玄風、にげる!

クメキチ

第0話

 ……ここは、今で言う中国という国にある都。

 開元の治と呼ばれる時代で、都には毎日ラッシュの如く多数の人が行き交い、騒がしい。

 不意に人々の間を縫うように、突風が駆け抜けていった。


「まずい、まずい。……まずい、まずい!」


 仙人や妖力を持つ者ならば、風がそう言っているのが聞こえただろう。

 駆け抜ける風の正体は玄風げんふうという少女。仙人になるため修行中の身だった。

 仙道の師匠を怒らせた玄風はいま、できるだけ遠くへ逃げようとしていた。


「だけど、どんなに遠くだろうと、師匠はその気になれば一瞬であたしの所に現れちまう……。師匠の怒りが解けないうちは、どんな修行を課されることか……うわああああああ!」


 熟練の仙人にとって、この世での距離は無いも同然だった。山奥から都まで、瞬く間に移動できる。


「じゃあ……じゃあ、あそこになら何かいいのあるかも!」


 風はたちどころに、皇帝の住む宮殿へと向かっていった。


 玄風は宮殿に忍び込んだ。すでに風ではなくなっていた。

 宮殿内には当然、何人もの警護兵が哨戒で歩き回っていて、風もない宮殿内で突風が吹くような異常事態が起これば兵が殺到し、仙人の卵などたちどころに見つかりかねない。


 だから玄風は、今度は影となって、警護兵の影に忍び込む。

 彼らの目を盗み、隙をつき、警護兵の影から影へと飛び移って静かに移動して行った。


 やがて、玄風は何人目かの警護兵の影からそろり抜け出し、宝物殿の扉の燭台の影に潜り込んだ。扉の前にはこれまで以上に屈強な警護兵が何人も立ちはだかり、扉にはいくつもの錠が厳重にかけられており、風も影も中に入るのは難しそうだった。


「チュウ、チュウ」


 玄風は、影の中からネズミの鳴き真似をした。仙術で、鳴き声が扉の向こうから聞こえるように。当然、警護兵たちは慌てて錠の鍵を開ける。中の宝物が忍び込んだネズミに荒らされては、彼らの立場も命も危ない。


 こうして玄風は、燭台の影から宝物庫へと入り込むことが出来た。


「入るまで時間かかっちまった……。何かないか、何か……」


 ネズミを探して、宝物庫内を走り回る兵たちを後目に、師匠から逃げおおせるための宝物を一生懸命探した玄風の目に、一枚の鏡が映った。


「あれだ」


 強い妖力を感じるその鏡に近づき、玄風はなにやかにやを唱えると鏡面へと飛び込んだ……。




「……5分の2割る2分の1。……引っくり返してかける、だから答えは、5分の4、っと。よし、算数の宿題もおしまい!」


 さて、ここは現代の日本の関東の都市。新築の一軒家の二階の自室で、小学生の小湊こみなと慧大けいたが宿題を終わらせたところだった。

 この一軒家への引っ越しで自分の部屋を持てたことはうれしかったけど、ローン返済のために両親が共働きになり、夕暮れまでひとりで過ごすのは寂しかった。

 転校も余儀なくされた慧大は、二週間経っても、未だに新しいクラスに馴染めなかった。


「ゲームでも遊ぼっかな。もしかしたら、ユージやショーちゃんもオンライン入ってるかもだし」


 思わず、転校前の親友たちの名前をつぶやく。自分の独り言が増えたことに、慧大はまだ気づいてなかった。

 ゲーム機を手にした慧大は、電源入れる前の黒い画面に映った自分の顔に吹き出してしまう。


「ぷぷぷ……。これじゃ、パンスト被った顔だよ……」


 そう言って、ハッと気がつく。違う! 僕のじゃなくて、これは別人の顔だ!


「え? なんで? 誰の顔これ?」


 パンストを被ったというより、正確には画面に顔を押し付け突き破ろうとしている顔だった。慧大が気持ち悪さを覚えてる間に、顔は少しずつ画面からせり出して来て、やがて画面を突き破り、全身もろとも飛び出してきた。


「うわああああああああああああ!!」


 昔の中国人のような格好をした、長い黒髪の少女がゲーム機の画面を突き破るように飛び出してきたので、当然慧大は激しく驚いて尻もちをついた。


「ふう……、やっと出れたー。ここは……、アレかな? ……あっ、封をしないと師匠もここに来ちまうか」


 そう言った少女がなにやかにやをつぶやきながら、片手をシュパシュパ動かすと、ゲーム機に赤く大きなX字が現れた。


「な、な、な、な……」


 慧大は目の前で起こっていることが理解できず、尻もちをついたままひたすら呆然としていた。


「いや、封をしたくらいじゃ、師匠ならひょっこりここまで来ちまうなー、やっぱり。う~~~~ん……。あ、そうだ。そうだそうだ」


 そう言って、奇妙な少女は慧大の方を向いた。芸能人のようにきれいな顔立ちの少女に見つめられ、慧大は思わずドキリとしてしまう。


「君、ちょっと手伝ってくれない?」

「……て、手伝う?」

「うん。師匠から逃げるのを」

「……に、逃げる?」

「えっと……、あっ、これのが分かりやすいか」


 そう言って怪しい少女は封をしたゲーム機を拾って、そこからコントローラーを外して慧大へ放り投げた。慧大が反射的にコントローラーを受け取ると、なぜかジェット機の操縦席のような空間にいた。


