蟻人 石を積む者達

新城出海

第1話 石を積む者達

 2026年、日本全土は未曾有の大地震に見舞われ、数十万人の死者及び負傷者が出た。危惧されていた富士山の噴火はなかったものの、通信用の電波を発信していた鉄塔などが軒並み崩壊してしまったため、今までのインターネットやテレビを通じての情報収集が出来ない時代に逆戻りすることとなり、同時多発的に「日本は崩壊し、他国に侵攻される」という噂が蔓延し、治安は悪化の一途を辿るのみであった。

 2029年。日本は他国に侵攻されることはなかった。だが、通信系統は依然として復旧せず、国民は情報から隔離された環境で生きることを余儀なくされた。そして、誰一人知る手段がない中、大地震以降から増え続けた行方不明者は遂に数千万人にのぼり、地球上に浮かぶ日本と呼ばれる島は、事実上壊滅状態となっていた。

 そして2041年現在。大地震の影響か、日本全国の地熱は徐々に上昇し続け、遂に植物は特定の地域や山間部にしか見られないようになり、土地は痩せ、崩落した建物の中に砂埃が堆積するほどに荒廃していた。人口の激減と共に都市や町といった規模のコミュニティは数カ所しか残存せず、数十から百まで程度の人間を擁する集落が点在するのみとなっている。荒廃するのは土地ばかりではなく、情報が出回らないのをいいことに集落を襲撃する者も急激に増加した。人間同士が寄り添って生きるなどというのは、守られた環境で築き上げられた承認欲求の産物であり、明日の生死も分からない人間達にとっては、徒党を組むことのみが集団形成の目的なのかもしれない。

 ――いや、それはただ、他者を蹂躙し、奪う力を持つ者の意見である。力を持たない者、即ち奪われる者たちは、寄り添って生きることに一定の価値を信じて暮らしていた。


 その集落には3、4個ほどの平たい石を縦に重ねた建造物があり、他の集落からは「石を積む者達の村」と呼ばれていた。

 地盤は亀裂の入ったアスファルト、家屋のほとんどは玄関も窓ガラスも無い吹きさらしの構造で、ぼろ布をカーテンの代わりに吊して目隠しにしていた。組み上げた石垣で周囲を囲んでおり、集落の内部に入るための入口は一つだけだった。元は高層ビルだったと思われる建造物が遠くに見えるのみであり、現在は荒野に囲まれているためか、年間を通して雨が降る日は少なかった。この周辺の水道設備は襲撃者によって破壊されており、ライフラインは壊滅状態であったが、貴重な飲み水を確保するために雨水を貯めるプールが造られていた。

「ヨウ、雨水池に行くから、タンクの準備をしなさい。あなたももう12歳なんだから、村の仕事も少しは手伝えるようにならないと」母親である女の名はアスニといい、まだ35歳であったが、肌は砂塵に晒されるため乾燥し、手の甲にまで皺が刻まれている。頭は砂埃で痛んでおり、白髪も多く、おおよそ年齢以上であるかの如く落ち着き振る舞っていた。

「お母さん、外に出るなら、あの大きな廃墟の向こうに行ってもいいかなあ」少女の名前はヨウ。12歳になったばかりで、まだ前歯が抜けていて永久歯が生え揃っていない、母親と同じやや赤みを帯びた色の髪の毛をしており、今ではこの村で唯一の子供であった。

「駄目よ、村から離れるのは絶対に駄目。確かに入口の門を抜けて外に出るけど、雨水池の近くは村の皆の目も届く範囲だから、特別なのよ。本当は当番じゃなければ行きたくもないんだから。だいたい、廃墟の向こうに行って何があるっていうのよ」アスニは大地震で故郷と両親を失ってから、家の外に出ることさえも嫌うようになっていた。

 地震発生時、アスニは仕事のために実家を出ていたのだが、実家のあるエリアは家屋の崩壊が相次いで発生しており、結果アスニだけが助かったこと――自分一人が生きていることを今でも悔いているようだった。その後、少しの間は国が用意した仮設住宅や一部の宿泊施設を転々としていたが、どの施設も利用できない状況となるまでは早かった。始めは被災者として過ごしていた者達も、直面している問題が解決しないものであると考えた者、いや、正確に言えば、それに気付いた者たちは、自ら命を絶つか、被害者という楯を矛に変え、略奪者となり生きることを選択した。

