第80話 汝を呪う 前編
廊下を進んだ先に、一際重厚な扉があった。鉄製の分厚い扉の表面には、一見すると意味の分からない模様が刻まれている。強いて言えば蔓植物が複雑に絡み合った、そんな模様だ。
だが、詳細に見るとそれら蔓の絡み合う形が花や木のような模様を浮かび上がらせていた。緻密な職人の業をが伺えるそれに何人かの兵士が思わず唸った。
ただフェルディナンドには価値など分からない。
地道な作業で大変だな、としか思えない。正直に言えば、気が狂いそうになる作業だろう。
そんなことを思いながらフェルディナンドが扉の取っ手を掴んだ時、隣にいたベラトリアが作戦の流れを確かめるように告げた。
「オーウベンの防御魔術を破壊したら、私は中に入るわ。陽動は頼んだわよ」
「そっちこそ、しっかりやれよ。それから、プシュケルを助けてオーウベンを倒したら、次はお前の番だからな」フェルディナンドは告げる。彼女の野望も当然、阻止せねばならない。
「ええ、分かってるわよ」
ベラトリアは不敵に微笑む。
月日と己の魔術師生命を賭けた自分の計画を潰す、と確かに告げられたにも関わらずにだ。
余程の自信があるのか、それともまだ隠していることがあるのか。問い詰めたいことは山ほどあるが、今はベラトリアの言う通りにしなければならない。
何よりプシュケルを救い出せば、幾らでも何とかなるはずだ。
こちらを見送るように、壁へ凭れ掛かりながら微笑むベラトリア。その余裕な表情が焦燥するのを期待しながら、フェルディナンドは取っ手を引いて扉を開く。
扉を開けた瞬間、強い風が吹き出した。飛ばないように帽子を押さえるフェルディナンドの服の裾が風ではためく。
目に入ろうとする前髪を煩わしく払いながら、室内の全貌を見たフェルディナンドはその光景に思わず声を漏らした。
まず、目についたのは床一面を覆う花畑。七色の花弁を持った花が無数に生えている光景は神秘的で、さながら七色の絨毯のよう。冷たい風に吹かれて花が一斉に動くさまは、まるで波打つの大海のようにも見える。
これが普通の花であれば、人の目を奪って離さない幻風景。
だが、これは普通の花ではない。
常世に咲く、異界の花。
その蜜に魔力を蓄える神秘の花。
人の中に宿り、根を伸ばし、異形の身に変える悪しき花。
人に与える、その名は
人へ授ける、その名は
だが、そんな呪い花の群生以上にフェルディナンドたちに畏怖を与えるモノがあった。
樹木だ。花畑の中央辺りに太い根を露出させ、聳え立つ巨大な木。無数の蔓が絡み合って出来ているような分厚い幹は数百人の大人が手を繋いで、やっと囲える程だ。
樹木の先端部には無数の枝が広がっており、それらは逆笠状になっており、まるで何かを空に放つかのような形をしている。葉の一枚もない枝はとても不気味で、それは冬を耐える樹木の姿ではなく人間の骨のようだ。
いや、そうだ。
そう、骨だ。
あれは骨だ。
フェルディナンドたちは気付いた。
太い幹を見て気づいた。
蔓が絡み合ってるのではない。
人だ。
人間だ。
無数の人間だ。
それらが、まるでぐちゃぐちゃにした糸くずのように絡み合って一つの大樹を形成している。
殆どは一糸纏わぬ姿だが、一部は服や鎧の一部など身に着けたまま。
その中にウンガが大国の装飾を見つけた。
次いでヨドウが他国の国章を付けた人間を見つける。
そして、それ以外にもフェルディナンドには見覚えがあった。この島国の一族を築いていた騎士や貴族、魔術師などの家章があったのだ。
どうりで、城内に殆ど人がいないはずだ。
その理由が判明した。
彼らは全て――この悍ましき大樹の一部にされていたのだ。
「おやおや、来ましたか。どうです、これ? 不気味ですよねぇ……ワタクシ常世信仰衆ですけれど、流石にこれにはドン引きです」
オーウベンの声が響いた。
身構えるフェルディナンドたちを前に、オーウベンが大樹の後ろから不愉快な動作でヒョコリと顔を出した。
にこやかに微笑む彼はヨドウたちに気づくと、心底嬉しそうな声色で手を振る。それから手を後ろに組んだ状態で姿を現した。
