贋作師のおかげ!

島津十勝

起:お芋さまの旅立ち

 湿り気のない卯月晴うづきばれである。いや、この時期に晴れているのは特に珍しいことではないのだから、皐月晴れと同列に並べるのはおかしいかもしれない。

 しかしその天を照らす恵みが当たり前ではないことを、わたしたちはここしばらくで嫌というほど思い知らされた。

 天下泰平を目指して多くの血が流れたかつての戦国乱世も、随分と夏が冷えていたらしい。夏が冷えると秋の実りが減る。食うものがないから人々は争ったのだろうか、それはわからない。確実なのは、本当に腹が空くと動くことすら難しいという実体験だ。

 ご公儀から農民、江戸の日本橋にほんばしから我らが西の果ての天領まで区別なくその津々浦々を襲った数年前の大飢饉。思い出すたびに心を痛ませるあの件が、ここ長崎ながさきの地ではまだマシなほうだったというのだから驚きである。

 奉行所の端。桜の木の下に二つの影。一つはわたしの影で、もう一つはわたしの上司の影だ。

 周りには桜を見上げて世間話でもしているように見えるのだろうか、背後を行き交う忙しない役人たちはわたしたちのことなど気にもしていない様子だった。

 だが見上げる二人はたぶん、同じようなシワを眉間に寄せている。


「すみやかに『贋作師がんさくし』の人相書きが手配されることになる」


 上司がいった。贋作師の人相書き、という言葉に、わたしはため息を吐いた。


「罪状は、やはり蘭学本の一件ですか」


 わたしが問い、奉行が頷く。


「先の天害で餓えた領民を救ったのは間違いなく彼の者である。しかし極秘の蘭学本を書き写し、あまつさえそれを身分も知れぬ商人に渡した疑惑。これは晴らさなければならない嫌疑だ」

「私情は挟みません」

「知っている。だからこそ私はトビを信頼している。身柄を確保し、真実を見極めよ」


 わたし――奉行飛脚ぶぎょうひきゃくのトビは頭を下げ、奉行所をあとにした。





【人相書き】

・自称他称問わず『ガンサクシ』『オイモサマ』

・中肉中背

・血色悪し

・額に一文字の古傷

・その他もろもろ


「ね、これっておいもさまのことだよね?」

「参ったな」


 長崎の街はずれ、長く並ぶ長屋の間。路地裏で屈み込んでいるおれの前には、おゆきという少女が得意げな顔で仁王立ちしている。

 木板の人相書きに書かれた特徴は間違いなくおれを指している。都会の人相書きには似顔絵などが描いてあることもあるらしいが、基本的にこういうものにはわかりやすく特徴が羅列されるのみだ。しかし変な似顔絵よりよほど効果があると思う。


「今度はなんのニセモノを作ったの?」


 人相書きを持ってきてくれたお雪が、ジトリとした瞳でおれを覗き込んだ。しかしいつもなら適当な冗談をいうところでおれが黙っていたのが、目の前の少女を不安にさせてしまったらしい。

 おれは額の傷をなぞりながら笑みを浮かべた。


「大丈夫。おれがなんで『お芋さま』なのか、知ってるだろ?」

「サツマのお芋をナガサキのお芋だって言ってみんなに配ったからです!」

「声がでかいこと以外は満点だ。薩摩さつまから持ち出しちゃいけなかった芋の苗を『品種改良してニセモノにした』。でさ、そんとき怒鳴り込んできた薩摩のおっかねぇお役人たちから庇ってくれたのが奉行所の偉い人たちだ。大概のことは笑って赦してくれるもんなんだ」

「じゃあ、タイガイのことをやっちゃったの?」


 囁き声でお雪が問うてきた。

 さて、どう答えるべきか。


「もしかして最近いってたメメと関係ある?」

「メメ?」

「ほら、誰かに見られてるっていってたから」


 ああ、目々か。誰かの視線を感じることがあり、おそらくおれの信奉者かその逆の類と勝手に思っていたが、もしかしてアレはお奉行の監視の目だったのかも。


「なぁお雪。ほとぼりが冷めるまで、おれは身を隠す」

「どこに?」

「ここだけの話だが、いち早く情報をくれたお礼に教えてやろう。伊勢国いせのくにだ」


 会ってからどこかずっとカラ元気だったお雪の顔が、パッと晴れた。


「じんぐう!? おみやまいりに行くの!?」

「おう。実はもう資金は準備できていたんだが、わけあってなかなか一歩を踏み出せなくてな。だが、いい機会だ。毒を食らわばというやつだな」


 首を傾げたお雪に、おれはふと思いついた言葉を口にする。


「お雪。願いごとがあれば、おれがついでに神さまに伝えといてやる。なにがいい?」

「ニセモノの雪!」

「双子になりたいのか?」

「違うよ! 空から降る雪!」


 お雪という名前は、産まれた日に大雪が降ったことに由来すると誰からか聞いたことがある。そして彼女自身はまだ雪を見たことがないという話は、おそらくお雪本人から聞いた。