 しかし、アスニはそれでも生きる決断をし、この集落で、娘であるヨウを授かった。そして、我が子を育み、守り、暮らす中で、彼女は人間が諦めなければ生命は続いていくことを信じるようになった。

「俺も手伝えれば良かったんだが……すまない」

「いいわよ、アンタ背骨に鉄板を当ててないと立っていられないくらい病弱なんでしょう。いかにも弱そうだし、今は病人なんだからもうちょっと大人しくしときなさい。そもそもこの村ではあなたは居てはいけない存在なんだから、その辺りの自覚は持って欲しいわね」アスニはそう言って微笑を浮かべると、娘のヨウと共に水を汲むために家を出た。

 彼女の身の上話は、集落の近くで倒れていた俺がこの家で匿われている3日間で聞いたものだ。彼女以外の村人は部外者、特に男に対しての警戒心が強く「商売相手」以外は敵であると考えていた。ここは女のみで構成されている集落だった。それでも襲撃されなかった理由は――。

「大変だわ、お得意様が明日来るみたい。アンタをここに匿えなくなった」先ほど出て行ったばかりのアスニとヨウがカーテンを割って部屋に入ってきた。彼女のタンクは空だった。

「お得意様ってことは、つまり――」俺が聞くが早いか、アスニは答えた。

「正規軍――サイファーの人たちだわ。この集落を警護してくれているの」アスニはそう言っていたが、手は震え、拳を握っているように見えた。これは俺の想像だったが、正規軍と名乗る奴らは実際に村を護っていたかもしれないが、代償として、この集落の人間を慰み者にしていた。男が住むことが出来ない村は周囲の集落から離れた位置にあり、隠れていたため都合が良かったのだろう。三日ぶりに帰ってきたという、隣の集落に「出稼ぎ」に出ていた者が、仕事中に客から次の予定を聞いたそうだ。その客もまた正規軍の一員であり、内部機密であった。

「とにかく、私がアンタを匿ってあげられるのは今日まで。後の治療は西にある町で受けるといいわ。道案内は出来ないけど、地図は貰ってきてあげる。ちょっと待ってて」まだ頭痛はしたが、歩けないほどではなかった。だが、彼女の言う町へはここから歩いて行く場合は2日ほどかかるとのことだった。

「お兄さん、忘れ物しないようにね」ヨウが俺の持っていた鞄を持って部屋に入ってきた。この家に匿って貰っている間は、変な行動をしないようにという名目で、着ていた服以外の荷物を全て奪われていた。

「お兄さんの名前、シンザっていうんだね。IDカード見ちゃった。それに……正規軍の記章もね」

「それを知ってて、どうして母親には言わなかったんだ。俺が正規軍かもしれないって」ヨウは少し黙っていたが、少し俯きながら答えた。

「正規軍ってなんなのかよく知らないの、一度も見たことないし……それに、弱っちそうなんだもん」話を遮るように、乾いた土を蹴る足音が聞こえた。アスニが帰ってきたらしい。

「――記章のことは母親には言わない方がいい。情報ありがとう」ヨウは話を途中でやめたことを不服そうに頬を膨らませたが、アスニに頭をポン、と軽く叩かれて自室に引っ込んでいった。アスニは怪訝そうな顔をしたが、他の住人に貰ったという地図を渡してくれた。

「さあ、もうじき夜になるわ。アンタには朝が来る前にここを出てもらうからね。荷物はそのまま返しておくから、準備を済ませておいて」俺は帰して貰った荷物からハンドガンを取り出し、腰のホルスターに差し、もう少し休養を取らせて貰うことにした。


「今日はもしかしたら雨が降るかもしれないわね、空気が冷たいわ」深夜3時頃だろうか、俺は約束通りアスニに起こされて集落を出ることにした。家を出ると、確かに皆寝静まっているようで、大小様々な寝息が聞こえてくる。俺はアスニが手を振る姿を見ながら、その場を後にしようとした。

