夢現にたゆたう

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読み切り


「逃げるのか?」

 どこからともなく語りかけてくる言葉に顔を上げ、周囲を力なく見回す。

「逃げたって無駄だ。知っているだろう?」

赤い。世界が。空が。街が。遠く地平線を黒く立ちこめた雲が取り囲み、かつての街並みだった瓦礫の山に陰が塗られている。赤と、黒。あいつが上塗りした、新たな街の模様だ。

焦げ臭い。埃にまみれた体を膝からアスファルトに預けていると、地面から立ち上る熱で頭が虚ろになる。時折吹き抜ける風が体を焼くようだった。

仮初めに立てられた墓標の一群は早くも忘れ去られて黒炭のようになり、所々欠け、今にも朽ちて落ちそうになっている。もはや埋められない死者は放置され、薄墨色のそれには蝿もたからず、ボロ雑巾と言えるほど人の跡形もなかった。

 もういい。

 カラカラの喉から、声にならない声を吐き出した。

 もういいから、好きにしてくれよ。

「お前は、どうしたい?」

 知らない。もういいんだよ。見たくもない、こんな世界。

「叶えてやるよ」

 風が渦巻き。熱が取り囲む。体が燃えるようだ。耳に擦り切れるような音だけが迫って満ち溢れ。

 途切れた。



目を覚ましたのは光の差し込む自分の部屋だった。

雀の囀り、窓の外の青々とした空に雲が泳ぐ。少し寝汗をかいている。初夏に入って暖かい日と肌寒い日が交互にやってくるのだ。

「ヒイロ、ご飯できてるよ」

 部屋のドアを少し開けて母さんが顔をのぞかせた。

夢を見るようになった。変な夢だ。嫌な夢だった。

俺は一人で破壊され尽くした街の中にいて、呆然としている。周りは燃えていて、赤くて、熱い。まるで核戦争でも起こったみたいだった。

 もちろんそれまでもたまに夢は見た。毎日の出来事がごちゃ混ぜになったような、よくある変な夢。

 でも、最近見るやつはおかしかった。平穏な日常と関係の無い、現実からかけ離れた世界。そんな夢をよく見るのだ。

 それだけなら、まだ良かったけど。



「おはよ! なに暗い顔してんの!」

 学校への道すがら、不意に背中を叩かれてむせた。

「ッて、叩くなよいきなり」

「いきなりじゃなきゃいいんだ?」

 いたずらっぽく笑う黄嶋レモンの顔が隣にあった。結ったストレートの髪が流れるように揺れている。

「……叩いちゃ駄目」

 優しい風が肌を撫でていく。学校に近づくにつれて制服姿の歩行者が増えて、皆それぞれに楽しげに話したり、一所懸命に参考書に目を落としたり、ニヤニヤしながらスマホをいじっている。俺達はその流れに歩調を合わせて、いつもの校門をくぐった。

「赤羽君、黄嶋さん」

 教室に入った途端に名前を呼ばれて目を向けると、緑川クロムが手を挙げていた。こちらを向いた目元は優しげで、さらさらした髪がかかっている。

「おはよっ!」

 跳ねるように手を上げるレモンに遅れをとりながら俺も声をかける。クロムは机の上の本に視線を落とし、モデルのような手でゆったりとページをめくる。本当に同じ年齢かと思うほどの余裕を醸し、それに釣られる教室の女子達がチラチラと彼を見ていた。

「クロムが本読んでたらカッコ良く見えるのにそれがヒイロだとマンガ読んでるクソガキになっちゃうんだよね」

「お前なあ」

 口を尖らせながら窓際の自分の席に荷物を下ろすと、外から運動部の声が飛び込んでくる。一際大きな声が野球部から発せられ、その出所を眺めるとやはり青海インディだった。

(毎朝大変だよなぁ)

 練習を心から真剣に、楽しそうに取り組んでいる汗まみれの横顔を見ながらそう思う。日に焼けた大きな体を右に左に動かし砂埃にまみれている。朝なのに。

「だけどあんなに健やかに運動しているヒイロの姿も想像できないんだよね。詰んでるよね完全に」

「嫌味しか言えないのかお前は」

 レモンは俺の机に手をついて会心の嫌味に含み笑いを浮かべながら外を眺めている。しかし口調が軽やかだからか? 声に悪意がないのは皆が感じるところで、嫌味に聞こえないのはほんと得している。

