鍵括弧の磁力

中村りんず

第1話


 カギ括弧が磁石だったとして、【「】がS極、【」】がN極だった場合、人間の会話は極限まで制限されるはずだ。

 つまり、【「】と【」】は互いに引き付け合い、括弧内の文字をあたう限り潰しにかかるだろう。その場合、会話文は会話文には見えないはずだ。 

 僕は、そんな物語があってもいいと思う。


A


「」

 雄一はひどく疲れた表情で、そう呟いた。

「」

「」

「」

 それは君のせいじゃないだろう、と口を挟みたくなるが、飲み込んでおく。「」

「」

 バカじゃないの、と僕は笑った。



 Aの物語は、カギ括弧同士の磁力によってひどく曖昧になっている。会話の中身が潰されてしまっているからだ。圧縮された文字は僕らには見えない。

 しかし、それは新たな可能性をもたらしてくれる。物語は自由に広がり、自在に解釈される。

 たとえば、こんなふうに。



B


「昨日彼女と喧嘩してさ。はあ、マジで人間ってめんどくせえな」

雄一はひどく疲れた表情で、そう呟いた。

「お互い恋愛感情を持って、そういう関係になってるはずなのにな」

「喧嘩の原因は?」

「二人暮らしなのになんでこんな狭い家に住んでるの、私のこととか何にも考えてないよね、だってさ」

それは君のせいじゃないだろう、と口を挟みたくなるが、飲み込んでおく。「それで、話って何」

「可能な範囲でいいから、部屋を広くしてくれないか」

 バカじゃないの、と僕は笑った。



C


「追っ手は来てないみたいだな」

 雄一はひどく疲れた表情で、そう呟いた。

「よし、これで逃げ切ったら俺たちの勝ちだ。金だけ持って海外に飛ぶ。狭いニッポンともオサラバだ。ほら、ついでに盗んできた拳銃はくれてやるよ。俺はいらねえから」

「ありがとう。どうしても欲しかったんだよね」

「意外と厳重に保管されてたから手間取っちまったな。申し訳ねえ」

 それは君のせいじゃないだろう、と口を挟みたくなるが、飲み込んでおく。「じゃあ、オサラバだね」

「そうだな……っておい、何してんだ。バ、バカな真似すんじゃねえよ。なあ――」

 バカじゃないの、と僕は笑った。




 実際にはカギ括弧に磁力はないので、これは架空の話でしかない。

 でも、そんな物語があってもいいと僕は思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鍵括弧の磁力 中村りんず @nakamura_rinzu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る