4.七月中旬、集う者たち

 梅雨が明けた7月中旬、うんざりするような暑さの中、三人は水滴に覆われたビールジョッキを傾けていた。

「あの『かなっぺ』って子」

 そう言うとハルキは枝豆を口の中に弾き出した。

「ああ、いい感じだね、この子」とコウタ。

 夏休みの計画を発表したあのランチのあと、ハルキはどこからか別のコミュニティを探し出してきた。そこは登録者数もそれほど多くない、こじんまりした印象のものだった。ハルキにとっては動きやすく、望む結果を得やすい場所だったのだろう。こういう嗅覚は任せておいて間違いはない。ここに孝明とコウタも登録し、イベントパートナー(ハルキがそう呼んだ)を探す活動が始まった。と言っても、まともに活動するのはハルキだけで、孝明とコウタはもっぱら見ているだけだった。

 ハルキは半分程度しか正しくない自己紹介から始めると、花火への想いと豆知識、そしてちょっとした軽口といった具合に会話を作っていった。それらはとどのつまり、ネットで見つけた美辞の羅列と、検索サイトを使った調査報告でしかなかったのだが、それなりに様になっているのはさすがといったところだった。

 巧みに何人かの相手をしつつ、しばらくは軽い全方位外交が続いたが、次第に出現する頻度が下がりやがて消えていく者もあれば、その一方で何人かとの会話は日課として続いた。その一人がコミュニティー内で『かなっぺ』と名乗る子だった。

 実はあの花火大会を見たことがない。今年はどうしても見てみたいので車を出す予定だが、頭数をそろえて費用を抑えたい、という当初の計画通りの趣旨で、ハルキのパートナー探しは佳境に入っていた。

「かなっぺが友達と二人で行こうかな、ってさ」

「ああ見た見た。カナコちゃんかな? カナエちゃん? 単にカナ、かな?」

 コウタは楽しそうに言ったあと、上目遣いにハルキを見て一言加えた。

「他の子はダメだったけど、結果、うまくいきそうじゃないか」

「ダメだったんじゃなく、俺が手を引いたんだ」ハルキは顎を突き出して言った。「どうせ三人までしか誘えないんだし、欲張ったって意味がないだろ。勝てる相手を早々に見極め、その戦に全ての力を集中する」

 誘うのは最大で三人、それより少ないぶんには特に問題ではない。ハルキはそう言った。配分やバランスなどは考えていない。座りたい人間と椅子の数が合っていなくても構わないし、もちろん自分が椅子を取り損なうなどとは少しも思っていない。

「ほうほう、ハルキ先生の兵法ですな。勉強になるなあ」

 ハルキの言葉は孝明から見ればひどく馬鹿にした話だったが、コウタは気にしていないようだった。

「下手な狩人ほどあちこち目移りして、結果、手ぶらで帰ることになるんだよ。確実に巡り合える場所を嗅ぎ取る鼻、相手を見極める目、そしてそこに集中する精神力」

「なるほど、さすが名ハンターは違うねえ」とコウタは何度も頷いた。

 ハルキは力強くジョッキを握ると、ビールを一気に飲み干した。勢いよく流しこんだ反動で大きく息をついてから、刺身を一切れ口に入れた。

「孝明、勝つために必要なのはなんだか分かる?」

 ハルキは刺身を咀嚼しながら孝明を箸で指した。

 孝明は自分のジョッキを見つめたまま、ハルキには一瞥もくれずに言った。「というか、あれ、ほんとうに女性なのか?」

 おっ、と言ってコウタがハルキを見た。

「心配するな」

 ハルキは箸をおろした。

「さすが、自信満々だねえ」

 とコウタが言ったところでハルキが「あ、かなっぺからだ」とスマホを取り上げた。

 コウタも自分のスマホを覗き込んだ。

「ほんとだ」

 コウタが言い、孝明も自分の画面に目を落とした。

「高校の時の同級生を誘ってみるってさ」ハルキは満足げに言った。

「いいねえ、流れがきたって感じ?」

 孝明は画面に表示された名前、いや、名前とは言えないただの記号を見つめながら、その見知らぬ女性と友達の姿を想像してみた。なんとなく現実感のない、まるで深い霧の向こうを見透かそうとしているようだった。白い霧に溶けそうな薄墨色の影、人の形をした動かない影。あれは、人なのか。

 そう考えていたところで、ふと孝明は思い出した。

「そういえばこのコミュニティ、変な人いるよな?」

「変な人?」コウタが唐揚げを口に入れながら繰り返した。

「参加者はしているんだけど、一言も話さない人」

「ああ」とハルキは素早く画面を操作した。「この子ね。『your dolocy barr』ドロシーちゃん。外人か?」

「まさか」コウタが笑った。

「確かにいつもアクティブなんだよな」

 コミュニティーの参加者は、やがてある者は立ち去り、ある者は幽霊と化し、そしてある者は実像を徐々に現す。それはどれにも当てはまらない人物だった。

「ドロシーって、あれかな? オズの魔法使いの」とハルキは首を傾げた。

「うーん、なんかちょっと違うような」とコウタ。

 孝明は検索してみたが、なるほど、確かにスペルは違うようだ。それにファミリーネームも異なっている。

「声はかけてみたの?」とコウタが聞いた。

「ああ。なんのレスポンスもなかったっけどな」

 そしてハルキはまた箸で孝明を指した「孝明、英語得意だったよな? なんか声かけてみろよ」

 孝明はその箸を力いっぱい払いのけるシーンを想像した。

「嫌だね。それに日本人だろ、その人も」

「だろうね」そう言ってスマホを持ち直した。「よし、最後にもう少し口説いてみるか」

 そう言って、なれた手つきで文字を打ち始めた。やがて孝明の画面にも入力内容が表示された。

<@your dolocy barr 元気ですか?>

 アクティブのランプは点いているが、返事はない。

 しばらくして、またハルキが打ち始めた。

<@your dolocy barr 無口ですね? いま図書館ですか?>

 なんだそれ、と言うコウタをハルキが笑いながら睨んだ。

<@your dolocy barr 好きな食べ物は何ですか?>

 食べ物? と吹き出したあとコウタは次の唐揚げにかぶりついた。

 孝明は黙ったまま相手のランプを見つめていた。

 一方的な発信がいくつか続いたが、そもそも最初からどうでもよかったハルキはさっさと飽きてしまった。

「あー、もういいや。消しとこ」

 メッセージは削除され、ハルキとコウタはまた取るに足らない話を始めた。

 夏休み、男三人に女性二人、花火大会。

 分かっている、男が一人多いんだろ? そのくらいの引き算はできる。

 諦めと投げやり、しかしその裏にある抑え難い期待。

「この子ら本当に大丈夫かね?」というコウタの投げかけに「大丈夫だろう」とハルキはそっけなく答えた。

 二人の論点は極めてシンプルなものだと孝明は知っている。表面的な属性と股関節の柔らかさ。後者については、ハルキはすでにクリアしたと考えているだろう。前者については、現時点で誰にも分からない。しかし孝明にとってはどちらも大した問題ではなかった。

 ハルキが言った。「よし、この先は個別連絡に切り替えて、コミュニティからは撤収しよう」

 優秀な狩人は言葉通りに次の行動を始めた。二人の女性のことは何も分からない。名前、年齢、その他諸々。だがなんと言ってもそれらは些細な問題であり、夏休みはもうすぐなのだから。

 孝明は、ふと画面を見た。

 無口な彼女、もしかしたら彼、のアクティブのランプが消えた。


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