幸せの街

基岡夕理

幸せの街

 00


 この街は「幸せの街」と呼ばれている。



『いまはレッグパーツが流行ってるのですが、特にイカの人気が高いんですよね』

『どうしてイカなんですか?』

『色白だからですよ』



 実際この街の住人は幸せを実感している。小さな不幸も更に大きな幸福ですぐに掻き消える。

 医療は神の領域とまで言われ、あらゆる病気が治ってしまう。



『密かに注目を集めてるのが血管タトゥーですね。最近では十歳で血管がある肉体をやめますからね、逆にオシャレと思われてるみたいです』



 脳以外は人工的に作られた肉体によって自由な自分を演出できる。

 老いることも避けられる。



『緊急速報です。本日午後一時ごろ〝楽園〟が襲撃されました。被害は僅かのようですが、犯人が逃亡中です。《脳ID》は不明。市民の皆様は十分に警戒してください――』



 蝶高度なAIによって管理され、事件・事故はめったに起こらない。

 自然災害を被ってもすぐさま復興される。

 死を完全に回避できたとは言えないものの、限りなく遠ざけられたと言っていい。

 だから、生きることは幸福だ。



『犯人の姿が分かりました。ヘッドは落花生、ボディは消しゴム、アームは猿、レッグは猫。衣服は黒です』



 しかし僕は、この街で最も素晴らしいとされる場所の闇を知ってしまった。

 〝楽園〟の真実を――。




 01




 ピシェツは呼吸を整えていた。走り続けて息が上がっていた。しかし彼には口が無い。肺や喉も無い。彼の頭は落花生だ。ひょうたんのようにくびれた茶色のそれだが、人間の頭を二つ並べたような大きさだ。その上部にアニメキャラのようなぱっちりした目が表示され、自然にまたたいている。また耳や鼻も無いが、あくまで人間のそれが無いだけである。


 物音がして、彼はその頭を扉に当てて耳を澄ませた。

 はねの音だ。ブーンと蚊のような羽音がする。


 ピシェツがいるのはお店のスタッフルームだった。パーツ交換屋だ。街の中心から少し外れたところの歓楽街にあって、規模は小さい方になる。営業時間前だから人はいない。店主だけだった。


「おい、ピシェツ」店主は呆れたように声をかけた。「そんなにビビんなくていい。どんな捜査ドローンも法律の問題でうちには入れねえ」


 店主は四十の男であり、全身がクラゲだ。彼には口がある。何本もの触手が生えているが毒はない。そのうちの一本を落ち着けと言うようにピシェツの肩に置いた。


「んまあ〝楽園〟を襲撃したとなればビビっちまうのも分かるが」


「僕はそんなことやってない」


 ピシェツは即座に否定した。声は落花生の下のふくらみから出ていた。近づけばスピーカーのように無数の小さな穴があるのが分かる。


「んじゃあ、何があったんだ」


 ピシェツはありのままを伝えようと言葉を発しかけて、すぐに思い直した。あんなの簡単に信じられるものじゃない。少し悩み、ひとまず扉から離れて立ち上がった。視線はドアノブに向かっている。