「そうだ、ドラドラドラゴンっていう映画知ってる? すごく面白そうなんだけど」

「え、ああ、知ってる」

 丁度気になっていたタイトルがレモンの口から飛び出してきて俺は食いついた。

「あれ今度見に行かない? クロムとかインディも誘って」

「いや、インディは野球で無理だろ」

「僕は大丈夫だよ」

 クロムがゆったり歩いてきて優しく笑う。

「ちょっと寄りたい個展に付き合ってくれたらね」

 俺だけで生きていたら一生縁の無い場所をクロムは提案する。

「あ、ならあたしも、絶対寄りたいお店があるんだよねー!」

「食い物だろ? お前の場合そっちが本命だろ」

「何の話してるんだ?」

 しばらくして爽やかな汗の香りを漂わせながらインディが輪に加わった。

 いつもの風景。平和で、退屈で、幸せな毎日。

それなのに。

 何か不安だった。何かが心の中でモヤモヤする。授業を受けながら、レモンやクロムやインディと話しながら。どこか落ち着かない。こんなにも世界は明るく太陽の日差しが活き活きと街並みを照らすのに、木の陰や、校舎の裏の苔生す暗さに視線が留まる。干からびた虫の死骸、熱を含んだグラウンドの砂粒。

 あの、夢のせいだろうか?

 たったあれだけのことで、こんなにも引っかかるものだろうか? 昼休みのごった返す廊下を歩きながらぼんやり考える。話し声と足音がノイズのように廊下を埋め尽くす。

 ふと、視界に違和感を覚えた。何か嫌な感じがする。仲間連れで談笑する男子学生。手荷物を抱えて急ぐ女生徒。何人もの人の壁が自分の目の前に蠢き、肩に擦れ、後から追い越していく。晴れてはいても屋内の薄暗さの中で、その陰に紛れている何かを感じる。

 奥に何かを見た気がした。

 廊下の奥。人と人の隙間からほんの一瞬。何か、よく見えない。目を凝らして注視すると男子生徒が立っていた。それは服装がそうだったからで、顔は見えない。隠れていたからじゃない。マジックで上から書いたようにグチャグチャに塗り潰されていて、見えないのだ。

 反射的に俺は顔を背けていた。見てはいけない気がしたのだ。

 しばらくそうして俯き気味に立ち尽くしていた。人の行き交う足音、物音、声が耳に近くなっては遠ざかる。

「ヒイロ、売店行こうぜ」

 肩を叩かれて振り返ると、インディが黒く焼けた顔に白い歯を見せて立っていた。「あぁ」と気後れ気味の言葉を返す。そうして様子を窺うように顔を戻すと、もうあそこにそれはいなかった。



 太陽がすっかり夕陽となり、風が少し肌寒い。

「じいちゃん、なんか、変なもんが見える」

 自宅近くにあるじいちゃんの家の縁側に腰掛けて前置きも無く俺は言った。

「なんじゃいいきなり」

 年甲斐も無く上半身裸になって庭先で木刀を振るうじいちゃんがこちらを向いて言う。

「なんか、変な夢も見るし、顔のとこだけよく見えない人間も見るし、疲れてるのかな」

 夢の内容や廊下の出来事を話すと、じいちゃんは汗をタオルで拭いながらそれを咀嚼するように黙っていた。

「医者に診て貰った方が良いかもな。父さんが紹介してくれるじゃろう」

「えー、なんか、おかしくなったみたいじゃん」

 事実そうなのだろうが、医者に行くということがそれを確定させるみたいで抵抗があった。

「仕方がなかろう。まあ、お前には特別な力があるからな」

「え?」

 赤い日の光に染まるじいちゃんが神妙な面持ちで俺を見ている。

「わしやお前の父さんと同じ====がな」

 じいちゃんの言葉が突然不明瞭になる。口は開いているのに、肝心の部分にノイズが入って聞き取れない。

「えっ? なに?」

「世界の=====に欠かせない特=/~がお前に」

 じいちゃんの声が所々途切れ、音響信号のようなものが重なる。ぼんやり聞こえるところもあれば、完全に覆われてしまうところもある。じいちゃんはそれに気付いていないのか喋り続けている。

