幕間5 竜胆と鳳華

 月見の宴が続く中、竜胆は訪ねてきた鳳華を私室に招じ入れた。

 境内から離れていることもあり、外の喧騒はぼんやりとしか聞こえてこない。

「息災か」

「はい。無人なきと様……いえ、竜胆様も、お元気そうで何よりです」

「無人でいい。呼びやすいなら」

 ぶっきらぼうに返した竜胆は、どことなく怒ったような顔で遠くを見、鳳華はそんな竜胆の様子を伺う。

「銀華はお役に立っておりますか?」

 しばらくして、鳳華がおずおずと言い出した。竜胆が小さくうなずき、少し間をおいて言葉を付け足す。

「よく、働いている」

「それなら、安心なのですけれど。あの子は昔から、そそっかしいところがありますから」

 竜胆の口元がぴくりと動いた。朱華が見れば苦笑と取るような、淡い表情が浮かぶ。

「鳳華」

「はい」

「何故、来た」

「一度、お訪ねしてお詫びをしなければと思っていたのです。しかし私の顔を見れば、無人様はご不快に思われるかと……あのとき、無人様を巻きこんでしまいましたから」

 竜胆が面食らった様子で鳳華に目を向ける。

「何を……あれは俺が……俺が何もしなければ、あんなことは起きなかったはずだ」

「いいえ、無人様の責ではございません、決して!」

「だが――」

朱音あかね様から伺いました。無人様がずっと、あのことを気にしていらっしゃると。ですから、無人様のせいではないとお伝えしなければと思っていたのです」

 鳳華がじっと竜胆を見つめる。竜胆は目を逸らせないまま、その顔をただ見返していた。



 そのころ、部屋の外では銀華が何やら迷っている様子だった。

「どうしたの?」

 うろうろと落ち着きなく歩いているその様子を見かね、朱華が声をかける。

「お茶をお持ちしようかとお訊ねしようと思ったんですけどっ……な、何か揉めてるんでしょうか」

「どうだろうねえ……。呼ばれるまでは、そっとしておいたほうがいいかもね、今は」

 そうします、とうなずいて、銀華はおずおずと先を続けた。

「……あの、朱華様、竜胆様は母と何かあったんでしょうか?」

「おや、竜胆から何にも聞いて……いや、話してるわけないか。おいで、あんたは知ってもいいだろう。でも竜胆には、あたしが話したって言っちゃいけないよ」

 自室に銀華を伴い、慣れた様子で朱華が茶をいれる。

 すっかりかしこまりながらも、銀華は出されたそれを一口飲んだ。

「鳳華が昔、あたしの実家で働いてたのは知ってるかい?」

「はい」

「なら話が早い。屋敷から去った理由は聞いてるかい?」

「いいえ。朱華様のお屋敷でのお仕事は、事情があって辞めた、とだけ……」

「そう。鳳華がいたころ、家の中で物が失くなることが増えたことがあってね。あたしと竜胆は何にもなかったんだけど、家にいた女中は少なくとも一回は、何かしら失くしてたみたいだね。装身具とかの小さくて高いものとか、後は蔵に置いてた小物で価値のあったものとか……その犯人だって噂になったのが鳳華だったのさ」

 銀華が片眉を吊り上げる。

「母は、そんなことは――」

「うん、わかってるさね。ただあのときは、状況だけだと鳳華が一番怪しく思われてね。鳳華のものは、すぐに見つかるような場所にあったとか、鳳華と同じ部屋にいた女中が、夜中に部屋を出ていく鳳華を何回も見てたとかで。……結局、鳳華は屋敷を去ることになったのさ」

「母はそんなことしません!」

 思わず腰を浮かせた銀華を、朱華が手を上げてなだめる。

「わかってる、わかってるから落ち着きな。実際、鳳華は犯人じゃなかった。鳳華を妬んでた如月って女中がいてね。物を盗んだのも、噂を流したのもその如月だったのさ。しかもそれだけじゃなくて、如月は竜胆のこともずいぶん悪く言っててね」

「竜胆様を?」

「うん。鳳華はかなり竜胆のことを気にかけてたし、竜胆もけっこう親しくしてたのさ。でもそれが面白くなかったのか何なのか、『竜胆に取り入ろうとしてる』だの、『鳳華が竜胆に媚を売ってる』だの、『竜胆は鳳華に騙されてる』だの、おかしなことまで言い出してね。しまいには、『竜胆は鳳華とぐるになって悪さをしている』なんて、根も葉もないことを言い出して」

「……それで、その人はどうなったんですか?」

「如月? 結局、屋敷の者に全部知れて、家から叩き出されたね。その後の消息は聞いてないけど……。だから鳳華が黒紅様に仕えてるって聞いたときには安心したんだよ。家で探したときには、消息が知れなかったからね。……でも、あれから竜胆は笑わなくなったね」

「確かに、竜胆様が笑ったところ、見たことないかも、です」

「昔……卯月がよく来てたときだって、笑ったことはなかったからね。仏頂面と仏頂面が、酒飲みながら顔つきあわせて碁盤囲んでたんだから。昔はもうちょっと笑うこともあったんだけどね」

 湯呑に茶を注ぎ足しながら、朱華が小さく溜め息をつく。

 笑わなくなっただけでなく、鳳華の一件から、竜胆は以前より口数が減った。

 もともと無口な竜胆だったが、輪をかけて寡黙になった。今でもそれは続いており、何なら丸一日彼の声を聞かないこともある。

 自分が口をきいて、物事が拗れるのを彼は恐れているのだ。

「竜胆は優しいし、情もあるんだけどね、本当は。普段がああだから、結構誤解してる子も多いだろうけどね」

「そう、ですね」

 竜胆の評判は、銀華も一度ならず聞いたことはある。怖い、だとか、近寄りがたい、だとか。

「で、でも……竜胆様は、皆に思われてるほど、怖い方じゃないです」

 確かに竜胆はすこぶる無口ではあるし、正直に言って銀華でさえも、彼が何を考えているのかわからないことはある。それでも忙しかった日などは、彼なりにねぎらってくれるし、銀華がひどい失敗をしても、怒鳴りつけるようなことはない。

 ふ、と朱華が笑みを浮かべる。

 そこへ、竜胆が神使を呼ぶ鈴の音が聞こえてきた。

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うつろいの社 文月 郁 @Iku_Humi

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