にあるなか環が動揺すれば、今なんとか保っている束の間の平穏さえ崩れてしまうだろう。ただ動揺するだけではすまず、暴力に出る可能性もある。村人たちの胸にある不穏な感情を、今は刺激してはいけない。村人たちの中に両親の顔も見た。両親たちは村人たちから離れたところに二人で座っていた。顔に煤をつけた母も、父も、ほんの少し離れていただけなのに、記憶よりも小さく見えた。環を意識しているが、近寄ったり、話しかけたりはできない様子だ。他の村人を気にしているのだろう。
弱い人たち。
環は思った。親に対して礼を失していると思ったが、新しい常識を手に入れた環には、どうしてもそう見えてしまう。みな、弱い。自分もまた弱かった。神のもとで、弱いものたちが集まって暮らしている。
兵士が何かを持って、仁や村長のもとに向かう。さりげない様子で、二人は村人たちから離れて話をする。環も駆け寄って話を聞きたかったが、抑えた。だが、他の村人が仁に詰め寄る。その強い様子に、うなだれていた人々の中にくすぶっていた怒りが刺激される。
まずい。
だがそれを表に出すことはできない。膝の上で手をきつく握りしめる。
「だいたい、なんで環がここにいるんだ」
誰かの声が、ざわめきの中でもはっきり響いた。
「村を裏切って逃げたんだろう!? だからこんなことになったんじゃないのか! お前の家が悪いんだろう! さんざん贅沢させてもらってよ!」
どうしてそんなひどいことを。環は思うが、反論はできなかった。役目を負うとは、この村ではそういうことだった。環は役目を果たさなかった。
村人たちは互いの顔を見合わせる。どう動くのか決めかねている。環はただ座っていた。その様子が気に障ったのか、男が一人、環に歩み寄った。
「やめなさい」
兵士たちが声を上げる。村人たちとは体のつくりから違い、兵士の静止は暴力の匂いがした。村人たちの気が一度に萎える。統率力のある村長のもとで安楽に暮らしていたため、対立に慣れていないのだ。
「都の連中には関係ねえだろ……これは村の問題だ!」
それでも男はなんとか言い募る。村人たちはおとなしく座りながら、視線だけに反発心を込めた。
環ちゃん。今日も可愛いね。環ちゃんが笑ってるだけで幸せな気分になるよ。
そう環を褒めそやしていた人々だった。結局、その言葉の裏には環の死という影が張り付いており、それがなくなった今、環はただ不当な利益を享受し、村を窮地に追い込んだ裏切り者になったのだ。
それが悪いとは環も思わない。環だってずっとそう信じて生きてきた。他の誰より恵まれたものを与えられ、他の娘たちが忙しく立ち働くなか安穏としているのを当然と受け止めてきた。優れているからではない。十六で死ぬからだ。他の娘たちにはある未来が、自分にはないから。短い人生に、少しでも美しく楽しいものを詰め込みたかった。
不当に受け取ったものは、返さなくてはならない。
兵士たちが環の周りを囲む。その隙間を縫って、村人たちの敵意が環を突き刺す。不当に対価を得たもの。盗人への眼差し。じりじりと、兵士たちに村人たちが迫っていく。兵士の肩に、村人の手が触れそうになる。衝突があれば、みな無事では済まないだろう。
環は立ち上がった。全員の視線が、環に集まる。と言っても、しょせん知った顔ばかりだ。一人一人のことをよく知っている。環はひるまなかった。ひるまない態度には力があるともう知っていた。ひるんだのは村人たちのほうだった。敵意が緩む。
「環!」
仁の声に、環はただ視線を返した。仁は環の気が挫けていないとみると、ただすぐそばに歩み寄った。
環は声を出した。
「私は、私の役目をちゃんと知っています。私は神の花嫁としてここにやってきました」
環の澄んだ、力強い声はよく響いた。村人も、兵士も、ただ環を見ていた。
「私はこの村の平和を守るために生まれ、そのために都に行き、ここに帰ってきたんです。私は私の役目を果たします。私を、信じて」
敵意のこもった視線が、環の声の力強さに押し負けて、逸らされる。環はそれへの安堵を見せることもなく、勝ち誇ることもなく、ただ立っていた。震える手を握り締め、一人で。
村人たちは、環をまた信じ、自分たちの行く末を任せるつもりになっていた。兵士たちはこの華奢な少女の持つ、自分たちとは違う強さに心打たれていた。
静まり返る中、環は手ごたえを感じていた。このまま、仁や村長や兵士たちの力を借りて、なんとかこの難局を乗り切ることができるだろう。自分はそのための一助になれるはずだ。無力だと思っていたが、自分には力がある。人にはそれぞれ力がある。わかりにくくても、使い様によっては誰かを助けることができる。
だから今、持ち堪えなくてはいけない。
沈黙の中で、村人たちの意識は環に束ねられつつあった。
その中で、何か、光るものが奇妙な匂いをさせて、飛んできた。
「環!」
仁が環の手を引き、派手な音を立てて倒れた。村人たちが騒ぎ出す。
飛んできたのは、火のついた矢だった。
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