姫君の悦楽02

 わいわいと、賑やかな『物音』がする。

 喧しいというほどのものではないが、意識に入り込む程度には存在感のあるもの。二十度寝ぐらいの眠りに入ろうとしていたナージャは、気紛れながらその物音に関心を抱き、ほんの少しだけ目を開ける事にした。


「こんなに可愛い服なのよ!? 気に入るに決まってるわ!」


「裸で暴れ回るような奴が服なんて気にするか!」


 わいわい騒いでいたのは、ナタリーとエルメス。最近になってようやく二人の『個体』を(人間だって毎日見ていれば犬の顔ぐらい覚えるように)記憶したナージャは、「なんだコイツらかー」と納得。即座に興味を失い、やっぱり寝ようと考える。


「あ、ナージャが起きた」


 もしもジョシュアが気付かなければ、ナタリーは貴重なチャンスを逃していただろう。

 ジョシュアの一言を聞いたナタリーは、即座にその手に持っていた服をナージャの前に突き出す。理知的なエルメスが止める間もない、早業だ。

 真紅の色が、ナージャの視界を埋め尽くす。

 ……だからといって興奮するだの怒るだのという事もないが。ただ、自分の目の前に現れたものが『布』だという事は理解する。

 その布をまじまじと見つめていると、ナタリーはゆっくり布をナージャから遠ざけていく。そして見せびらかすように、ぱらりと布を開く。

 布の正体は……フリルやリボンがあって少しばかり少女趣味なデザインの……ワンピースだった。


「……………」


「どう? 可愛いでしょ?」


 じっと見つめるナージャに、ナタリーが尋ねてくる。

 ナージャは答えない。答えるような言葉を持たない。

 代わりに行動で示す。ナージャは寝ていた身体を起こすと、ナタリーの前で座った体勢を見せた。足を前に出した、なんとも子供っぽい座り方。そのままじっと動かず、ナタリーを見つめるばかり。

 その姿を見たナタリーは最初呆けたように固まっていたが、やがてナージャの意図を汲んだ。パッと明るい顔を浮かべ、次いで不敵な笑みをエルメスに向ける。


「どーよ! やっぱり女の子には服なのよ!」


「マジか……」


 驚きから唖然とするエルメスに、同じく呆けた様子のジョシュア。ナタリーだけが勝ち誇る。

 さて、ナージャの行動の意図であるが……ナタリーの思った通り、見せられた服を着ようと考えたためだ。とはいえそう考えた理由は、ワンピースの服が可愛かったからではない。

 数千年前、ナージャが古代人に祀られていた頃。人間達は様々な貢ぎ物をナージャに渡しており、その中には絹の服や宝石などの装飾品もあった。それらはナージャにとっては興味もない代物だったが、人間達からすれば是非とも着てもらいたいもの。特に女性からはぐいぐいとお願いされたものだ。

 人間の言葉などろくに理解していないナージャであるが、逆に気迫などは敏感だ。あの時の女達の気迫は相当なものである。無論人間がどれだけ気迫を纏おうと、ナージャにとって脅威でもなんでもないが……「拒むのも面倒臭そう」と思わせるぐらいの効果はあった。今のナタリーからは似たような気配があり、これもやはり面倒と思った次第である。

 そして服を着せたい側からすると好都合な事に、基本ナージャは起きていてもそこまで活発ではなく、ぼけーっとしているのが苦でない。つまり着せ替え人形にされるのが嫌ではないのである。

 何よりナージャはお洒落に興味がないだけで、華美な服や装飾品が嫌いという訳ではない。むしろ今の人間がどんな服飾を身に纏っているのか、そういう意味での関心ならある。

 このため人間に着せてもらえるなら、ナージャは着飾る事を拒まないのだ。


「さぁ、着替えましょうね〜……ほら男子! 女子が着替えるんだから出てきなさいよー」


「誰が男子だ。あとそいつ元々裸だろうが」


 ナタリーのボケにエルメスがツッコミを入れた後、ナージャの着せ替えが始まるのだった。

 ……………

 ………

 …

 時間にして、約三十分。


「うん、やっぱりこの服が一番似合うわね」


 満足したように頷くナタリー。彼女にじっくり見定められているナージャは、真紅のワンピースを着ていた。

 様々なフリルの付いた少女趣味的なデザインであるが、見た目あどけない少女であるナージャにはよく似合う。何時の間に採寸したのか、サイズもピッタリだ。

 服だけでは足りぬとばかりに、首にはチョーカーを付けている。以前エルメスからもらったチョーカーは爆発したが、ナージャにとってあんなのは煙幕程度のものでしかない。新しいチョーカーを付けられる事に、ナージャは特段抵抗など覚えなかった。

 手には黒い手袋を付けてある。手袋は数千年前にも人間達が作っていたが、あれは寒い時期の防寒着として使っていた。このようなファッションとしての手袋は、ナージャにとって初めてのもの。毛皮と違って薄く、動きを妨げない作りのそれは正に装飾品だ。

 スカートからはみ出す尻尾や自己主張の激しい角、それに背中の生地を盛り上げる背ビレがあるため『普通の少女』には相変わらず程遠い。しかし人外的な要素は幾分鳴りを潜め、麗しく可憐な姿を演出している。


「お、おおぉお……」


 単純なジョシュアならば、頬を赤くして見惚れるぐらいには魅力的になっていた。


「……馬子にも衣装って奴かね」


「何よそれ?」


「極東の言葉だ。どんな人間でも、見た目を整えれば立派に見えるって意味だよ」


「褒めてないわよね、それ」


 エルメスは軽口を叩いたが、しかし『立派』には見えると評してもいる。ナタリーは眉を顰めるも、それ以上は追求しない。ナージャを綺麗に飾れた事で、満足出来たようだ。

 そして当のナージャも、それなりに満足していた。

 お洒落自体には相変わらず興味もないが、この時代の人間が作る『服』には素直に感嘆していた。数千年前の人間が献上してきた服は、高価なものでも獣の毛で編んだもっさりとしたものばかり。肌触りは悪くないが、悪くないだけだ。この服の滑らかで優しい質感とは似ても似つかない。

 強いて質感の似た素材を挙げるとすれば、天蚕糸(天然の蛾の繭を用いたもの)だろうか。しかし天蚕糸は高い木の上になり、そもそも大量にあるものではない。こんな一張羅を仕立て上げるには、一体何千個の繭が必要か分かったものではない。何よりこの服の繊維は天蚕糸よりも少しチクチクするような感覚があり、異なる素材で作られている事が窺えた。

 一体これはなんなのか……長く生きたナージャさえも驚くその服の正体は、なんて事はない。ポリエステルで出来ている大量生産品だ。

 ポリエステルは蒸気工学の成長(と共に起きた高熱の取り扱いや化学物質生産の発展)に伴い、石油を加工して繊維化する技術が進歩して生まれた素材だ。手触りの良さと丈夫さ、そして価格の安さを両立した製品である。生き物の栽培・飼育が必要な綿や絹などよりも大量生産に向き、需要に素早く応えられるのもメリットだろう。

 人間社会として見れば、つまるところ大量生産の商品であり、金持ちは昔ながらの絹などを身に着ける。しかしそれらはステータスとしての衣服であり、衣服としての『性能』は合成繊維で出来た布の方がかなり良いものとなっていた。


「ガゥー……ウゥー」


 ナージャとしてもこんな凄い布があるとは思わず、実に興味深い。ぺたぺたと触ってみるが、一体何で出来ているのか(化学の知識がないので仕方ないが)見当も付かない。


「……なんやかんや、アイツも気に入ったみたいだな」


「でしょ? やっぱり、女の子らしい歩み寄りをしなきゃね」


「女の子ねぇ……いでぇっ!?」


「女は何時だって若々しくいたいのよ」


 エルメスの視線を受けたナタリーのげんこつ。エルメスはそれに悶え、横目に見ていたジョシュアは笑うのを必死に堪えている。

 人間達が繰り広げる漫才。されどナージャはそちらに興味を持たない。

 今、興味があるのは自分が着させられた服。

 気になる。とても。料理を夢中で貪ったように、ナージャは『未知』に対しとても強い関心を抱く性格なのだ。興味がなければ見向きもしないが、一度興味を抱けばとことん調べたくなる性質とも言えよう。

