第14話 神絵師(カス)


 千代田区富士見一丁目、MARUYAMA本社のビル。

 その前で俺はオイスター先生とばったり会った。


「あ」


「よう。おまえもちょうど来たとこか」


 ダウンジャケットとミトン手袋でもこもこのオイスター先生は、俺の挨拶に対し、ぷくっと頬をふくらませてそっぽを向いた。

 なにコイツ。


「おいおい、あいさつくらい返せや。MARUYAMA来いってチャットで呼んだのお前だろ」


「……先日のパーティ。ぼくを置いて帰ったくせに」


「まだ根にもってんの!?」


「あの後、あの人とどうしたの? えっと……西仲しずく先生」


「……別に何も。部屋に送ってすぐ帰ったよ」


 電マ目撃したことなんか話すわけないのだった。

 妙に機嫌をそこねているオイスター先生をかまっていたら、ビルから編集者の陳さんが迎えに出て来た。


「上に行きましょうか」


 ホールで社外者証のプレートを受け取り、エレベーターに乗る。

 エレベーターが止まるたびにくたびれきった様子の編集者たちが乗り込んでくるんだよな。


「すみません、こちらの部屋でちょっと待っていてください」


 陳さんが言いおいて足早に出ていく。編集って多忙なんだなあ。


 機嫌が直ったのか、さっきから視界の端でオイスター先生が俺の手をいじっている。猫みたいなやつだなと思いつつ好きにさせておく。


「わー。十郎のチュイッター、エロエロな絵ばかり流れてくるじゃん」


 好きにさせたのが間違いだった!

 こいつ俺のポケットからスマホ抜き取って、俺の指紋でロック解除しやがった!

 スマホを取り上げながら言い訳する。


「言っとくがてりぃ先生に勧められたことだからな!?」


『大事なのはふだんの生活から絵に対する感性を高めることだ。

 描いていないときでも絵に触れるようにしろ。チュイッターはネット絵描きの主戦場だ。たくさんの絵描きをフォローして流れてくる絵を浴び続けろ。四六時中感性を磨きつつ、自分でも投稿するんだ』


 とのこと。

 俺が描いてるのは美少女絵なわけで、そういうのを見て目を肥やすのは修行の一環だ。まあ、どの絵描きをフォローするかは趣味が入ったけど。

 オイスター先生がうんうんとうなずいた。


「てりぃ先生はチュイッターの使い方に一家言あるからね。

 あ、でも上手い人ばかりフォローするのは諸刃の剣かもよ。他の絵描きの上手い絵に嫉妬しちゃう人には向いてないから。メンタルやられちゃう」


「まあそうだろうな」


「十郎は気になんないの?」


「だって俺より上手いやつばかりなのなんて当たり前だろ。俺まだ絵を始めたばかりだからな」


「ずぶといねぇ。そのくらいの方がいいと思うよ」


「ところでさ」


 俺は首をかしげて疑問をぶつけた。


「なんでいきなりMARUYAMAに呼ばれたんだ? 俺いる意味あるの?」


 俺の書字障害の療養進捗でも聞こうってのか? いや、ないだろう。陳さんがお見舞いにこそきてくれたが、俺は本来MARUYAMAがわざわざ気にかけるほどの大物作家ではない。

 その問いに、オイスター先生は曖昧な笑みを浮かべるばかりで何も答えない。

 そこに陳さんが戻ってきた。

 険しい顔をしたおっさんを連れていた。


「有馬先生には紹介しておきましょう。こちらMARUYAMAが開設しているイラストレーター応援サイト『楽しく描こうよ! 楽描教室』の動画配信部門責任者、徳川羅欧ラオウです」


 陳さんに紹介され、筋肉の塊みたいなおっさんとお互いに「よろしくお願いします」と頭を下げ合う。

 どっかで聞いたなそのサイト名。

 ていうか……


「オイスター先生のお絵描き指南動画『オイスターちゃんねる』が配信されてるとこじゃん」


 俺も見てるやつ。


「今回、お呼びした件についてなのですが……」


 俺たちの対面に座った徳川さんが指を組み合わせ、険しい顔のまま言う。


「オイスター先生、今回の配信での炎上騒ぎについて、社内でも『またか。この配信企画、打ち切ってはどうか』という声があがっておりまして……」


「ちょっと待って! 待って! 視聴者は多いでしょ!?」


 オイスター先生が席から立って抗議しはじめた。

 炎上……?