「言えないか」

「うん。たぶん迷惑かけるから」


 逃げ込んできた時点で迷惑はかかるだろう、と店主は思った。しかし彼の様子からして悪いことをした訳じゃなさそうだ。


「別に迷惑かけたっていい。おまえのことはちっせえ頃から見てんだ」


 ピシェツは友人の息子だが、自分の子供のようでもある。二十年以上も見守ってきたのだから。


「ありがと」

 ピシェツはやや照れた様子で頭を下げた。


「でももう行くよ。すぐに警察が来るだろうし、休憩は十分できた」


「せめて腕だけでも変えてけ。すぐ使えるのあるから」


 時間が気になったが、少しでも姿を変えられるのはありがたい。ピシェツは提案を受けることにした。売り場に向かう。


 それから五分後、ピシェツは腕を猿から兎のようなものに変え、裏手から店を出た。




 警察の管理下にある防犯カメラやドローンがそれを捕捉していた。いくつかがピシェツを追い始める。その中に一つだけ管理者の異なるものが混じっていた。


「おっ、出てきた出てきた」


 机の上に六つのモニターが並んでいる。三面鏡のような配置だ。その中央のモニターがピシェツを映していた。

 青年が椅子に座ってそれを見ている。


「さてちゃんと俺様ちゃんの誘導に気づいてくれるといいんだが」


 心配そうに言って、しかしすぐに愉快げな笑みを浮かべた。これからのことを想像していた。



「ぜーんぶ、バラしてやるからな~」




 02




 街は大きな塀で囲われている。入口は四方に一つずつあって、観光客はそこで指紋や虹彩などの生体情報を登録することになっている。

 それを済ませ、ポッパは門の向こうに踏み入れた。


「おお、ここが『幸せの街』かあ」


 彼は目を輝かせてその光景を見た。よくある小麦畑である。黄金色に色づいてそれはそれで美しかったが、街は見えない。



「そこのあんた」声が掛けられると同時に横に車が停車した。運転席の窓が開いており、男が腕を出してポッパの顔を窺う。「ここから歩く気かい? 人がいるとこまで一時間は掛かるよ」


「え、そうなんですか。遠いですね」


「乗ってくかい?」


 ポッパは車の中に目を向けた。他に人はいないようだ。お邪魔にはならないだろう。


「それではお願いしてもいいですか?」


「おう。乗りな」

 こっちこっちと男は助手席を叩いた。ポッパは急いで回り込んだ。車が行く。


「観光かい?」

「そうです」ポッパは礼儀正しく受け応える。「お兄さんはここの人ですか?」


「お兄さんなんて年齢じゃねえがな」男はがははと笑う。「そうさ。生まれは違うがな。二十年以上はここに住んでる」


「身体はいじっておられないんですね?」

「普段は別の身体使ってるよ。でも外に出るときは元のに戻る必要があるのさ」


「そうだったんですね。初めて知りました」

「早くよそも同じ仕組みを導入してくれりゃあ、わざわざ戻らなくて済むんだけどな。ここが出来てもう二十五年も経つんだし」


 ポッパは一瞬だけ意味ありげな視線を向けた。


「そういえば、あなたは〝楽園〟をご存じですか?」

「お、あんた知ってんのか。物知りだね」


「どんな場所なのかは知らないんです。だから教えて欲しくて」

「この街の連中なら誰しもいつかは行きたいと思ってる場所だよ。死ぬまで幸せな生活が約束されるというんだからな」


「ざっくりとしてますね」


「行ったことないからな。でも、疑似体験できる施設ならあるから、そこに行ってみるといい」




 古びた街を一つ通り過ぎ、少しして街並みが活気を帯び始めた。門から五分ぐらいだろうか、中心地へ到着した。


 コンクリートの街並み、道を埋め尽くさんばかりに歩く人々、多くの店が軒を連ね、まさに都会といった風情である。しかしこれだけなら世界中によくある場所だ。ここが『幸せの街』と呼ばれる最もな理由は、そこを歩く人々にある。



 この街では十歳になったら普通の人間をやめられる。脳以外のあらゆるものを人工の肉体に交換することができるのだ。



 だからこの街には様々な姿をした人がいる。動植物を模したものからアートと呼ぶべきデザイン重視のものまで、全身を変え、部分を変え、好きに組み合わせている。



 自己実現を最大限達成できる。



 この住人たちこそ観光客の最大の目的であり、これを以て『幸せの街』と考える。

 しかし住人たちにとっては違うらしい。最大の理由はその中心にある、とポッパは噂で聞いていた。


 男にお礼を言ってポッパは車を降りた。普通の観光客と同様に街の住人にも目を向けつつ、そこを目指した。


「これが〝楽園〟か」


 彼は塀の前で呟いた。

 街のド真ん中に立派な塀が立ち塞がっていた。街全体を囲うものよりも背は低いが、遥かに立派な造りをしている。コンクリートは厚く、上には有刺鉄線と無数の監視カメラ。門は鋼鉄でできて、筒状の警備ロボットが二体立っている。中は窺えそうにない。