「ごっ、ちょ、ごめん、ごめん、また今度来る、ごめんっ」

 俺は手で制止するようにして慌ててその場を離れた。



 青く晴れた空。心地良い風。教室の自分の席で外を眺めながら、そよそよと肌を滑っていく初夏の空気。

「最近なんか元気無い?」

 肩に手を置かれて俺は振り向いた。

「そんなことないよ」

 レモンが怪訝そうな顔をしている。また、窓の外に視線を戻した。休み時間のグラウンドには人がいない。校庭の外を車が走り、散歩中の年配がゆるゆると歩いている。

「ヒイロの脳みそに悩みを抱える部位なんて無いもんね」

 いつもの皮肉をかましてくるものの、何となく素直に反応する気になれなかった。「まあな」とだけ返して俺はグラウンドを見つめ続ける。

ふと。

 亀みたいに顔をぐいっと前に突き出して目を凝らす。グラウンドに誰かいる。グラウンドの真ん中に立っている。それは、顔のところだけマジックで塗り潰されたように、ぐちゃぐちゃになっていて。

「どうしたの?」

「いや、あそこ、誰か立ってないか?」

 俺が指差すとレモンは窓の縁に手をかけてキョロキョロと探す風な動きをする。

「え、どこ? どのへん?」

「いや、あそこ、真ん中」と、俺は指をグラウンドのど真ん中に向ける。今だってやっぱり人は全然いなくて、そこにしかいないのに、だ。

「えっ、えっ?」

 レモンは全然見つけられない。チャイムの音が鳴り、グラウンドに体操服の群れがなだれ込んでくる。俺はレモンと顔を見合わせる。レモンは目をぱちくりとして、俺も多分似たような顔をしていたと思う。クラスメイトが各々の席に着き始めて自分も姿勢を正した。

 もう一度見たグラウンドに、あれはいなくなっていた。


 こんな事が続くようになっていた。

 あの顔の見えない男も何度か現れたし、道端のブロック塀がなぜか突然薄らと燃えだし、炎の進んだ後は墨色に変わり果てるなんて事もあった。もちろんそれは本当では無く、注意を逸らすと男はいなくなり壁は元に戻るのだけど。

体験する幻覚は最近よく見るあの夢の気味悪さと通じていた。

 だからだろうか。俺は段々と積極的に目を背けるようになっていった。それを口にすれば変な奴だと思われる、それもある。でもそれ以上に見てはいけない気がした。知ってはいけない何かを知ってしまうような怖さがあったのだ。それなのに。

 明るく綺麗な物事の裏側にも目が向いてしまう。

 人気の無い暗がり。朽ちかけた家。動植物の死骸。

 まるで逸らした目のやり場をそこに求めるみたいに。答えを探し求めるように。



「ヒイロ、何か調子が悪いんだって?」

 父さんからそう切り出されて面食らったが、そういえばじいちゃんに話していたと思い出し、頷いた。

「まあ一回診てもらえ。損するわけじゃないし」

 そう言われ、父さんに教えてもらった医院に行くことになった。場所は街中の目立たない場所で、やや奥まったところだった。夕方なのだがそれ以上に薄暗い。家屋と隣家に挟まれた敷地の隅を通って入り口まで歩くのだけど、土地の向きや二階のテラス、植えられた植物等に遮られてあまり光りが入らないようだった。

 扉を開けてみて驚いたのはその薄暗さよりも更に暗かったことだった。屋内は電球が橙の明かりをぼんやりと広めて、その頼りない明かりが途切れるまた少し先に電球がぼんやりと照らすといった感じで、それ以外は暗闇だった。夕方と言っても初夏で、この時間にこうも暗くなるというのは中々無い。窓が一つも付いていないのかと少しキョロキョロしてしまう。

 伏し目がちで目元のはっきりしない受付の女性に促されて俺は診察室へ向かった。

 ノックして中に入ると、中は相変わらず暖色の薄明かりで部屋の四隅は分からず、中央に長机が一つあり、その奥に医師らしき男性が座っていた。

「こんばんは。どのような症状ですか?」

 落ち着いた口調で、しかし単刀直入に医師は問いかけてきた。その声はどこかで聞いたことがある気がする。

「何か、変な物を見るんです」

 これまでの夢の話や、顔の分からない男、あちこちで起こる幻覚、それを医師に説明する。

「気味の悪い夢とか幻覚とか、それを見ることが嫌なんですけど、何というか、そこから目を逸らすことにも少し抵抗があって」

 医師はゆっくりと返答した。

「あなたの中の相反している感情はどちらも本当でしょう。正体が掴めない状態で無視し続けることが良い選択とは必ずしも言えないので、この場合直視してみる必要があるのかもしれないですね。一度、向き合ってみてはどうでしょうか」

 家路につきながらぼんやり考えていた。一体、この気味の悪い現象に向き合って、何が得られるというのだろうか? 病気とかでは無く単に心の問題なのか?