 ああ(なんとなく納得)。

 こいつ天性の炎上体質だからな……

 そう思ったとたんオイスター先生がこっちに話を振りやがった。


「十郎ー! ぼくを弁護してよ! 十郎だって配信見られなくなったら困るでしょ!?」


「あっ、おまえ弁護させるために俺を呼んだな!?」


 なんでいまさらMARUYAMAに呼ばれたのか疑問だったが、どうやらガチで怒られると悟ったオイスター先生が俺を巻き込んだようである。


「なんで俺が盾にならなきゃならないんだよ! 知りたい知識はおまえに直接聞けばいいし、よく考えたら配信停止してもあまり困らんな……」


「ふざけんな! ここでかばわなかったら聞かれてももう何も教えないからな!?」


 えー……

 潔く怒られてろよひとりで……とは思うものの、まあ一度だけ弁護を試みる。


「徳川さん、オイスター先生はすごい絵描きなんですよ。カスなだけで」


「十郎、やる気ある!?」


 ない。


 徳川さんはぎらと目を光らせて言った。


「それはよく存じ上げております。残念ながら絵のクオリティを問題にしているわけではなく、彼女の言動によって弊社のイメージまでダウンすることを懸念しております」


「うーん正論」


「十郎―!」


 俺はそもそもの疑問をぶつけた。


「徳川さん。何したんですか? オイスター先生は」


「生配信でアンチのコメントと喧嘩をはじめ、『絵の世界は実力と結果とネームバリューがすべて。たとえばチュイッターに載せる二次創作キャラ絵でも、無名絵描きが愛をもって一週間かけて描いた絵より、ぼくがあくびしながら十分で描いたラフのほうがいいね集めるよww』と煽り、みごと本能寺並みに燃え上がりました」


「徳川さん、オイスター先生はすごいカスなんですよ。カスなだけで」


「弁護しろよ十郎!?」


 無理だわ。敦盛舞って切腹しろ。


「い、言っとくけどてりぃ先生が言ってたことの受け売りだからね!? あの人結果主義だから裏でそういうこと言ってるんだよ!」


「おまえ、てりぃ先生に罪を押し付けるなよ……引くわー」


「エロエロ絵を見る言い訳にてりぃ先生を使った十郎に言われたくないやい!」


 机を徳川さんが指先でコツコツと叩き、その圧に俺たちは黙った。


「表に出ない場所でどのクリエイターがどんなことを言っていようが、個人的にどんな思想を持っていようが、我々の関知するところではありません。

 しかし弊社の公式サイトでの配信で火だるまになられては困ります。

 今回は見送ることにしますが、次炎上したら配信打ち切りを視野に入れます」


「はい……」


 しおしおと縮まるオイスター先生の前で立ち上がり、「では失礼させていただきます」と言いおいて徳川さんが部屋を出ていく。

 とたんに復活するオイスター先生。


「よかったー、思ったより手短にすんだ」


「おまえよく俺をずぶといやつ呼ばわりできたな」


 俺もやれやれと肩から力を抜く。

 部屋に残っていた陳さんに話しかけた。


「オイスター先生が俺を巻き込もうとしたのはわかりましたが、なんでMARUYAMAもこいつの言う通りに俺を呼んだんです?」


「あなたたちはセットでは?」


 なんかすごい心外なこと言われた!


