逃亡者の船
半貫康彦
1話:残り物と過去
震える目蓋を押し上げる。焦点が合うようになるまで何度も瞬きをする。ぼやけていた視野が、少しずつ鮮明になってゆく。ここは宇宙船の操縦室だ。気づくと同時に、ドッと嫌な汗が滲む。
(あの人は…)
どこだろう。動かない体の代わりに視線だけが泳ぐ。美しくて恐ろしい、真っ黒な宇宙が窓越しに見える。モニターに映る輝かしくも精密な数値の数々も。そして難なく、床に広がった血だまりさえも見つけてしまう。
その一瞬で直感した。戻れるのはたったの半日。今回はきっと、手遅れだ。
喉が引き攣って、せっかく取り戻した視野もまたかすみはじめる。どうしてこんな気持ちになってしまうのだろう。会って間もない人なのに。この人が死んでいるということだけで… 目の前の今から思考が後ずさり、後ろを振り返る。
過去に戻れるのなら。
もう一度だけ時間を遡れるのなら、きっと―
*
【不法タイムリープの取り締まり 捜査は難航が続いて…】
(まあ、不法で妥当だな…。)
ぼうっとコーヒーを飲みながら、モニターに映し出されるニュースを眺める。人気もなく、廃れていくスペースコロニーをいくつか通過するこの宇宙船は、言ってしまえば大昔の路線バスのようなものだ。乗り場のアクセスも速度も利便さにおいても、何も取り柄がない。チケットの安さぐらいなら自慢出来るかも知れないけれど。
手首に振動を感じ、船長は瞬きした。助手からの電話だ。この宇宙船で船長を除くと唯一の乗務員で、いつも苦労している人だ。繋げると、背景音のように流れていたニュースの音がプツンと切れ、助手の声が鮮明に聞こえてくる。
『船長、客室でトラブルが』
「うっ…また喧嘩ですか?」
『いいえ。何でも窃盗未遂だとか』
現実はいつも予想の一段上を行くものだということを、またしても分からされる。仕方なくカップを置き、船長は椅子から身を起こした。
「客室に向かいます。他に何か報告は?」
『特にはございませんが』
「が?」
『今回の理由も、後でお聞かせください。では、また後ほど』
プツンと電波が切れるような耳障りな音と共に、アナウンサーの機会音交じりの声が耳に飛び込んできた。首をかしげるといったかわいい仕草はせずとも、気持ちはまさにそれに当てはまる。いい加減な性格の船長とは違って、助手は不必要なことはあまり言わない。
(今回…?)
そして何一つ心当たりがないことも、なかなか珍しい。
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