「むずかしいかな?」

「どうだろうな。いけるんじゃないか?」

「お芋さまが見たいってずっといってた鏡、見れるといいね」

「それは……難しいかもしれない」


 おれは苦笑しながら快晴の空を見上げた。長い旅の始まりには幸先の良い空だった。





 満月の夜。響くトンカチの音。星々含めて灯りにはこと欠かないが、この時期はまだ肌寒くもある。

 伊勢国の『神宮』へ参るのは、おれたちのような一般人にとっては一生に一度の旅行に等しい。しかし最近では、農村でも皆で資金を捻出して代表を送り出すことがある。代表は神宮で故郷の豊穣を願い、その旅で得たもの――流行歌や、新しい農具や、各地の食い物や、面白い話などなど――を持ち帰り、皆に報告する。神宮へ参るという行為は、この日ノ本全体で一種の文化になりつつあった。とはいえ、九州の端から神宮はあまりにも遠い。己の足で歩きたどり着いてこその、という言説もあるらしいが、さすがに陸路だけの旅は酷な距離だ。

 もしも奉行たちがおれを追ってくるならそう考えるだろう。そう考えながらおれは、小倉こくらで夜明けを待っていた。いくつかの建屋があるだけの、港外れの農村だ。

 胸を張っていえることではないのだが、おれは贋作師を名乗っている。手先が少しばかり器用で、ニセモノを作って生計を立てている。理由と技術があればニセモノの種類は問わない。ホンモノの手が及ばない領域が仕事場というわけだ。

 おれは作業を終え、空へため息を吐いた。

 夜明けを待つなか月灯りでなにを仕立てていたかといえば、大根のおろし金だ。銅板でヘタった金目を『七つ道具』で立たせていく。江戸や大坂なら大層立派な新品が買えるだろうし専門の目立て師もいるだろうが、いまこの地にはまだホンモノの手は及んでいない。だからおれがその代わりになった。代わりになって、そのお礼として一飯をいただいた。

 贋作師としての技術は、長い旅には欠かせない。草履、釣り竿、編み笠に編み籠。自分の装備を整え、衣食を確保し、路銀を稼ぐ。関所を抜けるための手形は基本的には適当でいいが、精巧なものは交渉の材料にできることもある。行く先々で目立ちすぎないように依頼をこなしていくことで、旅の難易度はいかようにも姿を変えていくだろう。

 広げていた敷物と七つ道具を片づけて立ち上がったおれは、その場で大きくノビをして、そのまま自然な動作として腰と首を回し背後を見た。草木もとうに眠る時間帯でなにを気にしているのかといえば、それは作業中に何度か感じた視線だった。

 長崎からの追手だろうか。いや、それならばとっくの昔に声をかけてきているはずだ。まさかトンカチに怯えたわけでもあるまい。

 ケモノだろうか。

 思い切って周囲を見回してみる。夜空の光を反射する水田の先にたたずむ、二つの人影。


「さっきからどうも。うるさかったんなら謝ります」


 きわめて柔和な調子で先に話しかけてみた。対応は返答次第というわけだ。


「ああ、すいません。おれから名乗ります。おれは――」

「ことわりに仇なす者よ」


 人影の低く響く声に、思わずおれは口端を曲げた。ここからどう言葉が転がっても友好的な相手ではないだろう。


「その命、刈り取りを行う」

「大仰ですね」


 おれが軽口を叩き終えるのと、その影がナニかを振り下ろしてきたのがほぼ同時。驚き飛び退いたおれの眼前に光る、巨大な刃物。

 人影の背よりも長い丈の柄と、そこから生えた三日月の鉄刃。

 鎌だ。おれの頭の倍はある大きさの大鎌だ。


「しかしその前に一つ、謎は明らかにしておかねばな」

「わかることなら答えますよ」

「お前のせいで帳簿に墨を入れることになった。我らはその代償をお前に求めるべく動いていたが……」

「ちょっと待って。なんの話か、先に教えてくれませんか?」


 帳簿やら代償やらの単語はわかるが、大鎌の主の事情がわからなければ当然それがなにを指しているのかはさっぱりだ。

 だからおれの質問は至極まっとうなものだと思ったのだが、大鎌の主はなにも答えてはくれなかった。

 いや、というか――。


「あんた、なんだ?」


 闇夜に溶ける、大鎌の主。人影でありながら、そこに人影はない。

 まるで宙に墨を溶いたような黒がそこにはあった。それが人のかたちを成し、禍々しい大鎌を携えている。


「我らはすすき。世の勘定を行う者」


 人影の口にあたる部分が揺らめいたような気がしたが、どこから声が出ているのかはわからない。

 素早く足元にあった石を掴み取り、おれは遠慮なく大鎌の主へと放った。なぜか大丈夫という勘があった。

 墨の身体を、なんの抵抗もなく石が突き抜ける。それを見ると同時に、おれは駆け出した。


「追うぞ」

「うっせぇ! その鎌、お奉行にいいつけるからな!」


 誰が聞いても完全な捨て言葉。なんなんだいったい。まさかあんな立派な刃物を手に幽霊とはいうまい。

 村を走り抜けながら考える。これは自分に都合がいい身勝手な推測だが、あの二つの人影は夜に紛れる者たちだ。つまり、夜明けまで逃げ隠れればひとまずは安心なはずだ。そしてやつらはこのあたりに出没する人ならざる怪異で、小倉から海を越えればもう出会うこともないだろう。

 結果をいえば、おれの考えは半分当たっていた。やつらがおれの前に姿を現すのは決まって陽が沈んでしばらくしてからだった。だからおれは夕方から眠り、その後夜明けまでやつらから逃げ隠れするハメになった。そしてやつらと二度目に会ったのは海を渡った下関しものせきの夜だった。要するにやつらは小倉の名物などではない。そして長崎にいたおれを悩ませていた謎の視線の正体がやつらと知ったのは、旅のもっとあとのことだった。

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