激辛料理店スペレシム

07

 アネモネの町にも冬が訪れ、歩く人々の衣服が段々ともこもことしてきた。


 俺は白いマフラーに顔を埋めながら、既に暗くなったアネモネ・ストリートを進む。腕時計を見ると、既に閉店時間を五分ほど過ぎていた。早く感情雑貨店グレーテアに戻ろうと、いそいそ歩いていたときだった。


「こんにちはっス、そこの紅茶色の髪をしたお兄さんっ!」


 そんな声が、隣から聞こえた。俺は立ち止まって、声のした方を見る。


 そこには、背の低い一人の少女が立っていた。年は十八歳の俺と同じくらいに見える。暗い赤色の長髪をポニーテールに括っていて、垂れ気味の目は綺麗な銀色の虹彩だ。どこか楽しそうに口角を上げながら、俺のことを見つめていた。


「……えーと、俺っすか?」

「そうっス、そうっス! お兄さんで間違いないっスよ! いやー、立ち止まってくれてありがとうございます! 嬉しいっス!」


 比喩表現ではなく実際に飛び跳ねながら、少女は笑顔を浮かべる。小柄さも相まって、何だか小動物のような印象を受けた。


「その、俺に何か用があるんすか?」

「いやーもうありまくりっスよ! これ見てください、これっ!」


 少女は手に持っていた紙を一枚、俺に差し出した。俺はそれを受け取って、まじまじと見つめる。チラシのようで、何やら食べ物の写真が掲載されていた。

 これは何だろう……鍋だろうか? 様々な野菜が入っていておいしそうだが、スープが怖いくらいに真っ赤だった。その色彩を裏付けするように、大きな文字で『激辛料理店スペレシム』と書かれている。


 少女はにかっと笑って、再び口を開いた。


「この国で人気を誇る激辛料理店が、ついにアネモネ・ストリートにもオープンしたんスよ! いやあお兄さんっ、辛いものは好きっスか?」

「辛いものっすか……まあ、人並みには食べれるかなあくらいっすね」


「なるほど! 大得意と!」

「ん、そんなこと一言も言ってませんよ!?」

「辛いものがないと目眩や息切れ、激しい動悸が起きるくらい、辛いものが好きと!」

「一言も言ってませんし、そのレベルで辛いものが好きな人はやばいと思うんすけど!」


「いっやーそんなお兄さんに朗報っスよ! このチラシを貰ったお客様にだけ、全品五パーセントオフのセール中! お財布に優しいスペレシム! どうっスか?」

「取り敢えず、会話には言葉のキャッチボールが大切だということを、君に伝えたいっすね」


 俺は半眼になりながら、少女に告げる。少女はからっと笑って「いやー、好印象を持って貰えたみたいで嬉しいっス!」と言っている。何も伝わっていなかった。


「お店はアネモネ・ストリートの端っこ! 西門の近くっスね! よかったらぜひ今度、食べに来てくださいっ!」

「あー、えっと、考えておきますね。ありがとうございます」


 俺は微笑んで、その場所から去る。少女はぶんぶんと手を振りながら、「まったねー、お兄さん!」と笑っていた。


 *


「へえー、激辛料理ですか?」


 閉店カードを扉に掛けた感情雑貨店グレーテアにて。シフィアさんはカウンターにもたれかかりながら、俺が貰ってきたチラシを眺めていた。


「まあ最近、結構寒いものね。辛いものが食べたくなる気持ちもわかるわ」


 箒を持って床を掃除しながら、ヨカさんはそう口にする。俺はちりとりを持ちながら、彼女に質問を投げかける。


「そもそもヨカさんって、辛いもの食べれるんすか?」

「そんなの、余裕で食べれるに決まってるじゃない! 辛いご飯はいいわよ! 口の中を満たす刺激と、後を引く味わい、身体を満たす温かさ――端的に言えば、最高よ!」


「へえ、そうなんすね! すごいっす」

「そう言うラビトはどうなのよ。辛いものとか食べれるの?」

「いやあ、ほんと人並みっすよ。強くもなく弱くもなくって感じっすね」


「ふふっ、何だか中途半端ね。辛みの尊さをまだまだ知れていないなんて、お子様ね!」

「いやあの、俺と君、そんなに年変わらないじゃないっすか!」

「一年くらい違えば、割と異なってくるわよ」


 若干ドヤ顔で言っているヨカさんに、俺は反論するのも面倒くさくなって「そうっすね……」と頷く。ヨカさんが集めたごみをちりとりで回収して、ゴミ箱に捨てた。


「シフィアはどうだっけ? あんたって確か、甘いものが好きなのよね。よくドーナツ食べてるし。そうすると、辛いものは苦手なの?」


「えー、どうなんでしょう? ボクの辛いものポテンシャルは謎ですねー、今までちゃんと食べたことないですし。ピリ辛程度しか経験せずに来ちゃいました」

「そうなのね、そうなのね! いやあ、シフィアもまだまだね!」


 ヨカさんは胸を張っていて、なんか得意げだった。シフィアさんはその言葉に、頬を膨らませる。


「むむ! ヨカちゃんにまだまだって言われるのは、納得いきませんよー!」

「何でよ! 別にそれくらい言ってもいいでしょ!」


「何故ならボクは常に、ヨカちゃんより優位に立っていたいからです!」

「何よその謎の目標は! 今すぐゴミ箱にポイしなさい!」

「お断りですー!」


 シフィアさんとヨカさんは少しの間沈黙して、見つめあった。それからシフィアさんが、すっと手に持っていたチラシを出して、にやっと笑う。


「それじゃあこうしましょう。今からこのお店――激辛料理店スペレシムに行って、夕ご飯に辛いものとやらを食べてやりますよ。そうしてまた一つ、オトナに近付いてやりますよー!」


「あら、いいじゃない。まあ、あんたが食べられなかったときは、仕方ないからわたしが手伝ってあげるわ! 仕方なくね!」


 ……俺はふと気付く。これ、今から激辛料理店スペレシムに行く流れになってないか? え、まずくね? だって俺、辛いものは人並みにしか食べられないよ? 激辛とか多分無理だよ?


 よし、逃亡しよう。俺はそう思い立ち、ちりとりを片付けに向かう。


「あ、ラビトも勿論行くわよね?」

「………………」


 ヨカさんの言葉をスルーしながら、ちりとりをロッカーに仕舞う。


「ラビトー? まさか辛みの尊さを知らないまま、帰宅する訳じゃあないわよね?」

「そもそも、このチラシを貰ってきたのはラビトくんですよ? ご縁があったんですし、折角だから行ってみましょうよー」


 二人の言葉には、明らかに「圧」がこもっていた。

 ……うん、これ、逃げらんないな。


 俺は腹を括って、二人へと向き直る。それからぐっと、親指を立ててみせた。


「おっけいっす、行きましょうか!」

「うんうん、そうしよ! ふふっ、楽しみだわ」

「楽しみですねー!」


「はあー…………」

「どうしたんですかラビトくん、そんなにおっきな溜め息ついて?」

「いや、何でもないっす……」


 俺はシフィアさんに近付いて、チラシを改めて見つめた。やっぱりこのスープ、どう考えても赤色すぎるよな。トマトをふんだんに使ってるとかいうオチだといいなあ。はあ。


「わくわくしますね、ヨカちゃん!」

「ねー、わくわくするわね、シフィア!」


 先ほどの言い合いからは一転、仲良く両手でハイタッチを交わしているシフィアさんとヨカさんを見て、俺の口からは再び溜め息が漏れた。

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