第11話

 カップを持った男女の大学生たちが、あちこちで楽しそうに話をしている。テーブルの上にはスナック菓子の食べかけが散らばり、冷めたピザの残骸には誰も見向きもしない。

 俺は隅で部屋の中を眺めた。翔真はサークルの連中と楽しそうに話をしている。悠親と一美も、誰だかわからないがサークルの部員らしき男の子と一緒だ。大学生同士、何かしら話が合うのだろう。

 翔真がイベントの後で「懇親会に出て欲しい」と連絡してきたので残ったが、失敗だったかもしれない。帰った剛くんは正解だったと思う。

 俺、ここにいる意味があるんだろうか。

 良い大人なんだから、自分から輪の中に入っていけば良い。だが、ここにいるのは、みんな大学生だ。俺だけが社会人。つまり、異物だ。

 大体「あなたは誰?」と聞かれたら、なんて答えたら良いのだろう。翔真の友だち? 同じ大学でもないのに、社会人と大学生で友だちだなんて、説明が厄介だ。

 翔真の身体に実花が触れている。イベントの時に聞いた通り、彼女は翔真のことを好きなのだろうか。だから、どうした? そんなの自由だ。

 そもそも不都合なんてない。同じサークルに所属する二人の男女がカップルになる。極めて自然だ。社会人と大学生の男同士のカップルよりも遥かに。

 幸いなことに俺と翔真は、まだ何もしていない。気の迷いだったことにして、引き返しても、まだ間に合うだろう。それは俺も同じだ。十年後くらいに子どもを抱いて、「そんなこともあったな」と言っているかもしれない。

 窓の外を眺めると、真っ黒な空にうっすらオレンジ色が残っている。俺は手に持っている生ぬるいビールを流し込んだ。不味い。さて、どうしようか。

 俺なんていても、いなくても誰も気にしない。何事もないように、部屋のドアから出ると、まっすぐ校門に向かって歩きはじめる。

 構内に足跡が響く。だが、それも若者たちの騒ぎ声に打ち消される。所々、明かりがついている部屋があるので、同じように打ち上げをしているのだろう。俺のことなんて誰も目もくれない。

 このまま勝手に帰ったら、翔真は何て言うだろうか。怒る? 悲しむ? いや、もしかしたら気が付かないかもしれない。翔真が俺に愛想を尽かせたら、彼は同年代の相手と付き合うだろう。翔真が気付かないままであれば、その程度だったということだ。

 その時、上着のポケットに入っているスマートフォンが震えた。だが、俺は取り出さずに歩く速度を上げた。翔真からの連絡だったら、この足が止まってしまうかもしれない。脈拍もどんどんスピードアップしていく。

 ようやく校門が見えた。学園祭自体は終わっている。あそこをくぐってしまえば、後戻りはできない。警備員がこちらを見る。その時、後ろで声がした。

「誠史さん」

 俺の足が止まる。何で俺の居場所がわかったんだろう。いや、まだ顔を見られた訳ではない。別人のふりをして、立ち去ることはできる。きっと翔真は帰る準備をしていない。だったら、追いかけて来ないハズだ。

「誠史さん、帰らないでください」

 翔真が擦りきれた声を上げた。どうする、俺? 目の前にいる警備員のおじさんも怪訝そうな顔で俺を見ている。足音がどんどんこちらに迫ってくる。大きな手が肩を掴んだ。

「謝りますから、勝手にいなくならないでくださいよ」

 振り返るとやっぱり翔真がいた。肩を上下に動かし、息は荒い。その瞳は潤んでいる。

「ああ、ごめん。トイレに行った後、部屋がわからなくなって。ここに来れば、わかるかなと思ったんだ」

 俺は咄嗟にウソをつく。

「連絡くれたら良いじゃないですか。オレ、電話しましたよ」

「そっか、気が付かなかった。けど、迷子になって誰かの手を煩わせる年でもないから」

 翔真は俺の瞳を黙ってじっと見つめる。その真っ直ぐさに思わず目をそらしたくなった。しかし、それは偽りを認めることだ。俺はグッと我慢する。

「わかりました。じゃあ、帰りましょう」

 俺はうなずき、来た道を戻りはじめる。翔真は俺より少し後ろに続く。また逃げ出さないか、見張っているのだろう。

「なんか、すいません。本当はもっと二人で楽しみたくて誘ったのに。こんな風になって」

「気にすんなよ。みんなに頼られる、良いことじゃないか」

「けど、翔真さんは特別だから。何よりも優先しなくちゃいけなかったんです」

「相手が忙しいの『構って欲しい』だなんて思わない。好きな相手の邪魔になるなんて、まっぴらごめんだね」

 俺も社会人だ。恋人だからといって、何時も優先順位を最上位に置けなんて言えない。

「誠史さんは大人ですね」

 微笑んでいるのか、泣きそうなのかわからない表情で、翔真はこちらを見ている。俺の胸がチクリと傷んだ。ウソをついている訳ではないが、正直にも答えていない自分に対する罪悪感だろうか。翔真は言葉を続ける。

「オレはまだ子どもだから。その手を掴んでいなかったら、どこかへ行っちゃうんじゃないかって心配になるんです。だから、ひとつだけ。お願い事があって」

「なんだ?」

 どんなことを言われるんだろう。俺の身体が強張る。

「ちょっとの時間、抱き締めても良いですか」

 なんだ、その程度のことか。もっとハイレベルなことを想像していた俺は、肩から力が抜ける。

「良いよ」

 人から見えないところが良いだろうか。いや、むしろその方が怪しい。堂々としよう。主導権はこちらが取る。俺は翔真を抱き寄せた。

 思ったよりも柔らかい。だが、芯に骨の固さを感じる。汗に混じって、爽やかな香りがした。髪からするということは、シャンプーなのだろう。

 翔真の手が俺の背中へ回る。首に彼の息がかかり、何かが抜けるような感覚が走った。心臓の鼓動は徐々に落ち着いていく。このままお互いの身体が混じり合う。そんな気がする。

 どれくらい抱き締めあっていただろうか。俺はふと翔真の顔を見た。顔は赤く、目は潤んでいる。口からアルコールの匂いがするのは、さっきまで飲んでいた酒のせいだろう。

 翔真はそっと目を閉じる。そのまま顔が近づき、何かが一瞬だけ口に触れた。彼がさっきよりも上気した肌で曖昧な笑みを浮かべている。その瞳には、まるで引力があるかのようだ。目が離せない。翔真は耳許でささやく。

「すみません」

 気にすることはない、という返事の代わりに、俺はされたことのお返しをしていた。

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