第2話 初めて選びたいと思ったのは、君だけだった その3
何故、そんなに焦るのか。それが優花の第一印象。
タワマンの入口で、熱中症の診察をした時もそうだったが、家に帰れと言ったにも関わらず、俺が騙されて引っ張り出された婚活会場の中で再会した時も、彼女は焦っていた。
ただ俺は俺で、あの時、病人がいると聞いてきたはずだった場で婚活イベントが開かれ、しかも自分が勝手に参加者として登録させられていたことに、戸惑いと怒りを感じていた。だから、彼女が病人なのを理由に、外に出る言い訳に使わせてもらったのだが。
相手のことを思うフリをしながらの自分の身勝手さに、吐き気がすると思った。
そんな時だった。あの声が聞こえたのは。
「森山さーん!?」
怒りがこもった呼びかけが、彼女の表情を青ざめさせた。まるで病が急速に悪化するかのような変化で、俺は身構えた。倒れるかもしれないと。だが、彼女のその次の行動は俺の想像を超えていた。スーツを汚した分と飲み物代という名目で1万円を押し付けてきた。
それだけではなく、あの声の主である女性のことを、ブルブル震えながら俺に勧めてきたのだ。俺の恋愛相手として。
俺は、言葉と表情がチグハグな女性を数え切れないほど見てきた。時に容赦無く牙を出す女性も、中にはいた。だが不思議と、彼女のチグハグさは、そんな怖さを一切感じさせない。むしろ俺はこう思ってしまった。この女性を、守らなくては、と。
どこから湧いて出てきた感情なのかは分からない。でも悪い気はしない。漠然と、彼女ともう少し一緒にいたいとも思ってしまった。本当なら家に帰すべきなのにも関わらず。
だから、一緒にいられるわざとらしくない、熱中症対策のための休憩という理由で彼女を拘束した。
もしこの時、俺がそのまま彼女を帰していたら、きっと2度と彼女と縁が繋がらなかったかもしれなかったから。
俺が彼女を連れて行ったのは、少し変わったかき氷が有名だという喫茶店。ちょうど1週間前に、偶然つけたテレビのニュースで特集されていた。飾りつけや味付けが少し変わったかき氷が話題らしい。俺が気になったのは、ついでで紹介されていたクリームソーダの方だったのだが。綺麗な海の色をしたソーダ水の上に浮かぶ、くまとパンダの顔に作られたアイスクリームが乗っている、子供や女性がとても喜びそうな見た目をしていた。
元々1人でカフェにはよく行っていた。休日の朝に読書を嗜むために。そろそろ新しいカフェを開拓したいとは、漠然と思っていた。
店に入ってすぐの彼女は、最初こそ一体何にそこまで怯えるんだろうと、周囲を見回してばかりいた。けれど、互いに注文をしたものを食べている間に、少し打ち解けてくれたのか、ほんのりと笑顔を見せてくれるようになっていった。嬉しかった。
彼女と、また、他の時を過ごしてみたい。喫茶店で。そう思ったきっかけもまた、あのクリームソーダだった。
できれば、このクリームソーダを頼みたかった。でも、自分の外からの見られ方は何となくだが理解はしていた。こんなものを彼女の目の前で注文したら、彼女はどう思うのだろうと、怯んだ。
「氷室さんのようなクールな人は、甘いものより、ブラックコーヒーのような大人の味のものがよく似合いますよ」
それは確か、バレンタインで貰ったチョコレートをおやつとして食べようとした時だったろうか。かつて、一緒に働いていた病院の看護師達に言われたのは。
「氷室のクールさは、宝だからな。イメージ壊すようなことして、番組を潰す真似だけはしてくれるなよ」
それは、確か、控室に置かれていたクッキーを食べようとしていた時だったろうか。橘に不機嫌そうに言われたのは。
外見から来るのか、それとも俺が普段話している口調から来るのかは分からない。だが、お前はこうだから、と言うように、気がつけば周囲から勝手に印象を決められ、創られた印象に従わされていた。
こうあるべきだ。そこからずれれば、お前なんか価値がない。選ばれるわけがない。誰にも。心の中に積もったこれらの言葉を消そうとしても、生涯塞ぐことができない傷を新たに作る刺青のように、深く残っていた。
だが、優花だけがはそんな俺の心に、ふわっと柔らかいカバーをかけてくれた。
「私なんかが、氷室さんのような方のお役に立てたのならすごく嬉しいです」
無理矢理、あの婚活会場から連れ出したこと。そしてその理由は、本当は優花だけではなく、俺にも問題があったこと。それらを謝罪した時に真っ先に優花はこう言ってくれた。
それだけでも、とても嬉しかった。
「このクリームソーダ2つある様子、写真撮りたいんですよ」
「でも、私さすがに2つは飲めないかなと……」
「なので、よければ1つ、貰ってくれませんか?」
この、優花の問いかけにはとても驚かされた。直前に俺がクリームソーダのメニューを見ていたのを、確かに優花は見ていた。俺がブラックコーヒーを頼んだ時、一瞬怪訝な顔をしていたから、きっと優花はこう思ったのだろう。何故、クリームソーダを選ばないんだろうか?と。
それならば、聞けば良いだけだ。でも、もし聞かれたら俺はきっと、こう答えていただろう。
「ただ、見ていただけですから」
優花も、俺がクリームソーダを選ぶということに違和感を覚えたから、メニューを見ていたことを覚えていたのだろう。その違和感が、彼女に変な印象を与えてしまうくらいなら、一般的に良いと言われる自分の印象を守ることを優先しよう。俺はきっと、瞬時にそう考えるだろうから。
だけど、彼女のこの聞き方は違った。まるで、彼女の頼みを、俺が聞いたという形になったのだ。俺は、こうして気になっていたクリームソーダを直接目にすることができた。彼女のために、という名目で。
これが、彼女なりの俺への気遣いなのかは分からない。ただ、もし本当に俺を気遣っての言葉だったとしたら……。
この時の俺は、クリームソーダの写真を真剣にスマホで撮影しようと頑張っている優花を見つめながら、もっと彼女と仲良くなってみたいという欲が芽生えていた。
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