 ここは住人たちも入ることが許されないという。



「そこのあんた、ちょっとこっち来な」



 背後から声を掛けられポッパは振り返った。警察署と書かれた看板がある建物の前に女性が立っていた。普通の人間の姿をしており、警官のような制服を着用している。

 ポッパは何か悪いことしたんだろうかと不安になりながら彼女のもとへ歩いた。


「観光客のポッパさんよね」彼女は言った。「あのね、一時間ぐらい前にそこで襲撃事件があって、犯人が逃亡中なの。また来るかもしれないから今は近づかないで」


 良かった、何もやらかしてなかったようだ。ポッパは胸を撫で下ろした。


「分かりました。……でも、ここでは犯罪者なんてすぐ捕まると聞いたのですが」


 痛いところを突かれたと言うように彼女は渋い顔をする。

「いつもならね。一応犯人は特定できてるんだけど……って捜査情報話しちゃダメよ、私」

 彼女は自分にツッコんでいた。


 とにかく離れなさい、と言われ、ポッパは仕方なく〝楽園〟に背を向ける。もう少し調べたかったんだけど、今日はとりあえず疑似体験できるという施設に向かうか。

 気持ちを切り替えて顔を上げた。


 すると何やら騒ぎが起きてることに気づいた。直後、警察署の方からも騒がしい音が聞こえ、ぞろぞろを警察官が出てきた。「きみ! 脇に寄りなさい!」


 なんだなんだ! ポッパが困惑しつつ、とりあえず言われた通りにしようとした。しかし途中で立ち止まってしまう。中心街の騒動の正体が姿を現したのだ。



 虎だろうか、ネコ科らしき大きな肉食獣がこちらに走って来ていた。問題なのはそのサイズ。その背が建物の一階を優に超えていた。もはや怪獣だ。



 警官たちは銃を構える。近くに迫るまで待つようだ。


 しかしその怪獣は大きく跳躍するとすぐ横の建物の屋上へ乗った。そのまま走り続ける。警官たち慌ててきびすを返した。先回りするつもりだろう。



 ポッパはチャンスとばかりにその虎に狙いを定める。彼の手は手首から外れており、腕の先には穴があいていた。そこからかぎの付いたロープが射出された。虎はまさに建物から建物へ跳ぶところで、その脚の付け根にロープが絡まった。


 虎は驚いたようだったが動きを止めず、ポッパはロープを腕の中に回収することで虎へと向かった。虎の脚にしがみつく。


 虎は警察署の上に乗り、そこから大きくジャンプして塀を越え〝楽園〟の敷地内に入った。




 03




〝楽園〟。

 ここに入った者は死ぬまで幸福な人生を約束されると言う。


 それは戻ってきた人が一人もいないことが証明している。一度出れば二度と入ることは許されないと決められてるが、今まで六十人近く入っている。一人ぐらい戻りそうなものだ。


 入れるのは抽選で選ばれた者だけだ。抽選は二十歳以上の希望者を対象に半年に一度行われる。最初の一年を除いて例外はない。

 その敷地に、虎と青年が入った。



「誰だおまえ!」

 虎が吠えた。ピシェツだった。



 脚を振ってくっついた男を落とした。男はロープを回収して、手首に手をめながら言う。

「助かりました。おまえは誰ですか」

「僕はこの施設を破壊しに来た」

「それは困りますね。俺はここを調査しに来たんですから」


「よし、じゃあ仲間だな」


「なんで?」

 男はきょとんとしてしまった。


「時間がない、行くぞ」

 ピシェツは入口へ大股で歩く。男――ポッパは慌てて追いかけた。



〝楽園〟はホールケーキみたいな形をしている。外壁はにぶい鏡面に覆われ、入口だけがガラス張りだ。ピシェツは男を先に入口へやり、入口を囲うように横たわった。ポッパは困惑してその腹を見ていた。腹を裂くようにジッパーが開き、中から落花生 あたまの青年が姿を現した。その横にフィナンシェのような形をしたロボットがいた。車のようにキャスターが足となっている。ちらっとだが、虎の中はぬいぐるみのように見えた。