 だが、次の瞬間、空気を引き裂くような銃声と共に俺の大腿に熱いものを感じ、体中を蜈蚣の毒を受けたような電気が走った。「ちっ、しまった、目的は俺だったのか……」気付いたときにはもう遅い。真夜中の奇襲に集落の女達が目を覚まして出てくるのが早いか、俺は拘束され、担がれて連行されてしまった。


 俺は、十字架を模して削り出されたコンクリートの塊と広げた両手を鉄芯で打ち付けられ、磔になっていた。足は揃えて鎖を巻かれている。日が昇っていることから、既に夜は明けているようだった。数時間は経過しているが、太陽の位置を見るにまだ正午は回っていない。目視でざっと見る限り10名程度の武装した連中に突撃銃を突きつけられている状態だった。だが、明らかに下っ端の戦闘員という感じで、銃口をこちらに向けてはいるが、喋っている間に何度もポイントがズレていた。他の連中にしても、目の前の磔の男が反撃してくるかもしれないという緊張感は全く持っていない。

「おい、そろそろ交代の時間だよな」やがて、一人の男が口走った。だいたい想像はついていたが、部隊が分断されていたのは、俺を捕らえるために集落に来たついでにいつもの用事も済ませよう、ということだったのだろう。

「隊長が戻られたみたいだぞ、お前ら持ち場につけ」という声が上がる頃には、俺に銃口を突きつけていた者はおらず、他愛もない下衆話をしたり、その場に寝転ぶ者さえいる始末だった。磔にされていた方向からは見えなかったが、どうやら隊長のお出ましらしい――が、整列した連中に響めきが起こった。

「おい、隊長一人じゃないか。他の奴らはどうしたんだろう」どうやら、10人以上いた仲間達は一緒に戻って来ていないらしい。俺は首を上空に向け、次第に近づいて来る雨雲を見ていた。

 あと数分もしない内に雨が振りそうだ、と思っていると、聞き覚えのある銃声が数発轟いた。聞こえい視線を落とすと、さっきまで向けられていた銃口が――いや、銃口を向けていた男達が全員、天を仰ぐ形で倒れ、痙攣していた。どうやら毒弾によるものらしい。そして、背後から声が聞こえた。

「正規軍サイファー、お前はその一員に間違いないな」その声の主は俺が磔になっているにも関わらず、死角から話しかけていた。そして、おそらく毒弾の入ったマガジンをリロードする音が聞こえ、吐き出す銃口が向けられているであろうことも想像に安かった。「それはあんたらの方じゃないのか、正規軍さん。それに連中は仲間じゃないのか」俺はまだ時間を稼がなければならなかった。

「私と違って強気なんだな……そいつらはもう用済みだ。ただの食料に過ぎんよ」声の主が地面を強く三回蹴ると、地中から幾つもの手が現れ、のたうち回っている男達を抱えて再度潜ってしまった。

「お前……奴らと組んでるってのか」俺は眼前の光景に驚きを隠せなかった。そして奴らのことは正規軍しか知り得ない極秘情報であった。

「やはりな――そう、お前ら正規軍が敵として戦っている『奴ら』は俺の雇い主だ。俺は食料として人間を食わせる。その代わり、俺は報酬としてこの毒を扱って人間を超えることが出来た……。だが、お前のような正規軍の兵士は抗体を投与されているから効果が薄いようだな。奴らには正規軍は殺さず持ち帰れと言われたが、毒が効きにくいのは難儀で仕方がないよ――さあ、10秒数えるまでにお前の【発動条件】を教えろ。答えなければ前回より強力な毒を撃ち込んでやる。嘘を教えても撃ち込む」

 もはや一刻の猶予も無い状況だったが、男が気分良く話してくれたおかげで間に合ったようだ。

 俺にとってはまさに天恵である雨粒が降りてきた。そして両手の自由を奪っていた鉄芯、脚の自由を奪っていた鎖は砂になって落ちた。同時に発砲音が聞こえたが、俺の体にもう銃弾は効かなかった。鉛の弾は俺の体に触れると砂になってしまった。中に毒液が入っているらしく、液体を砂に変えることは出来ないため、地面に紫色の雫が落ちた。俺は男の方を向き直し顔を見た。外見は眼鏡をかけた50代程度の男で、他の連中とは違い、わざと胸部を露出するようにシャツのボタンを留めずにはだけさせているほど軽装だった。――だが、その左手に握られたハンドガンは禍々しい硝煙を上げていた。