 家に着いて居間に入った瞬間、目を見開いた。

 料理をする母親、その真横に、学生服の、顔の塗り潰された男が立っていた。

 手にナイフを持っている。

「おかえり」

 笑顔で振り向く母親は、それに気がついていない。戸惑った俺は、俯いて言葉を濁した。

「どうしたの?」

 母さんの声がトーンを落とす。気付いていない。俺だけしか見えていない。またあの幻覚だ。

「いや、何でも無いよ」

 目を逸らしていれば消える。そう思った瞬間、医師の話が甦った。直視してみる必要があるかもしれない、そこから何かを得られるかもしれない――。

 意を決して顔をゆっくりと上げる。すると、少し不思議そうな顔をした母親と、さっきまで顔の塗り潰されていた男が並んで立っていた。肩まであるウェーブした髪の毛、大きな目で、狂気染みた笑みを浮かべている。そして。

 手に持ったナイフを振り上げ、それを母さんに突き立てた。と同時に頭の中に電流のようなものが駆け巡り、映像の断片が降り注ぐ。俺は口を塞いで、立ち眩みを誤魔化すように居間を出て階上の自分の部屋へ雪崩れ込んだ。

 知っている。俺は知っている。あいつも、あの夢も、今の光景も。

 重たい頭を抱えて俺はベッドに潜り込んだ。



熱い。体が焼かれるようだ。

また、あそこにいる。瓦礫の山、空も家も何もかもが赤く染まり、陰と炭で黒く塗られた世界。右耳から、左耳から、不規則に爆発音が聞こえ、その度に体が揺さぶられる。膝を置いた地面を通して伝わってくる。

 なぜここにいるのか。ここは、なぜこんなことになってしまったのか。

「逃げるのか?」

 誰かが語りかけてくる。

「逃げたって無駄だ。分かっているだろう?」

 分かっているさ。でも辛いんだ。

 口を開き、カラカラの喉で呼吸をする。腕を脱力させ、身につけたプロテクターの重みを感じていた。

 瞬間、目の前が閃光を放ち、体が吹き飛ばされる。

 背中から強く叩き付けられ呼吸が止まる。轟音の残響と共に仰向けになった顔のあちこちを小石が打ち付け砂埃が撫でていく。濛々とした煙はしばらく晴れず、俺はそれをぼんやりと眺めていた。

 半身を起こすと、そこに例の男が立っていた。黒ずくめの格好で、もはや顔は塗り潰されてはいない。俺は彼を知っていた。

 きっと俺は殺されるのだろう。なぜかそう思った。そしてそれに対してなぜか俺は何の感慨も湧かなかった。

「じじいみたいに、今してやるよ」

 俺は目を見開く。彼が右手をこちらに向けてその掌に黒く禍々しい渦が生じていく。咄嗟に飛び退くと、次の瞬間には元いた場所が弾け飛んでいた。

(そうだった)

 自分の心の中で何かが氷解していく。立ち上がり、俺は奴と対峙した。向き合っているだけでも分かる、彼の体から発散される気圧されそうな程のパワーに、無意識に身構える。

 殺されるかもしれない。しかし、戦わなければいけない。逃げても、無駄なのだ。

 その時、男のずっと向こうに柔らかな光が立ち上がった。光の中に何かがある。視線を集中させると、それは人だと分かった。女性だった。その光と同じように鮮やかな長い髪を靡かせ、意志の強い瞳でこちらを見ている。

「叶えてやるよ」

 誰かの声と共に、意識はゆっくりと閉じていく。



 戻った意識と共に、ゆっくりと目を開ける。

 窓から差し込む光、空は青く、鳥の鳴き声が聞こえる。いつもの朝。しかし、もはやそれが本物の朝で無いことは理解していた。

「ヒイロ、ご飯できてるよ」

 母親のいつもの掛け声を、俺は感傷的に噛み締めた。

「母さん、美味しかった。ありがとう」

 食事が終わって出かける前に、自然と言葉が口をついて出た。母さんは「どうしたの?」と訝しがったが、少し嬉しそうにもした。父さんは本に目を落としながら、仄かに顔を緩めていた。

