アネモネ・ストリートの回顧録
汐海有真(白木犀)
波瀾万丈ダブルデート回
01
俺がこの店――『感情雑貨店グレーテア』にやってきてから、三ヶ月ほどが経とうとしていた。
俺はカウンターの付近に座りながら、真っ白な紙とペンを使ってポップづくりをしていた。銀色のチェーンに繋がれた綺麗な模様をしたガラス玉を、何色ものペンを使って丁寧に描いていく。
完成して、俺はことりとペンを置いた。陰影を上手く付けることができたことに満足しながら、ひとり頷く。
「やっぱり上手いですねー……」
「ひゃあ!」
耳元でいきなり声がして、俺は驚いて振り返った。店長――シフィアさんが、ポップを覗き込むようにして立っている。情けない声を出してしまったことに恥ずかしくなりながら、俺は口を開いた。
「シフィアさんっすか……びっくりさせないでくださいよ」
「え、ボクはキミを驚かそうだなんて思ってませんよ? これくらいで驚かれてたら、困っちゃいますよー」
シフィアさんはにっと笑って、俺の方を見る。黄緑色のふんわりとした長髪と、ぱっちりとした蜜柑色の瞳。今日着ているのは、薄茶色のニットワンピース。色んなワンピースを持っているらしく、割と毎日着ている服が違う。
「ところでそのポップ、絵の方は完成ですかー?」
「ああ、そうっすよ! どうっすか?」
「超上手ですー、流石ラビトくん! どこかの絵の才能マイナス絵描きちゃんとは大違いですよ?」
「やったあ、ありがとうございます! あとは、隣に言葉を書けば完成っすね」
「そうですねー、ちなみにラビトくんはどんな言葉を入れたいですか?」
「えーと、うーんと、そうっすね……『めっちゃ綺麗でまじ最高! 神ネックレス!』とかっすかね」
「うんうん、いつも通りのクオリティです。……この三ヶ月を通して学びましたが、どうやら文才はマイナスなんですよね、ラビトくん……」
「ん、何をぼそぼそ言ってるんすか? 聞こえなかったっす」
「あ、独り言なので気にしなくていいですよ? でも取り敢えず、入れる言葉はボクが考えておきますね」
シフィアさんはそう言って、ウインクしてみせた。何と言っていたのか気になったが、その思いは胸に仕舞っておく。
「ところでラビトくん、そろそろ閉店時間なので、チラシ配りしてるヨカちゃんを呼び戻してきてくれませんか? 多分もうお客さん来ないと思いますけど、店番はボクがやっとくので」
「あ、了解っす!」
俺は立ち上がって、シフィアさんに軽く手を振ってから雑貨店の外に向かう。扉を開けると、段々と肌寒くなってきた空気が染みた。
人もまばらになってきたアネモネ・ストリートを歩きながら、俺はヨカさんのことを探す。少し歩いたところで、彼女の姿を発見した。真っ白の長髪と、山羊に似た角。後ろ姿でもよく目立った。
俺は彼女の近くに、一人の青年がいることに気付く。眩しいほどの金色の髪をしているのが、遠くからでもわかる。どうやらヨカさんは、彼と何やら会話をしているようだった。何だろうと思いながら、俺は二人に近付いていく。
「……僕は、貴女ほど素敵な人に出会ったことはない。この出会いは、運命だと思いたいんだ……」
え、何か歯の浮くような台詞が聞こえてきた。俺は思わず足を止める。青年は近くの俺に凝視されていることに気付いていないようで、さらに言葉を並べ立てる。
「貴女は本当に美しい。真っ白な髪は、白鳥の翼のようだ。その角も、どこか日常離れした魅力を孕んでいるね……」
俺は目を擦って、もう一度二人を見る。……夢じゃない。何というか、いきなり恋愛小説の世界にでも迷い込んでしまったのかと思った。女性向けのやつ。特に理由もなく、イケメンから溺愛されるようなやつ。
「ええと、その、ありがとうございます」
ヨカさんは綺麗な声と綺麗な口調で、そう言っていた。どうやら「素のヨカさんモード」ではなく、「店員のヨカさんモード」で応対しているらしい。
「お礼なんて要らないさ。僕は本当に、貴女を美しいと思っていて……ん?」
青年と目が合った。あ、やべ、と思う頃には時既に遅し。ヨカさんも不思議に思ったらしく振り向いて、そうして俺のことを見つめる。
「……あ、すみません、お邪魔したっす」
俺は微笑みを浮かべて、立ち去ろうとする。三歩ほど歩いたところで、ガッと肩を掴まれた。痛い。
振り向くと、そこには怒った顔をしたヨカさんがいる。怖い。
ヨカさんは小声で話し始める。
(ちょっとラビト、何逃げようとしてるのよ! 助けなさいよ!)