「さあ、じっとしちゃいられないよ。警備ロボットがじき回復するからな」


 ピシェツは呆然とするポッパを横切って中へ入って行く。



「ハージ、迎撃システムは?」

『解除してるよん♪ 俺様ちゃんにかかれば余裕余裕』落花生の上のふくらみにシールのようなものが付いている。それがイヤホンとなって声が届けられていた。ポッパは聞こえておらず、正面からズカズカと侵入しようとする彼の肩に手を置いて止めた。「待て、何考えてる」



「優秀なハッカーが支援してくれてるから安心してくれていい。行こう」



 ガラスの自動ドアが開き、ピシェツとフィナンシェロボが入って行く。ポッパは困惑しつつも彼に並んだ。説明を求める。入ってすぐエレベーターがあった。二人と一体は乗り込み、地下へ降下する。



「僕はこの施設の正体を知っている」

「ほんとですか⁉」ポッパは興奮気味に言った。



「この街がAIによって管理されてるのは知ってるよな。そいつは最優先事項を『人類の幸福』としている。だからこんな街になった訳だ」



「ええ知ってます。あまりに先進的なことをするからほとんどの国や地域が経過観察してるんですから」


「じゃあ、人類が最も幸せになれる方法ってなんだと思う?」


「……その答えがこの地下に?」

 察したポッパに、ピシェツは黙って首肯した。



 エレベーターが止まった。唯一の行き先となっていたそこはオフィスのエントランスのような場所だった。接客用ロボットがいたが微動だにしない。


「僕は今朝ここに忍び込んだ。祖父が抽選に選ばれてここに入ることになったからだ。祖父の体内に超小型のモスキート型ロボットを仕込んでいた。これはこの街でよく使われるパトロールロボットの一つだからバレないと思ったんだけど、バレてね」


「それで追われていた、と」

「そういうこと。まさか身バレするとは思わなかった。なめてたよ」


 二人はすぐ近くの扉からスタッフルームに入り、奥の扉の前で止まった。


「ここからはローカルネットになる。つまり本番だ」


 フィナンシェロボからうねうねと触手のようなものが出てきた。それらは扉の横に付いているパネルに接触する。ドアが静かに横に開いた。



「言い忘れてたけど、このロボットはライブ配信してるんだ。映像も音声も世界中で見れるから」

「それは先に言ってくださいよ」

 ポッパが苦い顔がしつつ、二人と一体は扉の奥に踏み入れた。



 通路は一本道で、幅は軽自動車が通れる程度、数十メートル先にドアが見える。ガラスの壁がずっと続き、その奥にはいくつかスリットが入っていた。通路に入ってしばらく、入口の手前に隔壁が下ろされた。そして前方に網目状のレーザーが出現した。こちらに迫ってくる。



「映画で見たことありますね」ポッパの声は強張こわばっていた。網の目が親指の先ぐらい細かい。上から下までぎっしりで逃げ場はない。


 すると、フィナンシェロボの正面から何かが出てきた。ガトリングのようなものだった。『撃つよー』と聞こえたのはピシェツだけだ。バババババッと弾丸が撃たれ、左右の壁が破壊される。そしてレーザーも消えた。ポッパは塞いでいた耳と目をそっと開く。



「さあ行こう」



 と一歩踏み出したところで奥の扉が開き、そこから無数の小型ドローンが飛んできた。



『おそらく自爆タイプだね。当たったら爆発して死ぬよ』


 怖いな。でもなんとかできるだろう、とガトリングが出たままのフィナンシェロボを持ち上げようとしたとき、


「ここは任せてください」

 とポッパが言った。


 ポッパはジャーナリストまがいのことを趣味でやってる男だった。知りたいことがあったらあらゆるところに潜り込み、そこの秘密を暴いてしまう。それを手伝う道具を両腕の義手に仕込んでいる。


 左手を取って、その手首をドローンに向けた。そこから網となったロープが射出される。それらがドローンを虫網のように捉え、それが起爆スイッチになったようだ、ドローンが小規模ながら爆発を起こした。通路が煙に包まれる。