「行ってきます」

 家の戸を開け、光の中へ俺は歩き出す。いつもなら、途中でレモンと会うだろう。学校で皆と楽しく話すだろう。でも今日は違う。行き先が違っていた。街中の、あの医院まで向かうと、敷地の日陰の道を歩いて入り口を開ける。中はやはり以前と変わらず暗く、橙色の頼りない光が照らしていた。

 俺は診察室へと向かう。受付の女性は何も言わない。ノックをして戸を開けると、医師は長机の奥で待ち構えていたように座っていた。

「もう、いいか?」

「ああ、もう、いいよ。帰してくれ」

 医師は立ち上がる。その薄明かりに照らされた顔は、俺自身だった。

「叶えてやるよ」

 光が辺り一面を包み込んでいく。



 目を覚ますと朝の柔らかな光とはかけ離れた刺激の強い昼光色の光に襲われ、すぐさま目を細めた。手で遮り、顔を横に向ける。

「あっ、起きた!」

 聞き慣れた声音が近くで喚声を上げる。

「ねえ、ヒイロが起きたよ!」

 レモンが顔をあちこちに向けて騒ぎ、左のこめかみに指を当てて同じように話している。この場にいないメンバーに伝えているのだろう。

 俺は移動車両の狭い室内にあるベッドに横になっているらしい。ガタガタ揺れるのに合わせて自分の体も揺さぶられる。棚や壁に置かれた工具や機材が音を立てて暴れる。

「おう、ヒイロ!」

 部屋に飛び込んできたのはプロテクターを身につけたインディだった。あちこちに切り傷の付いた顔をで覗き込む。

「どうだ! 大丈夫か?」

 顔を引っ付かんばかりに近づけて俺に問いかける。

「ちょっとインディ、起きたばっかりなんだからもう少しそっとしないと!」

 レモンが勇むインディを腕で制した。

 俺は状況を理解しながらも起き抜けの頭は回転しきらず、物事の前後関係がない交ぜになっていた。頭の整理が必要だった。そう、俺達は、世界に現れる超常的な脅威に対抗するために集められた戦士だった。



 超常的な存在の出現。奴らがどこから現れ何を目的にしているのか、全く分からなかったが、すぐさま文明の脅威になることは分かった。人を喰い、発狂させ、建造物を破壊した。   

 奴らに対しては人間の作る物理兵器で対処できたが、本質的な破壊はできなかった。限られた人間達の中にはずっと昔から既にそれらを認識して接触している者達もおり、彼らを中心に組織されたのが、俺の所属するマルスだ。

 奴らの根本に接触できるのは特別な力を持った人間だけであり、そういった人物を集めて訓練学校も作られた。俺やレモン、インディ、クロムもそのメンバーだった。

 そして、黒岩カゲも。

 カゲは、口数も少なくあまり人と交流を持たなかったが、裏腹に抱える能力は圧倒していて、ある意味で目立つ存在だった。そして、その持てる力を彼は抑えきれなかった。カゲが解放した力は見慣れた景色を別物へと変えてしまった。死ぬべきで無い人も、死んでしまった。俺はその事実に耐えきれなかったのだ。夢の中に逃げ込んだ。現実から目を背けたかったから。


 車両の停車するのに合わせて体が前のめりになる。ベッドから降りようとしてレモンが肩に手をかける。

「ヒイロ、大丈夫?」

「ああ、もう大丈夫だよ」

 インディに続いて外に出る。そこは、破壊された瓦礫の散らばる、空一面赤みがかった世界。空気が肌に熱かった。

「ここもやられたか」

 インディが独り言ちた。

「被害は広がってる。でもペースも場所もバラバラで正直よく分からないんだ」

 振り返るとクロムが歩いてやってきた。熱で満ちた場所にそぐわず涼やかな顔でいる。彼が着ると無骨なプロテクターが格好よく見えてくるから不思議だ。

「倒れたって聞いてたけど、大丈夫そうだね」

 俺に微笑みかける。俺も笑顔で返した。

「ここやられたばかりだよね、まだ近くにいるのかな」

「網は張ってあるから引っかかれば皆に通知されるはずだよ」

 レモンにクロムが応えるやいなや、アラートが耳に異状を知らせる。全員に緊張が走る。表情を強張らせ、身構えて周囲を見渡した。装着したヘッドギアを介して脳に送られてくるマップは、クロムの張った警戒網の異状探知部分を知らせている。全員がそこを向くと、空に一点、黒い陰が見えた。