(えええ、いやそんなこと言われても困るんすけど! 俺、どう考えても邪魔でしょう!)
(邪魔じゃないわよ、救いの手よ! あの人、さっきからあの調子で、どうしていいのかわかんないのよ……!)
(そもそもあの人、要件は何なんすか? ただ褒めるだけの人じゃないでしょう?)
(え、なんか、デートしてくれって……言われた……)
ヨカさんは少し恥ずかしそうに、ぼそぼそと言う。ちょっとだけ顔が赤くなっていた。
(ああ、確かに君、びっくりするくらい美人さんっすからね。そりゃデートの一つや二つ、申し込まれますよね)
(きゅ、急に褒めないでよ! ううう、ラビト、どうしよう……)
「あの……」
俺とヨカさんは、同時にばっと振り向く。そこには怪訝そうな顔をした青年が立っている。そりゃ怪訝そうになるだろうな、口説いてた女の子がいきなり現れた謎の男と話し出すんだもん。びっくりするのも当たり前だ。
「ヨカさん、そちらの男性は?」
「あ、すみません、自己紹介もせず……。俺は、ラビト=マヴァリフって言います。この人の同僚です」
「ああ、同僚の方でしたか。僕はシェンル=ジティシースと申します。そちらの……ヨカ=リルリネアさんに、一目見たときから心を奪われてしまって。今、デートを申し込んでいたところです」
「ああ、そうらしいっすね……」
俺は頷きながら、青年――シェンルさんのことを、改めてまじまじと見る。
すらりとしていて長身。綺麗な金髪に、透明感のある肌、清潔かつ高級そうな衣服。顔立ちは同性の俺から見ても、かなり整っている。
俺はヨカさんの方を見た。雪のような長髪と、物憂げな薄紫色の瞳。若干気難しい性格をしてはいるけれど、すれ違った人が思わず振り返るほどの美人。
……もしかするとこの二人は、お似合いなのではないだろうか?
俺はヨカさんの方を見て、笑う。
「いいんじゃないっすかね!」
「えっ、な、何が!?」
「えーと、シェンルさん。うちのヨカさんは正直めんどくさいところもありますが、根はいい子っす! 俺が保証します!」
「ちょ、ちょっと待ってよラビト! 急に話を進めないでよ! あーもう、わたし帰るから……!」
ヨカさんはそう言い残すと、俺の腕を引っ張って走り出す。俺はがくんと体勢を崩しながら、つられて走る。
「ヨカさんー! また明日、返事を聞かせてねー!」
後ろからシェンルさんの声が聞こえてきて、ヨカさんは一瞬振り向いてばっと頷くと、さらにスピードを上げて駆け出した。
「ちょ、ちょっとヨカさん、引っ張らないでください! 俺、自分で走れますから!」
「あーもう、うるさいうるさい! ラビトは黙ってて!」
「ええー!?」
俺の悲痛な叫びが、暮れどきのアネモネ・ストリートに響き渡った――
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