コルチカム
白キツネ
プロローグ
「ここは……」
ふと目を開けば辺り一面が真っ白な空間にいた。その場で立っているはずなのに、地に足がついていない感覚。
ここが何処なのか、そんな当然の疑問さえ思いつかないほどに綾香は何故か安心しきっていた。
その空間には甘く、芳ばしいパンを焼いた匂いが広がっていた。綾香が子供の頃からずっと好きだった香り。
綾香はふわふわした足取りでその匂いの元へと向かう。その先には――
「……か! あ……か! おいっ、綾香、しっかりしろ!」
乱暴に肩を揺すられ、頭がぐらぐらと揺れる。それに加えて、耳元で、それも大きな声で叫ばれたのだ。先程の幸福感の余韻に浸りたい綾香にとって、これほど不快な事はなかった。
「……なんなのよ。一体…………」
文句を言おう。そう意気込んで目を開け、異様な光景が目につき、次の言葉が出てこない。
綾香が目醒めた場所はすぐに教室だとわかった。周りには机も椅子も、黒板もある。しかし、不自然な事に綾香たちが手を伸ばす範囲には机が置かれていない。そして最も異様なのが黒板だった。
そこには決してチョークで書かれたわけではないとわかるほどに赤く、まるで血で書いたような文字で『絶対に許さない』そう書かれていた。
これは――
「かの有名な田舎特有のアレ?」
都会から引っ越して来た綾香にとって、田舎のイメージは『のどかで自然が多いが、人は割と陰険な人が多い』だった。
「一応聞くが、田舎特有のアレとはなんだ」
「それは、よそ者を排除するためのイジメ?」
「はぁ。そんなことだろうと思った。そんな事はもうしていない」
――『もう』ね。それは本当に信じられる言葉かしら。
綾香は思わず疑いの目で見てしまう。
「……現にこの村に綾香が来てからもそんな事は起こっていないだろ?」
「……それもそうね」
「ねぇねぇ、けんちゃんとのお話終わった〜?」
こんなよくわからない状況でもいつも通りに話すのは花森沙奈(はなもりさな)。ちなみに、私を起こし、ずっと会話していたのは北條健斗(ほうじょうけんと)。ぶっきらぼうだが頼りになる……らしい。私にはわからない。そしてもう1人、赤崎優馬(あかざきゆうま)。怖がりなのか、辺りをずっとキョロキョロと見まわしていて落ち着きがない。
私たち4人は沙奈に誘われて季節外れの肝試しのために旧校舎に行く事になった。そこで校舎に入った途端4人とも倒れ、この教室に運ばれたらしい。ならば今、この校舎には愉快犯、もしくはここを隠れ蓑にしていた犯罪者がいると考えた方がしっくりくる。だけど――
――もし後者なら、私たちが生きている理由がわからない。殺してしまえば姿を見られる心配も、見られた心配もなくなるのに。それにこの場所は今は使われていない旧校舎。殺害するにはもってこいの場所なのに……
「――ねぇ、綾ちゃんもそう思うよね?」
「えっ? ごめん聞いてなかった」
「もうあやちゃんまで聞いてないの? だーかーらー、このまま肝試ししようって話しだよ!」
「……正気?」
「あっ、ひっどーい! だって私たちは今、心霊現象を体感しているんだよ? このまま帰るなんて勿体無いよ!」
そもそもこの旧校舎に行こうと言い出したのは沙奈だった。何かまだ奥に準備でもしているのかと、そんな疑問が頭をよぎる。
「言っとくけど、私は何にも準備してないからね!」
沙奈にジト目で睨まれる。どうやら顔に出ていたらしい。
「えぇ〜、もう帰ろうよ〜」
ガラガラガラ
「「「「ッ!」」」」
優馬の情けない声に、誰も反応しなかった。いや、出来なかった。なぜなら誰もいないのに勝手に扉が開いたから。
自然と4人の視線が黒板に集まる。私たち以外誰もいない。そのはずなのに黒板の文字が綺麗に消え去った。それだけならさっきの文字の方が見間違えだったのだと、そう思えただろう。
しかし黒板にはチョークもないのに、カッカッと音を響かせながら、次々と新たな文字が刻まれていく。
『帰れると思っているの?』
人為的ではない。そう理解させるには十分だった。
「あ、ああ……うわー!」
この空間に耐えきれなかった優馬が奇声を上げながら教室から飛び出した。
「優馬! 待て! 今バラバラになったら「けんちゃん、私ももう」チッ、とりあえずここから逃げるぞ!」
健斗が沙奈の手を引っ張りながら、優馬を追いかけるように教室を飛び出る。
その背中を追うように、私も教室から逃げ出した。
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