第3話 宵
痣のある姉は宵、神への花嫁に選ばれた妹は環と名付けられた。
痣の有無はあれど瓜二つの双子だったが、長じるにつれ二人の違いは明らかになっていった。
村の誰からも花嫁として大切に育てられた環は、誰からも愛される美しい娘に。
宵は、人目を避けるようにいつも俯いていた。
村人からはその青白い顔を覆う痣が、罪の証のように見えた。
そこにいるだけで誰もが心なごむ愛くるしい環が若くして湖に捧げられるさだめを持つのは、宵の顔を不吉に覆う痣のせいだ。
誰となしにそう囁くようになり、環を愛するものはみな、宵を疎んだ。
両親も例外ではなかった。
環にはほんの赤子のころから村で得られるもっともよいものを与えた。柔らかで丹念に作られた産着。人々が環のためにと喜んで作った玩具。泣けばすぐに母の乳が与えられ、ほんの小さな不快があればすぐにそれを取り除こうとみなが腐心した。環は愛に包まれて、愛を食んでますます愛くるしく微笑んだ。彼女は生を、周りの人間を愛してやまなかった。
宵はどうか。
まず、母は宵に乳をやるのを拒むようになった。宵を見ると睨み付けたあとたまらない様子で顔を背けた。力ない赤子は死なぬように与えられた米の磨ぎ汁に浸した布の端を咥え、ほとんど泣くこともなく、なんとか生き延びた。与えられたものはなんでも食べた。
いじきたない、と母は宵を憎んだ。もっとも身近な庇護者の態度に感化され、宵は誰からも憎まれるようになった。
幼子の丸みのない細い細い脚でなんとか歩けるようになったころには、宵は家事を言いつけられるようになった。なにしろ環には時間がないのだ。父も母も環とともにあり、環にはいつも笑顔でいてもらいたかった。
おぼつかない手つきで、しかし宵はよく働いた。それさえ両親の目には意地汚く見えた。環はただ周囲の愛を信じ楽しげに微笑んでいた。
宵が何か些細なことでもしそこなうと、両親は口々に宵を責めた。
こんなこともできないのか。真面目にやっているのか。
そして。
環に申し訳ないと思わないのか。
幼い宵にはその言葉の意味がよくわからなかった。まだ神の花嫁のことを双子は知らなかった。
きょとんと黒い目を見張り、宵は言った。
おもわない。たまきはなにもしていないでしょう。
その瞬間、二人の頭は怒りで焼き付き、父親は幼い宵の頬を思いきり張った。宵の細いからだはばったりと倒れた。
なんて恩知らずな子なの! あんたは……! こんな子生まなきゃよかった!
母親は顔を覆って泣き伏し、父親は幼い娘を殴打した手で妻の肩を優しく抱いた。
宵は呆然とそのさまを見つめていた。何が起こっているのかまるでわからなかった。
環、環、と、母親は呻くように繰り返した。
この人たちは、環をたいそう愛しているのだ。
疲れと痛みでぼんやりとした幼い頭で、宵はなんとかそれを理解した。
そして、自分を、憎んでいるのだ。
宵にわかるのは、その二つだけだった。
神の花嫁のことが環と、そのついでに宵に明かされたのはそれからしばらくたってのことだった。
珍しく二人ならんで座らされると、宵を見て環は嬉しそうに笑った。宵もぎこちなく環に微笑んだ。両親の前で話すことは少なかったが、二人きりでちょっとしたことを話すのが、幼い双子は好きだった。双子は互いを唯一無二の存在だと感じていた。誰をも愛する環にとっても宵はどこか特別に慕わしく近しい存在であり、誰にも愛されないことを悟りつつある宵にとって、環はたった一人、その前にいてくつろげる存在だった。
微笑みあう二人に両親は咎めることはなくとも不服そうな一瞥を投げ、重々しい声で、環が神の花嫁であることを話した。
はじめはなんだかよくわからない様子で聞いていた環は、「神の花嫁」という婉曲な言葉に込められた残酷な真意に、遠回りを繰り返しながら近づいていくと、その顔色をなくしていった。
わたし、しんじゃうの?
環がそこにたどりつくと、それまでこらえていたのか、両親はわっと泣き出した。環はそれも恐ろしくて、顔を覆って泣き出した。
しんじゃうの? わたし、しんじゃうの? こわい。こわい。やだよお。
すまない。すまないね、環。
謝るばかりの母の膝にすがり、環は涙に濡れた、それでも愛くるしく顔で尋ねた。
じゃあ、ねえさんは? ねえさんもしんじゃうの?
その言葉を聞いた瞬間、両親は白い顔で黙って座り込んでいた宵を、思いきり睨み付けた。その場に環がいなければ、宵はまた顔を張られていただろう。
環は繰り返し尋ねた。
ねえさんは? ねえさんはどうなの? ねえさんもしんじゃうの? ねえ!
可哀想に、可哀想に。
問いには答えずに、二人はただ環を抱き締めた。環は涙声で叫び続けた。
ねえさんもしんじゃうの! ねえ! わたしだけがしんじゃうの! ねえ! ねえさんはしななくていいの! どうして! どうしてわたしだけ! どうして!
普段は明るく笑い声をあげる環があげる叫びは誰の耳にも悲痛だった。両親は環が哀れで哀れでならなかった。
だがどれだけ訴えても、環は十六歳で死に、宵は死なない。それが覆ることはなかった。無邪気だが聡い環は、沈黙からそれを悟った。
ねえさんがうらやましい……。
叫び疲れてかすれた声で、幼い娘は呟いた。両親は啜り泣いていた。
それらすべての声が刃のように、宵の胸に突き刺さった。だが、泣くこともできなかった。泣くべきは、傷つくべきは環であり、宵ではなかった。
宵はただ息さえ潜めてじっとしていた。啜り泣く環を抱き締めた両親が、僅かに顔を上げて、宵を見た。暗く光る瞳は、こう言っているようだった。
お前が死ねばいいのに。
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