「俺と!? オイスター先生が!? セット!?」


 陳さんは徳川さんの代わりに席に座り、どっと疲れた顔で、


「言っておきますがあなたたちふたりは例外扱いです。

 私は本来、編集を介さず作家とイラストレーターが交流するのは反対という方針なんです。なにか人間関係に問題が起きれば、刊行スケジュールもろもろに支障が出かねませんので」


「陳さんそういうカタいとこあるよねー」オイスター先生がうなずく。


「貴様らのせいです」陳さんがにっこりして言った。


 オイスター先生とふたりして絶句すると、陳さんは心なしか怨念のこもった声で、


「あなたたちがコンビを組んで『スタリオン戦記』を出していたあいだ、私がどれだけ胃を痛めたか……ちょくちょく喧嘩して私に愚痴ってきていたのを忘れていませんよね? 仲の修復のために駆けずり回らされること数度……」


「あ、あー……」


 ご迷惑をおかけしました……


「有馬先生がオイスター先生の手料理でお腹を壊したときには絶交寸前まで話がいって、こっちの胃がねじ切れるかと思いました」


「待って陳さん。あの件で俺は異世界転生しかけたんですよ。殺されかけといて怒るなと?」


 あの事件はひどかった。

 「スタリオン戦記」の一巻の発売日。俺はオイスター先生に呼ばれて吉祥寺のマンションにお邪魔し、お祝いの料理をふるまわれたのだが、そのなかの一品に酢牡蠣があった。

 オイスター先生のいうことには、


『へっへーん! どう、おいしいでしょ? 実はこれ加熱用の牡蠣を使って作ったんだ! 加熱用牡蠣を生で食べると、生食用の牡蠣より味が濃厚なんだよ! 料理の裏技ってやつだね!』


 オチはもうおわかりだろう。俺はその牡蠣にあたった。

 嘔吐と下痢で数日間トイレから出られず、半死半生になりながらオイスター先生に電話をかけた。

 怒りの電話を受けたオイスター先生はおろおろした挙げ句に最悪の開き直りかたをした。


『ぼ、ぼくは加熱用牡蠣で中ったことないし! ぼくは悪くない、十郎の運が悪いのが悪い!』


 かくして俺の怒髪が天を衝き、陳さんは担当作家とイラストレーターの仲をとりもつために奔走した。最終的にオイスター先生が武蔵小杉の俺のアパートまで来て、ドアの前で三時間えぐえぐ泣きながら謝ることで和解に至った。


「そんなこともあったね。『武蔵小杉の屈辱』事件ってぼくは呼んでる」


「謝ったのが屈辱っててめーさては全然反省してねえな?」


 元ネタのカノッサの屈辱よろしく三時間じゃなくて三日間放置しとけばよかったわ。


「まあ、お二人は昔からの友人なのでいまさら距離を置けともいえませんでしたが……」ため息をつく陳さん。




 MARUYAMAを出た後、俺は「このあと何するかな」とつぶやく。せっかく都心に出てきたのだからちょっとぶらぶらしてから帰りたい。

 するとオイスター先生が耳ざとく反応した。


「あ、どっか行く? そうだ、十郎は今年の初詣はつもうで済ませた?」


「あー、そういえば行ってねーわ」


 武蔵小杉の稲荷神社にでも足を運んでおけばよかったのだが、ちょっと億劫で行ってなかった。日本人的にちょっとよろしくない気がしてきたな……


「ふーん……東京大神宮近いし寄ってかない? そのあと甘味でも食べに行こうよ」


「そうだな、悪くない計画かも」


 都心の神社にはほとんど参詣したことないんだよな。


「行こ行こ!」


 オイスター先生が笑って俺の腕に腕をからめてくる。

 嬉しそうな明るい笑顔。

 ……たまに迷惑かけられてもなんだかんだこいつと長く友人関係続いてるのは、こういうふうに憎めないところがあるからだと思う。


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