クリーパー

瀬山 将

1.夜の手前

 大きめのミニバンとはいえ、五人で乗ればそれなりに窮屈さを感じた。エアコンの風は車内を快適な温度に保っていたが、孝明は長いこと息苦しさを感じていた。

 八月に入り、暑さは一段と激しさを増した。猛暑日がもう何日も続いており、天気予報では毎日のようにアラートを発していた。だがこの息苦しさは単に外気温のせいだけではなかった。スピーカーから流れ続ける流行歌と、途切れることのない会話がその主な原因だった。

 孝明は小さくため息をつくと、ドアに肘をかけてぼんやりと薄暮の高速道路を眺めた。反対車線、つまり上り車線に隙間なく連なるヘッドライトとは対照的に、ミニバンは下り車線を快調に飛ばしていた。普通は学生が持つ部類ではないこの高級車は、実に快適な環境を提供してくれている。しかし居心地の良し悪しはそれだけでは決まらなかった。車内はずいぶん長いこと海外の人気スイーツをネタに盛り上がっている。

 よく会話が続くな。そう思いながら、話題のスイーツを思い浮かべた。食べたことなどないし、買ってみる気もない。テレビドラマで人気が出たこと、日本では昨年都心に店がオープンしたこと、ボリュームはあるが意外と糖分が控えめなこと。ネットのニュースで見たことのある情報を頭の中に並べてみた。

 俺、それ食べたことないんだ。そう言って会話に飛び込んだら、女性二人はどう反応するだろうかと、ふと考えてみたその時、

「あ、わたしこの歌だいすき」と孝明の隣でカナが話題をひっくり返した。

「ね、この歌いいよね」とハルキが三列目のシートから身を乗り出し、後ろからカナに近づいた。

「うん、最近のなかでは一番好きかも」

 その会話を聞いたコウタは左手をハンドルから離してボリュームを上げた。コウタの自慢の一つであるオーディオシステムが、まるで見得を切るようにその力を増幅させた。

 孝明はまたこの手の話が始まるのかと思いつつも、アーティストの名前を頭の引き出しから取り出した。

 ハルキの隣に座るユリが、ハルキと顔を並べると「この車のステレオ、とってもいい音がするね」と言って耳の後ろに手を添えた。

 真後ろに座るユリの髪が孝明の顔に近づき、花のような強い香りがした。いい匂いには違いないのだが、部屋にある芳香剤を孝明は思い出した。

「おい、車褒められてるぞ」ハルキは大きめの声で運転席のコウタに言った。

「そりゃまあ、いろいろこだわりはあるよ」

 コウタはルームミラー越しにユリに答えた。

 ユリは、へえぇ、と大きな目をさらに大きく開くと、すぐに横のハルキに向きなおった。「高い車なの、これ? そういえば座り心地もいい気がする」

 前方に集中しつつもミラーが気になって仕方がないコウタの様子を、孝明は背後から見ていた。

 ハルキがユリの耳元に近づいて言った。

「あいつ金持っているからさ、湯水のようにつぎ込んでいるんだよ」

 ユリは目を丸くしたまま両手で口を覆った。

「うわぁ、じゃあすごい車なのね」

「そう。高いらしいぜ、これ」

「車ってさあ」ステレオに負けないようにコウタは大きな声で言った。

 耳のいい奴だな、と孝明は思った。

「俺にとっては自由の証なわけ。つまりさ、どこにでも行ける翼って言うの? それだけの価値があるってこと」

 するとカナが二列目から大きく顔を運転席に突っ込んだ。そのおかげで隣に座る孝明は体を窓側によけるはめになった。

「そうなの? コウタ君の家ってお金持ちだってこと?」

「親は関係ねえよ」

「そっかあ、ボンボンなんだあ」

 カナは唇をつりあげた。そしてからかうように低い声で言った。「ほしいものは全て手に入れちゃうぜ、って感じ?」

「まさか」と、どういうわけかコウタは上機嫌な声を上げた。

「そうかなあ。俺に手に入らないものはない、って顔してるんですけど」

「そんなわけないって」

「それでそれで? 次は何を買うつもりなの」

 コウタは大きく一つと唸ったあと、すぐ横に迫ったカナの顔を横目で見た。

「そうだなあ、助手席で話し相手になってくれる子かな」

 そう言って車内で唯一空席となっている助手席を指した。買う、という軽い皮肉は通じなかったようだ。

「そっかそっか。じゃあ、どこかでシャッフルだね」

 カナはひどく明るい口調で言った。そして背もたれに戻ると同時に、今度は勢いよく横にいる孝明を見て、まるで路上でコインでも見つけたかのような目で「元気?」と顔を覗き込んだ。

 ハルキとしゃべっていたユリも孝明を見て言った。

「そういえば孝明君は無口なのね」

「こいつはクールだからさ」ハルキが答えた。「大学の中でもこいつの声を聞いたことがあるのは俺とコウタだけなんじゃない?」

 ユリはまたすぐにハルキを見た。

「そうなんだ、孝明君はクールなのね」

 するとコウタが「無口だろ? 実はこれ秘密なんだけど」と深刻な声で言った。「こいつ、アルバイトで殺し屋やってるんだ」

 ユリは口に手を当てて目をパチパチさせた。

「えっ、やだ、そうなの」

「うん。何とかサーティーンみたいなやつ。だから口数が少ないんだよね」

 ユリは口をふさいだまま孝明の後ろ姿を見つめ、ハルキはその横顔を見ながら何か言いたそうな顔をしていた。

 コウタは調子に乗って続けた。

「ユリちゃんの会社にはいない? 副業でそういうことやっている人」

「え、いない、と思う」

 孝明は窓の外に視線を向けたまま、鼻から深い息を吐いた。

 カナが大袈裟に腕を組みながらコウタに言った。

「へ―、殺し屋ねえ。それで? 武器は何を使うの? 拳銃? ナイフ?」

「ハリセン」

「アホくさ」

「カナちゃんの会社にはいない?」

「いるか!」

 コウタとカナが笑い、それからハルキとユリも笑った。が、すぐにユリはぴたりと笑うのを止め、「え? なに?」とキョロキョロし始めた。「もしかして、嘘?」

 当たり前だろ、とハルキが眉を八の字にすると、ユリは「もう」と肩を落とした。

 と、カナが孝明の方を向いて言った。

「ねえねえ、タッくん」

 孝明は一瞬、それが自分のことだと気づかなかった。

「俺?」

 カナは頷くと孝明に詰め寄ってきた。孝明は思わず腕をこわばらせた。ユリの髪とは違う香りがした。シャンプーや香水とは違う匂い。孝明はそれを吸い込んだ。

「タッくんはこの歌すき?」

 孝明はカナと目を合わせたが、すぐに口元まで目線を落とした。今日会ったばかりの女性からそんな風に呼ばれることへの違和感もあったが、それ以上に間近からじっと見つめられる恥ずかしさがあった。

「いや、それほどでもないかな」

「そうなんだ」カナは何度か頷いた。

「孝明、正直に言えよ。本当はこの曲知らないんだろ」と運転席から。

「話題が乏しいとモテねえぞ」と三列目から。

 二人の学友とユリが笑った。孝明は別に腹を立てていたわけでもなかったが、何も答えなかった。

 横からカナが孝明の膝を軽く叩いた。



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