「なるほど、発動条件は雨というわけだな。そして、能力はプロテクター……防御向きのようだ。さしずめ、触れた物を砂に変える能力かな」

 正規軍【サイファー】とは、何らかの能力を持って生まれた者、あるいは移植された者で構成された、いわば超能力集団だ。しかし、その存在を人類のほぼ全員は、まだ知らない。一部の人間は隊員がリークしていれば知っている可能性はあるが、能力についての詳細な性質を看破できる程の知識は元隊員でなければ持てなかっただろう。この男は銃口を下げなかった。推測とはいえ俺の能力を暴いていながら、それでも攻撃の意志を向けている慎重だが大胆な男だ。付かず離れず、一定の間合いを確保したまま正対した状態でいることから、こいつの能力は距離を条件に発動するものである可能性がある。

 正規軍の兵士達は遺伝子移植技術により、それぞれ固有の能力を持っている。特定の行動をトリガーにするものもあれば、俺のように「髪や肌が濡れている状態で脱力すること」が条件の能力もある。兵士同士が戦う場合は、発動条件を見極めなければ、後出しでジャンケンに挑まされているようなものであり、圧倒的に不利な状況に陥る。また、相手の能力の特徴についても見極めなければならない。俺の能力は、体に触れる物――生物以外という制約はある――を砂に変える能力で、分類上はプロテクターというものに属する。この分類の能力は発動条件は難しくないが、移動などの行動を制限されるものが多い。実際、俺も能力の発動中は歩こうとしたり、武器を構えることが出来ない。全ての能力には弱点が存在するのだ。

男は銃口を構えたまま、地面を三回強く蹴った。間を空けずに足下から四本の腕が伸びてきたが、直前に背面方向に跳躍したため、捕まれずに退避することができた。男が更にもう一度右足の爪先で地面を強く叩くと、地面から伸びた腕を持つものがゆっくりと地表に姿を現した。

 その姿は、人間と全く同じ外見をしていたが、背中に折りたたんだ腕が二本存在した。「蟻人……まるでお前の言うことを聞いているみたいだな」実際、蟻人と言われるこの異形を操る相手など、過去に見たことがなかった。地面を蹴る号令のような行動がブラフであるにしては出来すぎている。つまり、これがこの男の能力である可能性が高いが……同時に、正規軍がそんなに強力な能力を持つ者を放って置くはずがないとも考えられた。であれば、毒弾を撃ち出す能力かもしれない。

「お前は知っているか? 彼ら全ての蟻人が兵士なのだ。上官の命令は絶対なのだよ……。それも、気に入らなければ反発をしたり、目の届かない場所で上官の悪態を吐く人間と違い、従順な兵士だ。サボタージュなどという概念はなく、遺伝子がそのように進化しているんだ」男は左手に銃を持ったまま、胸の前で大きく両手を広げる素振りを見せ、勝利を確信している者が演説を行うように続けた。「人間は自らの手で地球を穢しておきながら、自身の犯した罪には目を瞑り、被害者面をしているだけだ。お前は知らないのか――いや、大地震の発生した理由を知れば、お前も私に共感するはずだ――」男は、俺の能力を完全に暴いたつもりだったのだろう。雨が強くなってきているにも関わらず、蟻人をもう3体呼び寄せて俺の目の前に並ばせ、その人垣の向こうで演説を続けた。

「富士山麓地下軍用兵器研究所において、ゲノム編集や遺伝子操作を含めた生体実験によって突然変異を遂げた生体兵器が誕生した……彼ら『蟻人』だ。蟻人は各地の研究所に送られ、更なる実験を重ねられた。だが、蟻人が人間を襲う事件が発生し、日本政府は彼らを研究所員もろとも抹殺しようとしたのだ。研究所員は毒ガスによって殆ど全滅だった――そして、政府は毒だけでは飽き足らず、研究所の入口を爆破したのだ。証拠を、証言者を全て地中に沈めるために……まだ若い研究員が一人、他の研究員の死体を乗り越えながら外へ逃げ出して生き延びていた事を知らずにな。各研究所で実験体となっていた蟻人はその後、研究所を爆破したのだ。蟻人は毒でも爆破でも絶命しない強靱な鎧のような甲皮を持っていた――。そして、その地中の大規模な爆発こそが大地震のトリガーとなったのだ」

