秘密悪魔結社マクスウェル
鳴海なのか
序章
第1話「D-IXの密かな欲望」
「……可愛すぎだろ」
初めて
くるんと自然にカールした長い
吸い込まれちまいそうなぐらいにキラキラまぶしい瞳。
俺と同じ生物とは思えないほど短くて、愛らしい丸みだらけの指や手足。
ふんわりぽよぽよ膨らんだほっぺなんて幸せの塊そのものじゃねぇか……。
当然ながら“乳児”という存在自体は、とうの昔に知識として蓄え済み。
一般的な外見上の特徴も平均的な姿を収めた画像も、記憶だけなら完了していた。
だが実際の実物は、そんなの全部吹っ飛ばすぐらい可愛くて可愛くて、可愛すぎてとにかく可愛くて可愛かった。あどけなく降り注ぐ笑顔に照らされ続けた俺の顔も、気づけば骨が溶けたみたいにフニャフニャゆるゆるに緩みきっちまってて――
――
***
21時16分。
ヤツラが顔を見せやがるのは、決まって毎日、同じ時刻だ。
「……脳波、正常」
「……聴力、異常なし」
「……視力・眼圧・眼底、基準範囲」
「……肺機能、正常」
「……血液、全て基準範囲」
「……魔力、微増」
無駄も面白味もない動きに合わせ伸縮するのは、白衣を模した揃いの強化スーツ。
怪しくチカチカ点滅するゴーグル型端末には、データらしき文字列が流れゆく。
彼らは最先端テクノロジーで武装した研究員。
構成メンバーは日により変わる。
だが、やること自体は変わらない。
ぞろぞろ揃って入室するなり、俺をぐるっと取り囲んで、物騒な機械をいじくりまわしては、決められた手順通り入念に俺の身体を調べ上げていく。
ったく、毎日毎日よくやるよな。
検査結果も変化ないのに……飽きねぇの?
俺はその
……しょうがねぇだろ。
無駄に動けばそのぶん長引くだけだし……さんざん色々試した結果、「言われた通り突っ立ってるのが最も早く検査が終わる」と理解しちまったんだからさ。
暇つぶしに数えようにも、灰色コンクリ一色な天井や床にはシミひとつ無い。
個室の形状はきっかり4m四方の立方体ユニットで、全くもって殺風景。
家具どころか窓すら無いから、外の景色だって楽しめない。
あくびを噛み殺しつつ、永遠にも思える退屈な時間が過ぎ去るのだけを、ただひたすらに待ち続けていると――
「――2106年6月6日。通常検査、異常ありません」
俺を囲んでいた
「おい
かわりに近づいてきたのは、壁際で様子を観察していたリーダー格の中年男。
「別に」
迷わず短く答える俺。
チッと舌打ちしてから、男研究員は言葉を続ける。
「では“欲望”はどうだ?」
「ない」
「本当かァ?? この世には多種多様な欲がある。食欲。収集欲。色欲。歓楽欲。成長欲。知識欲。理解欲。想像欲。攻撃欲。依存欲。支配欲。権力欲。細分化すればキリが無く、人の数だけ欲が存在すると言えるだろう…………お前も今日で7歳だ。他のDシリーズと同様、そろそろ
「…………」
「自分の胸に聞いてみろよ、
「…………」
「誕生からのこの7年、お前には数えきれないほどの知識と経験とが絶えず与えられてきただろう? あれも欲望の
「…………」
「難しく考えるからいけないのさ。
自信まみれで偉そうで、やたら耳に残る、回りくどい緩急だらけのネチネチ口調。
やっぱりコイツは人をイラつかせる天才である。
声を聞くだけでムカついてムカついて、とにかくムカついて吐き気が止まらない。
だけど下手に言い返しでもしたら、それはそれで
「……別に」
どうにかこうにか心を無にし、俺は事務的な回答を絞り出す。
プイッと顔を背けたのは、せめてもの抵抗だ。
「ったく、可愛げってものが無いんだよッ! 生まれこそ
「副所長、それぐらいに。まもなく次の
控えていた研究員にたしなめられ、男研究員は溜息をついた。
「……まぁいい。今週の課題図書はコレだ」
男研究員が差し出したのは
思わず「うげッ」と露骨に顔を歪めてしまう俺。
―― “
百科事典クラスに分厚い書物の表紙にはそんなバカバカしいタイトルとともに、いかにも幼児向けで可愛らしいクレヨンの絵が印刷されていたのだ。
「ん? なんだ? ガキ扱いするなってかァ?? ……ふん。諦めろ、
「…………わかった」
不服ではあったが、口答えすることなく受け取っておく。
この男研究員、わざとコチラの嫌がる課題をピンポイントで選んできやがった。
俺が怒れば思うツボ……あともう少しの辛抱だ。
「次回の検査開始は明日の同時刻を予定している。それまでにさらなる見識を深め、さっさと “己の欲” とやらを見出してくれることを願っているぞ。じゃあな」
そう吐き捨てた男研究員がゴーグル型のウェアラブル端末を操作すると、部屋の扉が自動で開いた。そのまま室外へとスタスタ立ち去る男。
無言で後に続く研究員たち。
最後尾の女研究員が気の毒そうな視線を俺へ向けてきたが、すぐに顔をブンブン振って去っていく。彼女の退出と同時に扉が閉まり、元の密室へと戻ったのだった。
「ふぅ……」
ようやく1人になれた俺。
押し付けられた書物を放り投げると、大の字で床に寝転んだ。
「“
……俺だって、何も最初から無愛想だったわけじゃない。
物心ついた頃には既に、この無機質な部屋に1人で閉じ込められていた。
ここに来るのは、強化スーツの大人研究員たちだけ。
1日1回必ず同じ時間に顔を出す彼らは、先のように俺の身体を検査してから、お決まりの質問をぶつけてきやがる。
毎日毎日時間かけて同じ結果を確認して何の意味があるんだよ?