「え? え? えええ!?」

「とりあえず、自由に操縦して! あたしじゃないヤツが操縦した方が、師匠から逃げられるような気がする!」


 頭に響く声が、さっきのヤバい少女の声だと慧大は直感した。


「な、な、何がなんだか! 操縦って、なんの? だいたい、君、だれさ? ここはどこだよ?」

「あたしになったから操縦して! で、あたしは玄風! そこはあたしの中……みたいなとこ!」


 にいると言われて、慧大は一瞬ドキリとした。が、すぐに反論する。


「ここ、コクピットじゃないのか? 機械か君は! カラスになったって……」

「……ああっ、やばい! 師匠が来ちまう! 封が破られる前に飛べ! 飛べ!!」


 そう檄を飛ばされ、慧大はとにかくコントローラーのボタンとレバーを適当に操作した。すると、驚いた事に、飛行機のような浮遊感を感じた。


「ええっ、本当に飛んでる?」


 その直後、に強力なGを慧大は感じたのだった。


「うわあっ!!」


 と、同時に、窓ガラスが割れたような音と衝撃を感じた気がしたが、


「……き、気のせいだよ、うん」


 と、いうことにした。


 慧大の前方の2つの丸窓から、たしかに住み始めたばかりの街の、スーパーや学校が見えていた。


「ホントに飛んでる……の?」

「ウソ言ってもしゃーないじゃんよ?」

「じゃあこれ、飛行機なの?」

だっての。言ったじゃん」


 窓から見える景色の速度は、とてものスピードには思えなかった。


「操作に慣れてきた? じゃあ、全力で飛ぶよ」


 慧大がなにか言う前に、は更に速度を増した。


「うわっ、うわっ、速いいいいいいぃぃぃぃっ!」


 とにかく衝突を避けるために、慧大はレバーを思いっきり下に入れた。それに合わせて、は更に上空へと羽ばたいていく。

 さらなる上空を目指しながら、は大きくジグザグに猛スピードで飛んでいた。


「いいぞー! 操作が下手くそでどこに飛ぶのか予測不能!」

「下手くそっていうか、早すぎてコントロール出来ないよ! 今どこなの?」

「え? ちきゅー」

「下らないこと言わないでよ!」

「今いる場所ホントに言ったら、見つかっちゃうんだって! 師匠は地獄耳なんだから!」

「師匠って。なんの?」

「あたしは仙人の修行中なんだ。……んで、ちーっとやらかして、いま師匠から逃げている最中ってワケ」

「はあ……。仙人……」


 玄風とか言う少女の言葉に、慧大の脳の処理が追いつかず、とりあえず彼は夢だと思うことにした。が、ハッとあることに気づいて玄風に話かける。


「……えっ、ちょっと待って? カラスになって逃げてるの? このスピードで?」

「だから、そう言ってっしょ」

「こんな速さのじゃ、……師匠に、バレない?」

「え? ……あ」

 その瞬間、何かが衝突したような激しい衝撃を慧大は感じ、そのまま気を失う。成層圏に突如現れたしゃくに叩き落されたということは、慧大の想像の範囲外だった。


 ――慧大はベッドの上で目を覚まし、がばっと飛び起きた。よかった。やはり夢だ。そう思ったが、ベッドの直ぐ側に誰かが立っていることに気がついて、叫び声を上げてしまう。


「すみませんのう。弟子の玄風が迷惑をかけて」


 そばに立っていたのは幼い少年だった。慧大の叫びにも動じず丁寧に挨拶をする。少年の幼い容姿に似合わない口ぶりから、彼が玄風の師匠なのだと慧大は直感した。

「我々は元の時代に戻ります。ではごきげんよう」

 気絶したを持った師匠は、フッと上に向けて息を吹くと、スッと消えたのだった。


 窓もゲーム機も何事も無かったように元のままで、慧大はしばらくぽかんとしていた。


「……な、なんだったんだろう? やっぱり夢だったのかな?」


 確かなのは、この出来事を誰かに話したところで、絶対に信じてはもらえないということだった。




 ……慧大はまだ気づいていない。ゴミ箱から、の頭が出てきていることに。

                                    

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