 それは、正規軍の全員が知らないであろう物語だった。蟻人は、ただ人類の敵であると認識していたからだ。

俺はハンドガンに手をかけていた。蟻人達も「おあずけ」を喰らって痺れを切らしたか、今にも飛びかかろうという姿勢でこちらを見ていた。

「――お前も所詮、驕れる愚かな人間の一人だったということか」男が再度地面を蹴ると、蟻人は三方向から一斉に飛びかかってきた。1体の眉間に銃弾を食らわせて斃したのを見て、男は驚きの表情を見せた。

「どうやらジェネレーションギャップってやつらしいな、対蟻人用徹甲弾すら知らないとは」俺は飛びかかる4体の蟻人を撃ち斃した。男にも一発撃ち込んでやりたかったが、対蟻人用徹甲弾は人間には効かない。弾を装填し直す時間が必要だった。

「いいか……蟻人は人間をベースにして生まれた生物兵器だ。ヒトの遺伝子と蟻の遺伝子を組み換え、編集し、突然変異させた種なのだ。生殖機能もある。人間と変わらないのだ」正規軍が蟻人の正体を明かさなかったのは事実であるが、その正体などに興味はなかった。

「それがどうした、今に始まったことじゃないだろう、人間が人間を殺すのが戦争だ。蟻人が人間を殺すのと同じように、人間は蟻人を殺すんだ」俺の言葉に、男はついに歩みを止め、右手で頭を抱えてため息をついて見せた。

「この現代日本の凄惨な状況を見てまだ戦争を続けるつもりなのか……残念だ」男はそれだけ呟くと、こちらに向かって走りかかってきた。俺の能力は生物には適応しない。つまり、打撃のみが有効であることを見破っていた。そして、対蟻人用徹甲弾が蟻人以外に通用しないことも見破っていたらしい。こちらが迂闊だった。だが――。

 俺が左手に握っていた砂を投げると、空中で鉄芯に変わった。一定距離があれば砂と化した物体を元に戻すことが出来る。俺の左手に突き刺さっていた鉄芯は、露出していた男の胸に命中した。弱点は潰さないとサイファーは単独行動するには危険だ。常にカードは多い方がいい――が、男は身動ぎもせず、俺の腹部に蹴りを入れた。

「サイファー達が対蟻人兵器を造っている間、彼らも進化し続けていたのだよ。――つまり、あの集落にいるのは全て知識をもった蟻人だ。」

 男は起き上がり、俺の腹に何度も拳を打ち、倒れた後もなお蹴りを入れた。つまり、あの集落には人間はいなかったのか? アスニは? ヨウは? 言葉を交わし、同じ飯を食べていたはずのあいつらが蟻人――。

「おっと――語弊があったな。安心したまえ、お前が隠れていた家の2人だけは人間だ。そう、私の遺伝子を持つ子供と、その子供を産んだ女だけはな」アスニは、この男の言いなりだったのか――集落を訪れた時、既に俺は嵌められていたのか。

「どうだ、人間と蟻人は共存できるのだ。いや、それどころではない。既に地上で暮らす人間の何割かは擬態蟻人がいる。お前が今までに守った者の中にも蟻人が紛れていたかもしれないな――。それでも、お前は人間の使者となり蟻人を殺し続けるというのか。私の仲間になれば命は助けてやるぞ」男は既に勝者の顔になっている。

「だが、少しでも変な動きを見せれば撃つ。既に気付いているかもしれないが、私の能力もお前と同じプロテクターなのだよ」男はそれ以上自分の能力を明かさなかったが、人体強化系の能力で鉄芯を受け止めたか、或いは俺と同様に物体変質系の能力か……。だが、今は抵抗すれば勝ち目はない。雨の降っている今のうちに決着を付けなければいけないが――。