俺からすれば、ただの無駄にしか思えねぇけど……。
とはいえ彼らは、俺のことを虐待するつもりはないらしい。
“検査”と称して行われる確認作業での扱いは、いつだって丁寧そのものだ。
毎日3回ちゃんと栄養バランスの整った食事は提供される。
壁に向かって「喉が渇いた」と言えば、俺の好きな濃いめで氷入りのよく冷え麦茶が即座に届くし、「風呂に入りたい」と言えば、壁の一部が入浴施設に早変わり。
環境面のケアも完璧で、例え床にケチャップをこぼしてしまったとしても、勝手に自動清掃が始まって、数分も経てば何もなかったみたいに元通りだ。
大人たちは定期的に『書物』を持ってきた。
――夢物語が描かれた色とりどりの絵本。
――さまざまな各国料理を食べ歩きまくるグルメ探訪記。
――昔に生きた偉人の一生を手に汗握る脚色で紡ぐ伝記物。
――仕事に活用できるノウハウをコンパクトにまとめたビジネス書。
俺は初めてページを開いたその瞬間から文字を読めたし、どんな書物でもサッと読めば内容を
だからこそ、俺は憧れた。
届けられる書物には、各地の様子や過去の出来事が事細かに記されていた。まだ見ぬそれらはどれも色鮮やかで、俺はワクワクしながら想像を膨らませ続けた。
だからこそ、俺は知った。
書物にて「普通の子どもはどんな暮らしを送っているか」という描写もあった。部屋を訪れる大人以外の人間に会ったことがない俺が、疑問を持つには十分だった。
1年前のある日、俺は頼んだ。
――
その途端。
穏やかだった大人たちが
――外なんて無理だ!
――連れて行けるわけないだろう……
――室内で出来ることは叶えてあげるから、ね??
ある者は怒鳴り、ある者は頭を抱え、ある者は宥めようと。
どうにかして俺を諦めさせようとしてきた。
だが大人たちが頑張れば頑張るほど、俺は意固地になった。
――なんで? どうして外に出ちゃいけないのさ?
俺は諦めることなく食い下がる。
後になって考えれば、いつになくしつこい俺に焦ったんだと思う。
研究員の1人が反射的に俺の頬を殴ってしまった。
――バチンッ
乾いた音が響いた、まさにその時。
俺の中で
それからの俺は、望みを伝えるどころか、最低限以上のコミュニケーションを図ったり感情を見せたりを放棄した。
焦った彼らは、手を変え品を変え説得してきた。
だが俺は相手にしなかった。そもそも彼らへの興味など失っていた。
数週間もすれば研究員たちもすっかり諦め、今となっては俺へ機械的に対応するだけになったのだった。
「……ま、それも昔の話だけどな」
悪い顔でニヤリと笑った俺が、「よっ」と軽やかに飛び起きた。
瞳を閉じ、全身の神経を集中させる。
身体中を巡る“何か”が燃え上がり始めたところで……勢いよく目を見開いた。
紅蓮に輝く瞳――
――と同時に、俺の体が
ただし1つの体は元と変わらぬ状態で、もう1つの体は完全なる透明。
透明だから、普通の人間には視認どころか、存在を認知することすら不可能だ。
だが確実にそこにいる。
“存在する”ということが、少なくとも俺自身には分かっていた。
「んじゃ今日も行ってくるから留守番頼むぜ、“
「ああ。気をつけて行って来いよ、“
“透明な俺”の言葉に、“不透明な俺”が答える。
すぐに透明な俺は壁を触った――かと思うと、そのまま
――“
部屋の外に出たくて出たくて仕方なかった俺が、身につけた特殊能力。
どういう理屈かは分からない。
気が付いたら使えるようになっていたし、どう使うべきかも自然とわかった。
だけどなんだっていい。
この力は俺に自由を与えてくれた……それだけがたったひとつの真実だ。
透明な俺を見送ってから、残された不透明な俺は部屋の中をぐるっと見回した。
「うへェ……」
ある1点で止まる視点。
そこには先程の書物――よい子のための楽しい室内遊び大全――が、俺が放り投げた状態のままに転がっていた。
不透明な俺は、フゥと大きく息を吐く。
それから悟り切った顔で書物を拾うと、壁の隅にもたれかかってノロノロとページをめくり始めたのだった。
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