 しかしこれで終わったということはないだろう。


「さっさと走り抜けるぞ」

 次のドローンへまた網を射出しつつ、彼らは通路を突っ切った。




 通路の先はドローンの待機場所だったらしい。左右の壁に棚があった。全て空になっていた。

 その奥に扉。横にパネルがあって、これまたフィナンシェロボが解除した。彼らはその先に入る。



 手術室のような場所だった。人やロボットはいない。



「ここは?」

「すぐ分かるよ」

 ピシェツは苦々しく言って、先へ促した。



 いくつか扉があったが、真っすぐ奥に向かった。次の扉には錠が無かった。手で押して開く。すぐまたエレベーターだった。

 降りた先は研究所のような場所だった。もう襲ってくるものは無く、そのまま先に進んで、奥の扉を開いた。



 そこは暗いところだった。二人が立ったのは鉄網で出来た廊下で、工場の二階席のようだ。下から緑の光が不気味に漂っている。手摺りから覗いてみれば、



「なんだよこれ」ポッパはおぞましそうに顔を歪めた。



 下のフロアにあったのはたくさんの水槽だった。両手で包めるぐらいの小さな水槽が、およそ六十個ある。それらは緑の溶液で満たされており、その中に脳が浮いている。剥き出しの脳だ。脳には電極が挿されている。そのコードは水槽の台座に繋がっていて、そこに入ってるコンピュータから電気信号が送られている。