「待ってたぜ」

 引き攣った笑みを湛え、肩まであるウェーブのかかった黒髪が風に揺らめき、全身を覆うマントをはためかせながら見下ろすのは黒岩カゲだった。カゲは腕を上げ、掌を広げる。その中心に黒い塊が渦巻いて生じる。

「皆集まれ!」

 インディの一声に彼の背後へ駆け寄る。

「うおおおおおりゃああああ!」

 インディの腕のプロテクターが光を放ち、回転を始める。すぐさまトップスピードに乗ると、彼はそれを頭上へ突き出した。と、同時に、カゲの掌の塊が射出される。瞬間、衝撃と爆音が体を突き抜け、足で必死に堪えた。

 目の前で光が迸っている。インディの突き出した手の先の分厚いシールドが、カゲの黒いエネルギー塊を受け止めてバチバチと鼓膜を叩いてくる。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 インディの絶叫の最高潮に達した時、大きな炸裂音と共にシールドとエネルギー塊は弾け飛んで相打ちとなった。俺達は踏みとどまったが、インディが後方へ吹き飛ばされる。

 光の粒が眼前でをキラキラと炸裂している。カゲは既に二発目に取りかかっていた。すかさずレモンが駆け出す。足のプロテクターが光を放ち、目にも留まらぬ早さで駆け回りながら散弾光線銃をカゲに浴びせかかる、それと同時に、クロムの操る小型ドローンが爆弾を抱えてカゲに突っ込んだ。

 高笑いをしながらカゲはその光線を避け、ドローンを打ち落とす。

 俺は、深く息を吐き出して、吸い込んだ。

「ヒイロ、早くしてよね! 今度は倒れちゃ駄目だから!」

 腕と足と、胸のプロテクターが回転を始め、光を放ち始める。

 殺されるかもしれない、大事な人達の死を目にするかもしれない。でも、戦わなければいけないのだ。少なくとも自分には、その力があるのだから。

 精神を研ぎ澄ます。プロテクターの回転が既に最高潮に達している。その振動の重みでエネルギーの蓄積を感じていた。カゲはそれに気付いたか、無差別に黒弾を発射し周囲のドローンと光弾を打ち落とす。地上にも達し、あちこち土煙が噴水のように立ち上った。レモンの悲鳴と、クロムの呻きが聞こえる。

 諦めたら終わりだ。俺の意志が、俺の未来を叶えるんだ。

「カゲエェェェエエエェェエエエエ!!!」

 地面を蹴り潰して跳びはね、カゲの目前に躍り出る。

「うぅぅぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 拳と拳がぶつかり合う。光と暗闇が火花を散らし、空間が捻じ曲がる。

「あははははははっははははあああぁ、いいね、いいねぇえええ!!」

 二発、三発、ことごとくお互いの拳が重なり合い、空間が揺れる。息を吸い込み、歯を食い縛って、腹に力を入れた。胸のプロテクターが閃光を放つ。

「くっらっえええぇえええええええっ!!」

 全力を込めて突き込んだ右腕がカゲの拳を捉えた瞬間、光の束が放出され、カゲの姿を飲み込んで遙か彼方まで巨大な光線が走り抜けていく。右腕からの強烈な波動で視界がぶれ、世界が波打つのが分かった。整える間もなく体勢が崩れ、地上めがけて落ちていく。立て直す力ももう残っていなかった。

 風を感じながら空気の切り裂かれる音が流れていく。もう、ぶつかる。

「っぶねえええ!」

 思った直後、垂直落下が衝撃と共に水平に途切れた。

「間一髪!」

 インディだった。インディに抱きかかえられ、俺は地面への激突を逃れた。

「やったか?」

「いや、手応えが無かった」

 最後の拳を交えた一撃のあと、光線の流れに何も抵抗を感じなかった。奴はその場から移動している。

「網から出て行ったみたいだよ。理由は分からないけど」

 仕事の早いクロムが、立て直していた警戒網で奴の動きを感知していた。しかしさすがに表情は疲れている。

「あとちょっとだったのに。ヒイロが寝ぼけてなければね」

 足を引きずりながらレモンが言う。

「止められるのか? 俺達……」

「希望はある」

 一同が俺の顔を見た。

「もう一人いる」

 俺は、夢の中で見た夢を思い出していた。

 カゲの向こうで佇んでいた、光に包まれる女性を。

 彼女が何を意味するのかは分からない。しかし、探さなければならない。そう確信していた。

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