 と、その時、男の背後から何者かが組みかかり、ナイフを突き立てた。男は一瞬苦痛の表情を浮かべたが、すぐに背後の人物を振りほどいて銃を向けた。それは、アスニだった。彼女は無謀にも、ナイフ一本で我が娘の血の片割れである男に立ち向かったのだ。

「ガドウ……ヨウに何をしたの」

「下らないな、人間が、まるで母親のような目をしている。我が子を守る本能でも発現したか」刹那、アスニの胸に毒弾が撃ち込まれた。「あの子供は人間にしておくには惜しい逸材なのだ、蟻人を守る兵士として教育する必要がある」毒に苦しむアスニを足蹴にしながら、ガドウは刺された位置を擦った。俺は最後の力を振り絞り、ガドウに接近し背中の鉄板を刀代わりに胴を切断しようと攻撃を加えた――だが、体に触れる瞬間、突然鉄がが軽くなり、打撃を与えることは出来たようだが、切断には至らなかった。

「貴様――やはり他に武器を持っていたか。だが、それももう見切った。私の能力の前には女の平手打ち程度のダメージにしかならないのだよ、残念だがね」こいつの能力の謎は分からないが、身体の表面近くになにかのバリアが張られているようで、攻撃が軽減されてしまっていた。発動条件が不明なので対策を取ることが出来ない。

 ガドウは逆上したのか、集中力が途切れているのか、気紛れに銃を向けてこちらに発砲した。俺は脱力しきれずに被弾してしまうことを恐れ、ビルの残骸が作り出した物陰に飛び込んだ。

「おやあ、やはりもう能力は使えていないようだな。さしずめ、更に何か身体の操作がトリガーになっているんだろう。ダメージを与えておいて正解だったよ」ガドウは足早に俺の隠れている場所に近づいてくる。だが、俺はまだ呼吸を整えることが出来なかった。ガドウが残骸を回ってくる。

 しかし、足音は途中で止まり、ガドウは声を上げた。

「貴様……小僧、女のそばで何をしている!」

 ガドウの呼ぶ小僧が誰を差しているか分からなかったが、とにかく今は奴の気が逸れているようだったため、物陰から半身を出して様子を窺うことにした。

 そこには、苦悶の表情で痙攣していたはずのアスニが、静かに涙を流すヨウの腕の中で見守られながら、安らかに息を引き取っていた。

「小僧――もしや、能力を使ったのか」

「私は小僧じゃない……それに、お前はお父さんなんかじゃない」ガドウをにらみつけるヨウの身体から、無数の針が飛んだ。俺は再び物陰に隠れたが、ガドウは避けきれなかったようだ。

「うぐっ……これは、毒か……――私が植物から抽出したものと同じ……」


 ガドウの身体には、ヨウが出した小さな針が無数に刺さっていた。彼女は、ガドウに移植されたサイファー遺伝子の一部を引き継いで生まれた、天然の能力者となっていた。その能力は『植物の持つ毒を体内で生成し、毒針を撃ち出す』――家を飛び出した母親を追って来た場所で毒に喘ぐ姿を目撃し、様々な感情が生み出された結果、能力が暴発したのだろう。彼女の能力は攻撃的なもので、バスターと呼ばれる分類に属するものであった。しかし、遺伝子操作によって発現する能力は本来、18歳を過ぎなければ発動条件と効果の両方をして制御することが出来ず、自らの命も危険に晒す可能性があった。

 俺はヨウと一緒に、アスニの亡骸を石を積む者達の村に運び、埋葬した。すると、蟻人の女達が墓の前に来て、石を積み始めた。この行為は、アスニが最初に村に来たときに始めたのだという。以来、蟻人達もそれに倣って死体を埋葬し、その上に石を積むようになったのだと。「ありがとう、私達、あなたを知っていたのに、アスニを守れなくて、ごめんなさい」蟻人の言葉を初めて聞いた俺は、銃に手をかけずに村を去った。

 しばらく歩くと、後ろから小さな足音がしたので、歩幅を少し小さくすることにした。目指す町は西にある。

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蟻人 石を積む者達 新城出海 @ArakiIzumi

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