「これが『人類が最も幸せになれる方法』だ」



 ピシェツは無感情に言った。近くに階段を見つけ、そちらに歩く。カンカンと鉄網が不愉快な音を立てる。



「これが幸せだって? 意味が分からないですよ」

「みんな夢を見てるんだ。幸せな夢だ。誰も嫌な思いをしていない。仮にしていても最終的には幸福なんだ」

「でも、こんなの、人間の尊厳を台無しにしてる」

「僕もそう思う」



 ピシェツはぎゅっと拳を握った。爪が皮膚に食い込んで、引き千切らんばかりに。

 下におりて、一番手前の水槽に近寄った。台座に名前の入ったプレートが掛かっている。



「じいちゃんだ」



 ピシェツは無感情に呟いた。



 ポッパは顔を引き攣らせる。「これがAIの答えだって……?」


「僕には分からないけど、じいちゃんは今、幸せな時間を過ごしてるはずなんだ。だから、幸せを追究した形としてこれは正しい」


「でも、おまえが幸せじゃない」ポッパは怒ったように言って睨みつける。


「でも、それは僕のエゴだ」


「エゴでいい。家族なんだから」


「僕を怒らないでくださいよ」


「……悪い……」

 ピシェツはいいですよと言うように穏やかな笑みを見せた。



『ま、これが幸せと言う理屈は理解できる。でも、俺様ちゃんは受け入れられないね。こんなの人類の停滞だ。俺様ちゃんは未来を作りたい』



 彼の耳元で呆れたような声が聞こえた。ハージはスケールが違うなぁと感心して、彼は短く息を吐いた。



「問題は色々あるんだよ。例えば未曾有の災害が起きたとして、それが想定を超えていた場合、果たしてAIだけで対応しきれるのか。もし発電施設がやられたら? とかね」



「そっか。電源一つで簡単に死ぬのか」

 ポッパは感心したように脳の水槽に目を向けた。



「この街の先進性と合理性は行き過ぎてしまった。脱線じゃなく、行きつくところまで行ってしまった。それが失敗だった。これさえなければ幸せなんだよ、本当に」



 彼の複雑そうな表情を見て、ポッパは溜め息をつく。

「それで、どうするんだ?」

 ポッパが尋ねた。次の瞬間だった。ポッパは慌てて彼を押し倒した。直後、ピシェツの頭があったところを大きな鎌が通り過ぎた。

 二人は急いで立ち上がりつつ距離を取った。



 そこにいたのはカマキリのようなロボットだった。六本の脚、機動性の高そうなスリムなフォルム、そして鋭い刃。


 こんなやつが暴れたら脳に被害が及びかねない。


 カマキリロボは鎌を振り上げ迫ってくる。足音がしないのに足が速く、あっという間に詰められた。ピシェツの首めがけて斜めに振り下ろされる。反射的に頭を下げたが、その切っ先が右腕をかすっていた。指が数本床に落ちた。痛覚は切ってるから痛くはない、しかしもう邪魔だ。ピシェツは右腕を取り外し、カマキリロボの顔面に投げつけた。カマキリはもう一方の鎌でそれを真っ二つにする。その間にピシェツは更に距離を取った。そこにフィナンシェロボがやって来た。



 その背中が、縦に入ったスリットに沿って開かれている。観音開きだ。中には色々なものが入っていたが、ピシェツは棒ガンのようなものを取った。走って逃げながらそれを腕につけた。その先端は二股になっている。



「おまえ、まだネット撃てるか?」隣を走るポッパに尋ねた。

「できるが、何する気だ」

「いいから撃ってくれ。時間がない」



 確かにロボットは鎌を振り上げていた。振り下ろすと同時に頭を下げてそれを躱す。次の鎌が振り下ろされる。その直前、ポッパが振り返ってネットを撃った。それはあっさり叩き落されたが、その一瞬の隙をピシェツは逃さなかった。勢いよく放たれた矢はカマキリロボの胸の辺りに突き刺さり、そして大量の電流を流した。



 カマキリロボは煙を上げ、その場にくずおれた。

 それを見下ろしながら、ピシェツは問い掛ける。



「これを見てるみなさん。あなたたちに尋ねます。これが本当に幸せと言えますか?」




 04




 この一件によって、『幸せの街』が抱えていた闇が全世界に知れ渡った。


 この街をモデルにして同様のものを作っていた国や地域は一時期悪い印象を持たれたが、すぐに対策案を提示し、事業は再び動き出した。問題は脳水槽だけだ。AIにそれを避けるようにプログラミングすればいい。



 これで類が知らず知らず水槽の中に入ることは避けられたと言えそうだ。



 このシステムは徐々に広がっていった。最初は塀で囲っていた地域もすぐに門を開き、誰もが自由な身体で生きていけるようになった。

 しかし新たな問題が生じ始めていた。

 自己実現以外のために交換が行われるようになったことだ。



 一つは交換依存症。パーツを交換することそれ自体が目的となってしまい、それを機械的に繰り返すうちに依存していった。『自由に交換できるのに固体化していいのか』、『流行に遅れないために新しいのにしなきゃ』といった心理が例として挙げられている。



 二つ目は自我の不安定化。

 脳だけが唯一自分のものであり、それ以外が不安定となった結果、アイデンティティを保てない人が現れるようになった。そういった人の精神障害や自殺などが社会問題になってきた。



 そして三つ目。

 それらの問題を解決するためにAIを利用した結果、またおかしなことをし始めた。それはドラッグによる一時的な現実逃避に近い方法で、それが幸福を与えていた。まだ一部の地域に限られるが、症状に困った人が苦しみから解放されるために集まるようになり、様々な二次災害を発生させ始めていた。



 これらを理由に、新たな思想が芽を出した。



 人体主義。



 生まれたままの姿こそ人間のあるべき姿だ、という思想である。



 この思想が今まさに勢力を持ち始め、一部の過激派がテロを起こしている。世界は安全では亡くなってきた。



 噂では、争いを続ける人類に愛想を尽かせた人たちが、『人類はAIに管理されるべきである』と言い出しているらしい。



「止めるか? 今度はもっと大変そうだけど」ポッパは言った。


 それはとある街のさびれた区画。

 三人の青年が集まっていた。


「おまえ様ちゃんがやるってんなら、協力してあげるよ」


 にやりと愉快げな笑みを浮かべる彼ら。答えは分かっているとでも言わんばかりだ。


「もちろん」

 ピシェツは頷いた。


 彼の腕が豪快な金属音を立てる。


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幸せの街 基岡夕理 @kioka_yuuri

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