いつか、翡翠の燃えたその先に
ふとんねこ
第1話.少女の夢
ヒスイ・ヒペリカムの夢は今、思わぬ形によって破られようとしていた。
「せ、聖女様……」
「何度言おうが同じです。東の果ての穢らわしい異民族の血を引く者を、神聖なる教会の中に招き入れ、聖女の見習いとするなど有り得ません」
三十代後半に差し掛かる年齢であろう隣の村の聖女は、嫌悪感の滲む視線と共に、ひどく冷淡な態度でそう言った。
前時代的な異民族差別。まさか教会から正式に認められた聖女である人がそんな思想の持ち主だとは思わなかった。
「そんな……」
その名の通り翡翠の様な深みのある緑色の瞳を見開いて、ヒスイは呆然と聖女を見上げていた。
聖女になり、自分が持つ退魔浄化の力を生かして人を助け、生まれ育ったカーラ村で生きていくことはヒスイの幼い頃からの夢だった。
祖母から受け継いだ退魔浄化に特化した白い光炎の魔力。祖母も母も、この力によって、魔物と戦ってくれる教会が存在しないこの村を守ってきた。
目映い白炎を、鮮やかな白光を纏って魔物を滅する祖母や母の姿は、幼いヒスイの目にはとても鮮烈に映り、その心に強い憧憬の念を
カーラ村には森からやって来る魔物と戦う存在が必要なのだ。
一から教会を作るのは難しくとも、退魔浄化に優れた女性神官――聖女がいれば村人の命を守ることは可能である。
それに、正式な資格を持つ“聖女”として日々奮闘していれば、その内この村にも教会ができるかもしれない。ヒスイは長らくそう考えていた。
そのために、ヒスイは聖女見習いになる必要があった(これは俗称で、正式には女性神官見習いとなる)。
母の応援に背中を押され、ヒスイは長い距離を歩いて隣の村へ向かった。
そこには小さい教会があり、三人の教会戦士と一人の聖女がいる。そこへ女性神官見習いとして入り、修行を積んで正式な資格を得るのだと、ヒスイは期待に胸を踊らせていた。
しかし、聖女は教会の戸を叩いたヒスイを一目見るなり「異民族の血を引く者を教会には入れられない」と言ったのである。
「その瞳の色、知っていますよ。貴方は隣の村のメノウの孫娘でしょう」
「祖母を、知っているんですか……?」
ヒスイの問いに、聖女は鼻を鳴らした。
「ええ知っていますとも。東の果てからやって来た、妙な魔力を使う気味の悪い翠眼の魔女。あの村には教会が無いからあんな者に頼るしかない……哀れなことです」
「そんな言い方っ……」
「どうせ貴方も同じなのでしょう? 寒気がします。この村からとっとと出てお行きなさい!」
「ま、待って!!」
言い捨てた聖女はヒスイの制止の声も聞かずに教会の戸を閉めた。明白な拒絶を示す大きな音に、ヒスイはそれ以上何も言えなくなって呆然と戸を見つめていた。
やがて、ヒスイはその場にずるずると座り込んで俯く。陽光の様に鮮やかな金色の髪が肩から滑り落ちた。涙がこぼれそうになるのを必死に堪える。
(……泣いちゃ駄目、諦めちゃ駄目よ。私は、誇り高いおばあちゃんの光炎を継ぐ娘なんだから。こんなことで負けない、絶対に諦めないわ)
自分にそう言い聞かせ、ヒスイは立ち上がった。その勢いで背中の真ん中まである髪がふわりと浮かび、柔らかく緩やかなウェーブがかかった金色が日の光を纏って燦然と輝く。
「……真っ直ぐ進めば、必ず……光は見えてくる」
そう呟いて空を仰いだヒスイは、ぐっと握りしめた右の拳を底抜けに明るい蒼穹へ向けて突き出した。
「私は諦めない! 絶対に聖女になってやるんだから!!」
ヒスイ・ヒペリカムは負けん気の強い、真っ直ぐな娘であった。
――――……三ヶ月後