その瞬間、メイガンが銃を放った。騎士たちの後ろに隠れていた彼の動きは、オーウベンには見えていなかった筈だ。
しかし、放たれた弾丸はオーウベンの頭部を狙い飛んでいくも――寸での所で防御魔術に防がれる。発射の勢いを失った弾丸は僅かな落下音を立てて呪い花の中に沈んだ。
「そんな銃でこの
オーウベンは暢気に目を凝らしてやっと見える半透明の防御魔術を、指で叩いて見せた。
「テメェ……!」
彼の態度に怒りを再点火させて、ウンガが荒々しく銃口を向けた。指は確かに引き金にかかっており、何時でも撃てる状態だ。
「怖いですよウンガさん、お嬢様の元に来る前のような荒みっぷりですね。睨んだ顔が怖いと、お嬢様が良く言っていたのをお忘れですか?」
何の罪悪感も無くエリンキルのことを口にしたオーウベン。彼は気付いている筈だ、フェルディナンドたちがここに来ていると言うことは――即ち、もうエリンキルは死んでいることを。
それなのに、のうのうとした態度のオーウベンにウンガは勿論、他の兵士たちも我慢できずに一斉に射撃を放った。
連鎖的な雷鳴の音と共に鉄の雨がオーウベンへ振る。
だが、先と同じだ。
オーウベンを守る防御魔術がまるで鉄の傘の如く、彼に一切に怪我を負わせない。
「まあまあ、無駄なことは止めましょうよ。まるで血を零したように、目が真っ赤ですよ皆さん?」
喧嘩を仲裁するようにオーウベンは片手で抑えるような仕草をする。
誰のせいで、彼らに血涙を流させたのか。それを分かっていながら、それはそれとしてオーウベンはウンガたちに抑制を促す。
「オーウベン、プシュケルはどうした?」
フェルディナンドも技巧銃を向けて、問う。
確かに彼女はオーウベンに連れ去られた筈だが、この部屋の何処にも姿が見えていない。
「ああ、常世の虫ならそこですよ、そこ」
オーウベンは大樹を指さす。
彼の指さす先に小さいが、確かにプシュケルの髪と細い腕が人間の蔓に飲み込まれていた。
「この大樹が蓄えた魔力を彼女には全て吸い取ってもらいます。さすれば、
オーウベンはそこで役者めいた芝居のかかった身振りで高らかに宣言する。ふと、フェルディナンドは彼の右手の小指が無いことに気づく。
距離があるせいで詳細は不明だが、新しい包帯とそこに滲む血の鮮やかさからして、直近に受けた傷なのだろう。
一体、誰にやられたのか。
もしかし、プシュケルなのか。
そうフェルディナンドが考えた時だ――大樹から素早く伸びた蔓がオーウベンの右腕を掴もうと、ヘビの急襲のような動きで迫った。
目にも止まらぬ速さだったが、オーウベンは既に気付いており――何より、彼の周囲に展開されてる防御魔術によって蔓は彼に触れることすら叶わない。
「ワタクシの小指を奪ったのに、まだ御所望なのですか? 残念ですが、貴方に取り込まれる訳にはいきませんよ」
人差し指を立てたオーウベンは大樹に対して、まるで子供を叱るような仕草と共に叱責する。どうやら、彼の小指はあの大樹が奪ったようだ。
しかし、どういうことだ。
フェルディナンドは疑問を浮かべる。
オーウベンは常世信仰衆の人間。
ならば、呪い花にとっても彼は味方では無いのか。
気になることだが、これは好都合だ。あの蔓の一撃は非常に強烈で、防御魔術にも歪が見えた。上手くウンガたちと連携をすれば、あの防御魔術を破壊して――ベラトリアの切り札を打ち込める筈だ。
フェルディナンドの目配せにヨドウやウンガたちは頷く。
ウンガやメイガンたち兵士の射撃を主軸に、仮に蔓や呪い花からの襲撃があればヨドウたち騎士が対処する布陣を敷く。
「生憎ですが、邪魔はさせませんよ」
フェルディナンドたちの攻撃態勢にオーウベンは微笑んだまま、片手に握るカトレリアの宝石を光らせる。
そして、もう片方の手にはいつの間に手にしていたのか宝石魔術用の宝石が入れられている袋を手にしていた。
「極東の島国の再興を、あるべきあの姿を――極東の島国こそが世界の主役、花形。長いこと世界の主役は貴方たちに譲ったでしょう? 西洋の白禍たちよ――間もなく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます