女忍の物語

うつせみ

至高の嫁

 その一、 後悔こうかい


 太三郎たさぶろうは後悔していた。


 急いでいるので、もう一つ峠を越えたかったのだ。

いくら田畑の辺りが、まだ明るくても、木々の生い茂った森の中は暗くなるのは早い


 早く、旦那様に御種人参おたねにんじんを届けたい。

小僧の頃から、何かと可愛がって貰い、

手代頭てだいがしらにまでして貰ったのだ。

 大病をわずらい。体力を失くしている。旦那様に滋養じように良い御種人参を、そして、又、前のように、厳しく商売を教えて欲しい。厳しくもやさしい。あの張りのある大きな声で


 太三郎は背負っている。風呂敷包ふろしきづつみみをしっかりと握り直し。歩く足にも力が入った。

 しかし、辺りはどんどん、暗くなり、


「きぇー」


 と、聞いた事も無いような。何かの鳴き声が聞こえる。


「鳥なのか?」


 そう思った時に、がさがさと大きな音がして、目の前のがさやぶから、人が飛び出して来た。

 三人。そう確認した時に


「しまった」


 と、後悔がき出た。


「山賊だ」


 山賊に囲まれた。

 ひょろっと、背の高い坊主の男。

 小さい小太りの男。

 中肉、中背の前歯の数本、無い男。

 皆、刀を持っている。


「何の用ですか?」


 太三郎は恐る恐る、聞いて見た。


「何って、俺達は山賊だ。決まっているだろ」


 歯の無い男が話しだす。


 この男がかしらか、そう確認した三郎太はふところに隠してある護身用の小刀を握る。

 他の二人は、にたにたと笑みを浮かべ、こちらを見ている。

 太三郎は、余り背は高く無く、体つきもどちらかといえば、やさ男の方だ。


「どうあがいても勝ち目はない。だが、高価であり。痩せてしまった旦那様の為にも御種人参は渡せない」


 心の中でそう思っていた。


「財布は渡します。荷物も薬以外は差し上げます」


 太三郎は言ってみた。

 だが、歯の無い頭と思われる山賊は


「身ぐるみをがすのが俺達の決まりだ」


「そうだ。それに薬は儂等わしらに取っても貴重なもんだ。置いてって貰う」


 背の高い山賊も話す。


「しかし、これだけは」


 太三郎は食い下がるが


「お前は、自分の置かれている立場を知らぬのか、命が有るか、無いかの話しだぞ」


 頭が話す。


「しかし、これだけは、これだけは」


 太三郎は咄嗟とっさに懐の小刀を出した。


「分かりやすいんだよ」


 出したと同時に、横から、小太りの山賊に峰打みねうちで手を叩かれ、小刀を落としてしまった。


万事休ばんじきゃうすだ」


 太三郎は膝を落とす。

 三人はそんな、太三郎を見て笑っいる。


「やっぱり、殺すしかないな」


「男は何の役にもたたぬ」


「逃がして、しゃべられても面倒だ」


 やはり、自分は殺される。

旦那さまに恩返しも出来ず。

立派な商人になるという夢も叶わず。

田舎で貧乏に暮らしている。おっとうやおっかにも親孝行も出来ずに

 十八になったばかりで人生を終えるのだ。

旦那様、おっとう、おっかぁ、ごめんなさい


 太三郎が短い人生を諦めた。



 そのニ、 死闘しとう


 その時だった。


「ぎぇっ」


 小太りの山賊が悲鳴を挙げて倒れた。

 背中に何かが刺さっている。


 皆が後ろを見ると、行商ぎょうしょうの女が手裏剣しゅりけんをかまえている。


「毒を塗ってある。当たったら、死ぬぞ」


 そう言って、又、手裏剣を投げた。

 しかし、手裏剣は、そうは当たらない。


「くそっ、このあま


 背の高い山賊と、歯の無い頭が女に近寄る。

小太りの山賊は毒が回ってきたのか、泡を吹いている。

 小刀をかまえた女を、左右から挟むと


「毒だと、ふざけおって」


「行商の格好をして、忍びか」


 歯の無い頭が、大振りに刀を振る。


「ただでは殺さぬぞ」


 背の高い山賊は、まじまじと女を見て


「まだ、若いな。捕らえたら、存分に仕置しおきしてやる」


 刀を上にかまえた。胴が空いたその時に

女はすっと、飛び込んで背の高い山賊の脇腹を斬った。


「えっ」


 背の高い山賊は驚いた。


吉次きちじ


 頭が叫んだ。


 勿論もちろん。これにも毒は塗ってある。

 残るは頭の山賊、一人だ。


「つぅ」


 突然、女の足に激痛が走った。

倒れた吉次が、残った力で女のかかとを斬ったのだ。

 女が痛みで立って居られずにしゃがみ込む

それを見て、頭である。松蔵まつぞうは勝ちを確信して


「へへっ、ばちが当たったな」


 女に近寄る。


 しかし、松蔵は、どんと後ろから、何かに当たられた。太三郎だ。

太三郎が、落とされた小刀を拾い、松蔵を後ろから刺したのだ。


「ぐぇ」


 口から血を吹き出し、後ろに居る。太三郎を見たが、その内に事切れた。

 もう、山賊は三人とも死んでいる。


 太三郎は九死に一生を得た。



 その三、 出会であ


「大丈夫ですか」


 女に声を掛けた。


 踵を大きく斬られたらしく、小さく返事はしたが顔をゆがめている。

 まだ、若く。忍びとは思えぬような、綺麗で白い肌をしていた。


 美しい。

 思わず。見とれてしまった。


 はっとして、太三郎は女の様子を見ると

持っていた手拭てぬぐいを傷口に当て、手で押さえるように女に言った。そして、


「すみません」


 そう言って、女の頭に巻いてある。手拭いを取って、女が押さえていた傷口をきつくしばった。


 それからの太三郎の行動は早かった。

必要な荷物だけを持ち、残りの荷物を岩陰に隠すと、女を背負い。来た道を走って戻り出した。


 太三郎は、感の良さと行動の早さで、この歳で手代頭にまでなったのだ。

一番、近い宿場に戻ると、馴染なじみの宿に入り。医師を呼んで貰った。 

 医師に見て貰うと


かかとの筋を斬られている。傷が治っても足はるようになろう」


 と言われた。


「そうですか」


 太三郎は返事をして、医師に謝礼を払った。熱を出した。女の頭の濡れ手拭いを変えながら太三郎は


しばらくは、ここで養生ようじょうをしなくてはなりません。

 私が支払うので、宿代の心配などはしなくて大丈夫です」


 そして、女の名を聞いた。


「おきくです」


 お菊が、か細く答えた。


「お菊さん。良い名ですね」


 そして、太三郎は笑みを浮かべて


「命に別状べつじょうは無いそうです。何日か寝れば。熱も引くでしょう

 本当にありがとうございました。あなたのおかげで命拾いをしました」


「良かった」


 お菊の顔にも笑みがこぼれた。


 太三郎は姿勢を正して


「私は小田原で材木問屋をしている杉野屋の手代をしている。太三郎と申します」


 自分の身元を名乗り、礼をすると


「実は用事が有り。明日、朝早くに小田原に戻らなくてはなりません」


「はい」


 お菊が返事をすると


「用事が済んだら、隠して置いた荷物を持って、戻って来ますので、お菊さんには待っていて貰いたいのです」


「はい」


 お菊のがはいと返事をしたので太三郎は安堵あんどした。

忍びである。お菊はすぐにでも姿を消してしまいそうな感じがしていたのだ。

 怪我けがもしているし、荷物もあるので、大丈夫だとは思うが、何となく約束をしておきたかった。



 その四、 看病かんびょう


 次の日、太三郎は朝早くに宿を出て

小田原に帰り、御種人参を届けると、わけを主人に話し、隠して置いた荷物を持って午後には宿に戻って来た。


 山賊達の死骸しがいは無かった。


「仲間が死体を運んだのか?」


 そう思いながらも荷物。お菊の背負っていた行商の物が入った。背負い箱なのだが、それを背負って宿に戻ってきた。

お菊は足がれて熱を出し、眠っていた。

お菊の姿を見て、太三郎は安堵した。


「良かった。ちゃんと居てくれた」


 その日から太三郎はお菊を看病して、三日目にはお菊の熱も下がった。

やっと、かゆなども食べれるようになった。

 医師も、もう大丈夫だろうと言った。

元気になってきた。お菊は太三郎に礼を言った。


「ありがとうございます。太三郎さんのお蔭で助かりました」


「いえ、こちらこそ、お菊さんのお蔭で命拾いをしたのです」


 あらためて二人は互いにに礼を言い合った。


「なぜ、私を助けてくれたのですか」


 太三郎が聞くと


 たまたま、太三郎が襲われて居る所に通りかかり、目の前で太三郎が殺されるのを、見ては居られなかったそうだ。


「忍びの私ならば、太三郎さんを助けられると思ったのです。足を斬られてしまいましたが」


 お菊は、小田原の北の、ずっと奥の隠れ里に住む忍びなのだが、今は一族の者は忍びの仕事はほとんどせずに、薬草などを採り。塗り薬や飲み薬を作って、それをお菊などが行商で売り歩いている。

 これが、評判が良くて、良く売れるそうなのだ。


 確かに、太三郎が背負ってきたお菊の行商の箱に入っていた。傷薬を塗り、熱冷ましの飲み薬を飲むと、お菊は見る見ると良くなっていった。



 その五、 告白こくはく


 すっかり、体調たいちょうの良くなったお菊は、里に帰りたいと言い出した。

その言葉を聞いて、太三郎は


「私も付いて行きます」


 そう言った。


「えっ」


 お菊は驚いた。

確かに足の傷の後遺症で左足を引き摺るようになり、杖が必要になったが、

太三郎が里に付いて来るとは思わなかった。


「どうして」


 お菊のいに、太三郎は


「実は」


 顔を赤らめて


「あ菊さんを嫁に貰いたいのです」


「嫁に、体の不自由な私を」


「はい」


「いくら、あなたの命を助けたとはいえ、

 それは」


「これは、あなたに助けて貰った義理で、

 決めたのではありません」


 太三郎はお菊な目を真っ直ぐと見つめて


「命拾いをして、あなたを抱きしめた時に、これは仏様の引き合わせだと思ったのです。

 あなたと一生を添い遂げたいと」


「あなたはいくつですか、私をいくつだと思っているのです」


 確かに太三郎は十八、お菊は四つも年上の二十二になる。


「もう、決めたのです。これから、あなたと生きて行こうと」


「私の話しは聞かないのですか」


「もちろん。あなたに承知して貰わねばなりませんが」


 お菊はあきれてしまった。

確かに、年頃なので里でも早く相手を決めて、祝言を挙げるように里長さとおさにもせまられていて、そろそろ、相手を決めなくてはと思っていたが


 まさか、里の者以外と祝言などとは



 その六、 説得せっとく


 お菊の里に帰ると、里にはお菊の母親と兄夫婦がおり。怪我けがをしたお菊がよそ者を連れて来たと噂になった。

 忍びの里の者が、よそ者の商人と祝言を挙げるのは反対だと意見が上がったが

 しかし、太三郎には秘策があった。


 太三郎が里の者になり、小田原で店を持ち、里の薬を売るというのだ。

 専用せんようの店を持てば。売上が安定して、それで、売り子を減らして、薬の増産を計り。ます、ます、里が豊かになると、太三郎は力説をした。町にどころを持てば、里の為になる。


 それに足の悪いお菊はもう、売り子として使えず。嫁としての価値も、長く里を繁栄さかえさせる為には、余所よそからの血も里に入れなければならない

 結局、里長もお菊の家族も、そして、お菊自身も


「この人に付いて行くしかない」


 と、納得をした。



 その七、 そののち


 かくして、太三郎は小田原で薬屋を開き、

大店おおだなでもある杉野屋の助成じょせいも受けて、店を持ち、成功を納めた。厚木や箱根、熱海にも出店を持つようになった。


 太三郎はいつも、お菊を大事にした。


 お菊も左足が不自由ながら懸命けんめいに働いた。二人の間には二男一女の子供もでき、忍びの里も豊かに、大きくなった。

 太三郎は、お菊の事を話す時は必ず


「お菊は至高しこうの嫁だ。自分に取っては福の神だ」


 と人には話した。


「命を助けて貰ったから、義理で嫁に貰ったのだろう」


 と言われると


「それは違う。余りの器量良きりょうよしの嫁だと、人の嫉妬しっとを買うので、自分に釣り合うように仏様が、お菊の足を怪我させたのだ」


 と話した。


 それを聞いた人々は、

太三郎は小田原一の婿むこだと噂した。

薬屋の名は菊乃屋と言ったが、ますますと栄えた。

 只、美人薄命の通りなのか。足の事もあってか、お菊は四十二でその生涯を終えた。

太三郎は後添のちぞえも貰わず。子供等や孫達と共にお菊をしのんで過ごした。

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