 故に、思う。

 


「……………ガウゥー」


 思い立ったら行動。ナージャにとっては自然な事だ。

 しかし人間達にとっては、制御出来ない怪物の目覚めと活性化に他ならない。


「! ま、待て! ナージャが動き出したぞ!?」


 エルメスの慌てた声に、ナタリーとジョシュアも勢いよくナージャの方へと振り向く。

 人間達の視線を一身に集めた格好だが、ナージャは気にも留めない。元より人間に行動を制限されるつもりなどないのだ。そして人間達の側も、どんな攻撃をしたところでナージャが止まらない事を知っている。それどころか下手に怒りを買えば、以前のように都市そのものが破壊される可能性もある。迂闊に手を出す事は出来ない。

 誰にも止められる事なく進んだナージャは、せめてもの抵抗とばかりに鍵付きで閉めた金属製の扉を、軽い蹴りの一発でぶち破る。ガラクタのように飛んでいった扉から、ぬるりとナージャは外へと出た。

 外と言っても、そこは地下深くの下水道。地上までの道のりは遠い。

 そう、とても遠い。だがナージャは今、服に興味を持っている。長い長い下水道を歩いていくのはとても面倒臭いとナージャは思う。ぼーっとするのは好きであるが、面倒な事は普通に嫌いなのがナージャという生物。

 なので最短経路、真上に向かって進む事にした。


「スウゥゥウゥー」


「ちょ、おま……!?」


 大きく息を吸い込んだナージャを見て、エルメスが驚愕する。お前、あの大技をこんなところで使う気なのか? そう言わんばかりに。

 ナージャに言わせれば、こんなのは大技でもなんでもない。元々身体に備わっていた機能の一つであり、体力だとか寿命だとかを消費するものではないのだ。使い時を見付けたなら、自由に使えば良い。


「シュゴオオオオオオオオオオオオッ!」


 故に一切の遠慮なく、真上に向かって口から炎を吐き出した。

 吐き出された炎は下水道の天井を打つ。普通の炎ならばコンクリートに跳ね返され、あちこちに飛び散るだろう。しかしナージャの炎は、人造人間クレアに使われていた特殊合金さえも瞬く間に溶かす超高温。コンクリート風情に耐えられるものではない。

 飛び散る間もなく溶解・気化したコンクリートを、炎は吐き出された際の圧力勢いにより押し退けて前へと進む。その先にあるコンクリートも瞬時に溶け……一瞬で貫通。

 あっという間に、数十メートル先にある地上までの道を作り上げてしまう。見上げた先にあるのは青々とした空。そう、今の時刻は真っ昼間なのだ。

 地上の都市では大勢の人々が活動し、都市軍なども平常通りの警戒・監視をしているであろう時間帯。地上から噴き上がる炎の目撃者は間違いなく大勢いて、何より反政府組織レヴォルトの秘密基地まで直通の道が出来てしまった。

 割と、反政府組織レヴォルトにとっては洒落にならない事態である。


「ええぇぇえぇぇ……」


 これには組織を率いるリーダー・エルメスも、情けない声を出すしかない。だがナージャにとって、エルメスや反政府組織のあれこれなど興味の対象外。

 今は、この服がどうやって作られているかの方が気になる。


「シュゴオオオオオオオッ!」


 二度目は炎を吐かず、ただの吐息を空に向けて吐き出す。溶けたコンクリートが服に付くのを嫌がった上での行動だ。ナージャは知らない事だが、石油由来の繊維であるポリエステルは火に弱い。結果的に適切な行動により、通り道から火の手は一掃された。

 後はぐっと膝を曲げ……勢いよく跳躍するだけ。

 何十メートルという高さをものともせず、ナージャは地上へと出ていった。自分が開けた大穴の事を残し、すたすたと外の世界を歩き出す。

 残された人間達はてんやわんやの大騒ぎとなっていたが、ナージャがそちらを意識する事はなかった。

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