夜闇に魔物が吼えた。その咆哮には魔力がこもっており、真っ向から浴びた人の足は本人の意思に反して竦んでしまう。
黒い狼の姿をした禍々しい魔物は、紅く光る目でヒスイを見ていた。どうやら最初から、狙いは教会の討伐隊の
白い襟が付いた黒の膝丈ワンピースに白いケープを重ね、茶色いブーツを履いたヒスイ。胸元には見習いであることを示す青いブローチと白いリボンがある。
「来るぞ! ヒスイ、用意はいいか?!」
「はい!」
教会戦士隊長の声に、ヒスイは威勢良く答えた。その右手には揺らめく白い炎があり、美しい翠眼は魔物の目をじっと見つめ返している。
戦士たちが突き出した槍を身を捻って避け、黒狼の魔物は一直線にヒスイに向かってきた。
「……神はあなたの罪を赦すでしょう」
祈る様にそう呟きながら、ヒスイは右手を宙の黒狼へと向ける。夜闇には眩しすぎる白い炎は、魔物を待って柔らかな両腕を広げていた。
「この白炎によって!」
白い炎が舞う。風にたなびく雲の様にたおやかに、そして鋭くしなる長鞭の様に。
黒狼の魔物を白炎が包んだ。聖なる浄化の炎に焼かれて、動けず宙にとどまる魔物は悲鳴を上げる。
それを見つめながら、ヒスイは炎が消えるまでその手を魔物に向け続けていた。
――――……
「お疲れさん。相変わらず、すごい炎だったな」
魔物が暴れた場の浄化をしている神官たちを見ていたヒスイに、簡単な帰り支度を済ませた教会戦士隊長がそう声をかけた。
「ザックさん、今夜もありがとうございました。お怪我はありませんか?」
「お前こそ、大丈夫か? 見習いになってからほぼ毎晩魔物退治だろう? 無理はするもんじゃないぞ」
平気です、とヒスイは微笑んだ。その唇から漏れた白い息が冷たい風に細く流れていく。季節は冬だった。
彼女は今、故郷カーラ村から遠く離れた王都、その西区ハルザーレにある光神教会の女性神官見習いになっていた。
異民族差別派の聖女に酷い言葉を投げられ、それでも諦めないと誓った彼女はすぐ家に帰り、母に全てを話した。
その上で「こうなったら最高の場所で修行して、最高の聖女になる!」と意気込みを語り、王都へ行って修行のできる教会を探そうと思っていると伝えたのである。
娘の決意の固さに「あなたは思い立ったらいつもそうね」と苦笑した母のコハクは「いいわ、行ってらっしゃい」と心配を押し隠した笑顔で送り出してくれた。
そこから夏の終わりに故郷を発ち、長く険しい道を旅して、ヒスイは王都へとやって来た。
その広さ、発展ぶりに驚きながら、教会を巡り修行先を探したが、王都の教会はほとんど見習い過多の状態で、
それでも諦めないのがヒスイという少女である。四区に分かれた王都を、何日もかけて歩き回り、西区ハルザーレの端で見習いを募集している教会をやっと見つけた。
創世神の一柱、光の神を主神として奉ずる光神教会は、ヒスイの白い光炎の魔力を大歓迎し、温かく迎えてくれたのである。
ハルザーレは深い森に隣接しており、毎夜そこから魔物が湧く。お陰で光神教会の戦士、神官、聖女、そして見習いに休みはなかった。
退魔の力を持つ聖女が一人しかいないので、初日から、複数の場所で魔物が出現した場合はヒスイが実地での学びも兼ねて戦いに赴いていた。
「おっしゃー、今日は週末、金の曜日だ! いつもの店に行くか!!」
「「「おーーっ!!」」」
ザックの声に、教会戦士たちが嬉しそうに答える。ヒスイも、週末だけのちょっとした贅沢を思って笑った。
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