第7話


 その夜、アリスは眠れなかった。

 フレアの言葉が頭の中でグルグルまわっている。


『一緒に博士を殺さない?』


 どうしようか。

 殺していいのだろうか?


 キャスパー博士は本当に人間草なのだろうか。

 本当に妻を殺したのだろうか。

 本当にフレアを生贄にするつもりなのだろうか。


 気になって眠れず、アリスはベッドから起き上がった。

 草刈り鎌を手に取り、研究塔に向かう。博士はいつも遅くまでそこにいるからだ。

 アリスは直接聞いてみるつもりだった。

 もし博士が人間草でグワーッと襲いかかってきても、そのときは戦って倒せばいい。


 研究塔には明かりがついていたが、中に入ると博士は見当たらなかった。

 内部は相変わらず実験器具や本でごちゃごちゃしている。

 ただ、昨日までと違う点がひとつ。

 リブリジアのまわりに、魔法陣のようなものが描かれている。なにやら禍々まがまがしい文様。生贄の儀式に使うのだろうか。


 ふと見ると、机の上に書きかけの手紙らしきものと、一枚の書類が置いてあった。書類には「バーバラ・フォレスト・バレエ学校 入学許可証」と書いてある。


 バレエ? 博士はバレエ学校に行くつもりなのか?

 何を考えているのだろう。


 手紙を手に取って読んでみる。

 そこには、こう書かれていた。



 アリスへ


 この手紙を見つけたということは、君はすでに記憶を取り戻しているのだろう。そして、私はすでに死んでいるのだろう。


 君は私と違って案外まともな人間だったから、一連の出来事をすっかり理解してしまったら愕然がくぜんとするかもしれない。

 事実、たくさんの人間が死んだし、人間草になった者たちは君の手によって葬られた。

 だが、君が責任を感じる必要はない。

 そうさせたのは私だ。

 皆を巻き込んだのも死なせたのも私であって、君ではない。

 すべては私の研究が引き起こした結果だ。

 君は私に利用された哀れな実験動物にすぎない。


 そう、すべては研究のためだ。

 私が命を捨てるのも研究のためであって、断じて君のためなんかじゃない。

 当たり前だろう。

 だって私は君のことなんか少しも好きじゃないんだから。

 君はうるさいし、おせっかいだし、怒ると恐いし、正直言って研究の邪魔だった。

結婚したことを後悔している。お互いに選択を間違ったのだ。


 もし私と結婚していなければ、君はバレエ団に残って今頃プリマドンナになっていただろう。それを私なんかの妻になったばかりに、こんな山奥の屋敷でひっそり死ぬことになった。


 だから今度は選択を間違えないでくれ。

 私のことは忘れて、自分の夢を叶えて欲しい。

 まあ、私の知ったことではないが。

 いちおう叔母が経営しているバレエ学校の入学手続きを済ませておいた。アリスの妹だと言ってある。全寮制だから住むところにも困らない。

 行くか行かないかは君の勝手だ。好きにしたまえ。



 読み終えたアリスは困惑した。

 この手紙は……どう解釈すればいいのだろう。

 本当にこれを博士が書いたのか?


「こら!! 何を読んでるんだ!」


 声がしたので振り返ると、キャスパー博士が入り口に立っていた。

 ものすごく慌てているように見える。

 彼はバタバタと走ってきて、アリスから手紙を取り上げると、くしゃっと丸めて白衣のポケットにつっこんだ。


「それ、博士が書いたの?」


「書いてない!!」


「じゃあなんで隠すの?」


「へっ? それは、その……」博士はうろたえた。「あの、あれだ、えっと……」目が泳ぎまくっている。やがて動揺が限界に達したのか、「キイイイイイーッ」と怪鳥のような奇声を発した。


「なんで今読むんだ……遺書のつもりだったのにッ……生前に読まれることは想定してなああいッ!!」

 博士は両手で顔を覆った。


「博士は奥さんのことが好きだったの?」


「好きじゃない!! 好きじゃないって書いてたでしょ! ちゃんと読んでッ」

 博士はムキになって否定した。


 アリスにはそれが本心なのか判断がつかなかった。

 ただ、博士が人間草で、フレアを生贄に人間になろうとしているという線はなさそうだ。これから人間になるつもりなら、遺書を書くのはおかしい。


「ねえ、博士は死ぬの? 私を人間にするために、自分が生贄になるつもりなの?」

 アリスは率直にたずねた。


「べつに君のためじゃないぞッ。そこは勘違いしないでくれたまえ」

 博士はそう強調した。

「私はただ実験を最後までやり遂げたいだけだ。リブリジアの――この神秘の花の生態を少しでも解き明かしたい。知りたいんだ。見たまえッ。もう最後の儀式の準備もできている」

 博士は魔法陣を指さした。

「あとは最後の騎士の首をリブリジアに返し、私の命を捧げるだけッ。そうすればリブリジアの実がッ、私の研究の集大成がそこに顕現けんげんする! うひゃひゃッ。実物を見届けられないことだけが心残りだがねッ。うひゃひゃひゃひゃッ」

 博士は愉快そうに笑った。


「私はてっきり博士が人間草で、人間になるためにフレアを生贄にするつもりかと思ってたわ」

 アリスは正直に言った。


「私が人間草? うひゃひゃひッ。それは面白い発想だッ。しかし、あいにくその仮説は成立しないな。リブリジアの実を食べて人間になれるのは、リブリジアの花から生まれた人間草だけ。つまり種を植えられた死体の主だけだ。だから仮に私が人間草だったとしても、リブリジアの実を食べたところで人間にはなれない」

 博士は得意げに説明した。

「まあ、フレア君を生贄にというのは考えなくもなかったが、やはり私が始めたことだからねえ。最後は私自身でけじめをつけたいところだね」


「当然ですわ」


 ブスリ……と、博士の腹部をトゲのついた枝が貫いた。


「なあんだ。アリスしか人間に戻れないのね」


 ガクッとひざからくずれ落ちた博士のうしろに立っていたのは、フレアだった。


「不公平じゃない? あなただけが救われるなんて。ねえ、アリス」

 フレアは言った。

 肩からバラの枝が生えていた。

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