人間草アリス

亜由村亜次

第1話

 それは巨大な花だった。

 人間を丸ごとのみ込んでしまえるほどの大きさだった。


 それは不気味な花だった。

 青ざめた皮膚のような茎に、人間の手によく似た葉をつけて、ねじれたり、からまったりしながら、うねうねと伸びていた。


 それは美しい花だった。

 形は薔薇ばらに似て、花びらはサファイアのように真っ青だった。


 そして今、ほころびはじめた青いつぼみの中で、一人の少女が目を覚まそうとしていた。


***


 目を開けると、白衣を着た風変わりな男がこちらをのぞき込んでいた。

「見てごらん、フレア君! 彼女が目を覚ましたぞ」


「本当ですか、キャスパー博士!」

 白衣の女が駆けよってきた。

「ご挨拶しなきゃ! 初めまして。私は――」


「フレア君、その前に服を持ってきてあげたまえ」


「あ! そうですね!」


 手渡されたヒラヒラした服を着て、少女は花の中で立ち上がった。


「まあ、かわいい! 似合ってるわ。さあ、こっちにいらっしゃい」


 女の手を取って、花の上からぴょんと飛び降りる。


 そこは天井の高い、丸い部屋の中だった。

 ステンドグラスの窓はところどころ割れている。礼拝堂みたいな雰囲気だが、床やテーブルの上には実験器具らしきものが散乱していて、研究室のようでもあった。なぜか植物の根っこが壁や床をびっしり覆っていた。


「あらためて自己紹介するわね。私はフレア。この屋敷のメイドだったんだけど、なんやかんやあって、今は博士の助手をやらされてる優しいお姉さんよ」


 フレアという人が言った。

 変わった人のようだが、美人だった。

 やたら短いスカートを履いていて、すごくスタイルがいい。


「で、この方がこの研究所の所長で、魔法植物学者のキャスパー・フォレスト博士。だいぶ様子がおかしいけど、いつものことだから気にしなくて大丈夫よ」


「うひゃひゃひゃひゃ。私に失礼だよ、フレア君ッ」


 キャスパー博士は特殊な笑い方をした。

 おそらく若いのだろうが、顔は包帯がぐるぐる巻きでほとんど見えず、目の下のクマがひどいことしかわからなかった。


「やあ、アリス。気分はどうだい?」

 博士は言った。


「アリス?」


「君の名前だよ。やはりこの時点では記憶はないのか。なるほど。文献のとおりだな」

 ふむふむ、と博士は手に持った本を見ながらうなずいた。

「では、親切な私がわかりやすく説明してあげよう。まず、君は人間ではない。人間草だッ」


 いきなり意味がわからなかった。

「人間草?」


「そうだ。この花を見たまえ」

 と、博士はアリスの眠っていた巨大な花を指さした。


 化物のような花だった。

 人間の皮膚のような青白い茎と、青い花。

 そして、その花を取り囲むように生えている、人間の上半身にそっくりな何か――葉なのかがくなのか不明だが、なぞの器官が四体。すべて女の姿で、首がなかった。

 さらに、花は地面でも植木鉢でもなく、ひつぎから生えていた。棺のふたは閉まっているが、その黒い蓋を突き破って茎が生えている。


「これこそが、恐るべき魔力を秘めし《神の花》リブリジアだ。長きにわたって伝説の植物とされていたが、この私がジャングルの奥の奥の奥から種を持ち帰り、そして、君の死体に植えたッ」


「え?」


「あの棺には君の死体が入っている」博士は花の根元にある棺を指さした。「君は死んだのだよ、アリス」


 アリスには意味がよくわからなかった。


「リブリジアは死体に根を張って育つ。そして咲いた花の中から、あら不思議、死者が生前の姿で現れる。つまり死者を蘇らせることができるというわけだ。それが、リブリジアが神の花と呼ばれる所以ゆえんッ。どうだ! すごいだろう!!」


「すごいですわ」と、フレアが拍手をした。


「しかしッ。リブリジアの花から生まれた人間は、まだ完全な人間ではない。人間のように歩き、人間のように喋りはするが、生前の記憶はなく、体は植物でできている。いわば人間の形をした草! よってこれを『人間草』と呼ぶ。私が名付けたッ」


 博士は得意げに言った。

 彼の後ろには、大きな姿見があった。

 アリスは鏡に映った自分の姿を見つめた。


 フリルだらけの服を着た、人形のような少女。年齢は十四、五歳くらい。

髪が長く、肌の色がリブリジアの茎と同じで、青白かった。

 あと、なぜか頭に花が咲いていた。

 リブリジアと同じ青い色の花が、まるでサボテンが花をつけたみたいに、頭にくっついている。


「だが、悲観することはないぞ、アリス。人間草が普通の人間になる方法がある。それは、リブリジアの実を食べることだ。花が枯れたあとにできるリブリジアの実ッ。それを食べれば、君は人間として完全復活し、そのとき、きっと記憶も戻るだろう。さて、ここまでは理解できたかな? アリス」


「お腹がすいた」

 アリスは今の正直な気持ちを述べた。


「同感だッ。私もめちゃくちゃお腹がすいている」

 博士がうなずいた。


「もう三日は何も食べてませんものね」と、フレア。


「どうして?」


「外に出られないのよ。あいつらがウロウロしてるから」


 その直後だった。

 ドーン、という大きな音とともに、入り口に穴があいた。

 砲撃か? いや、違う。木製の扉を打ち破り、ごろりと床に転がったのは、大きなカボチャだった。

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