第6話

 電車から吐き出されると、空はすっかり紺色に変わっていた。ベルトコンベアに流されるようにエレベーターを上がりきると、改札の向こう側にその姿を見つける。翔真だ。今日はスーツを着ている。身体に対してサイズが少し大きい。そういえば、インターンの帰りだと言っていた。

 みどりの窓口を背にして、スマートフォンを弄っているので、俺には気が付いていないようだ。まあ、こちらはサラリーマンの群れの中にいる。仮に俺を探していたとしても、見つけるのは困難だろう。

 改札を出て、翔真に近付くと彼は顔をあげた。

「誠史さん、お疲れ様です」

 翔真はにっこりと笑う。その顔をみただけで、仕事の疲れが全て吹き飛ぶ。

「お疲れ。待たせたな」

「全然。それに二週間前は、オレが待たせましたから」

 前回会ってから、そんなに経ったのか。あれ以来、頻繁にメッセージのやり取りをしているので全然そんな風には思えない。翔真が俺に尋ねる。

「で、どこでご飯しましょうか」

「ちょっと行きたい店があるんだけど、そこで良い?」

「もちろんです」

 駅から歩いて、五分。俺たちは薄汚れた雑居ビルにたどり着く。エスカレーターの脇にある階段を地下に降りた先にあるドアを開けると、目の前に冷蔵庫が現れた。中には色とりどりのラベルが貼られたボトルが、ところ狭しと詰まっている。翔真が言葉を漏らす。

「これ、何ですか」

「ビール。百種類くらいあるらしい」

「ビールってそんなにいっぱいあるんですね」

 話をしていると店員が来て、席へ案内してくれた。二十席程度のこじんまりした店だ。店の席は、ほどよく埋まっていた。男女のカップルもいれば、若い男の集団もいる。カウンターの上に置かれたディスプレイには、サッカーの試合が写されていた。

 俺たちが二人掛けの席に座ると、店員からメニューを渡される。

「ここに載っていないものでも、先ほどの冷蔵庫にあるものでしたら、注文できますので」

 翔真が店員に聞く。

「せっかくだから、冷蔵庫の中から選びたいです。あの、味とか値段は教えてもらえるんですか」

「棚の一番前に説明書きが付いていますので、見て頂ければわかるようには、なっています。それでもわからなければ、聞いてください」

「わかりました」

 翔真は立ち上がって、冷蔵庫の方へ行った。その間に俺はメニューの中から、飲み物と何品か、つまめるものを選ぶ。

 しばらくして、翔真が帰ってきた。手にワインボトルのようなデザインで、シンプルな黒いラベルが貼られたビンを持っている。「立派な獲物を得た」と言いたげな顔で椅子に座わり、店員を呼ぶ。

「オレ、これにします」

「わかりました。それではグラスを持ってきますね」

 店員はカウンターからグラスを持って帰ってくると栓抜きでキャップを外した。グラスに濃褐色の液体が注がれる。どうやら黒ビールらしい。

「美味そうだな」

「でしょ。いろいろあって、見ているだけでも面白かったです。誠史さんも選んで来てくださいよ」

「最初のはもう頼んだから、次のは選ぼうかな。そうだ。食い物は適当に頼んどいた。他に食いたいものがあれば、追加して」

「ありがとうございます」

 店員が俺のビールとアヒージョ、バケットを持ってきた。皿はニンニクの香りをさせながら、ジュワジュワと音を立てている。さっさと乾杯を済ませてビールを飲むと、翔真が俺に聞いてきた。

「この店、どうやって見つけたんですか」

「たまたま通りがかってな」

「オレだったら、あの階段は降りないと思いますよ」

 俺もそう思う。翔真をよろこばせたくて、一生懸命ネットで探したのは内緒だ。余計なボロが出る前に、俺は話題を変える。

「そういえば、インターンの調子はどうなんだ?」

「社員さんが優しいので、助かっています。同じグループのメンバーも良いヤツばかりで。来週で終わっちゃうのが残念です」

「ふぅん。合っている職場だったんだな。じゃあ、そこに就職するの?」

 翔真は運ばれてきたシーザーサラダを取り分けながら、答える。

「うーん。もちろん内々定をもらえたら嬉しいですけど、他の会社も見てみたいんですよね」

「そっか。確かに新卒の時はいろいろな業界の話を聞けるチャンスだからな」

「ですよね。ひとつの情報だけで決めるのは、良くない気がしていて。あっ玉子は崩しても良いですか」

「ああ。もちろん」

 翔真がシーザーサラダに乗っている半熟玉子をスプーンで割ると、中からどろりとした黄身があふれ出てきた。彼は自分の分を取り、それをつつきながら呟く。

「そういえばオレ、アプリでゲイの人とやり取りをはじめたんですよ」

「えっ?」

 どういうことだ? 俺との関係が進まないから、別の相手を探しはじめたのだろうか。けど、翔真はそんなデリカシーのない話を俺に報告するタイプではない気がする。牽制か、何かなのか。そもそも、どうやってそんなアプリを知ったんだろう。考えていると、彼は早口で言った。

「あっ、違うんです。そういうんじゃなくて。オレ、男の人を好きになったのが初めてで。どうしたら良いのか、全然わからないから。誰かに話を聞きたくて」

 そういうことか。俺はひとまず胸を撫で下ろして、相づちをうった。翔真は話を続ける。

「世の中、いろいろな人がいるんですね。オレ、普段は自分と似たようなタイプとだけつるんでいたんだなってわかって」

 随分と積極的に行動しているんじゃないか。いや。落ち着け、俺。男同士で付き合うことに対する漠然とした不安は、俺にもある。だとしたら、情報収集するのは当然だ。本来であれば、むしろ年上のこちらがリードして然るべきなのに。疑るのではなく、ここは大人の対応をすべきだろう。

「へぇ。確かにゲイって、本人から言われないとわからないもんな」

「ですよね。で、そのアプリでオレと同じ歳のヤツと知り合って。『今度、お互いにカップルで会わないか』って誘われているんです」

 翔真は俺の顔をチラッと見る。つまり、「一緒に行かないか」ということだろう。ネットで知り合った人間なんて、信用できるんだろうか。相手はカップルと言っているらしいが、それが真実かなんて、わからない。翔真を一人で行かせるのは危険だ。もし本当にカップルならば、話を聞けるチャンスでもある。流石に二人であれば、変なことにもならないだろう。

「相手と会う時は、俺も一緒に行くよ」

 俺の答えを聞いて、翔真の顔が緩む。

「ありがとうございます。じゃあ、相手に連絡しておくので、予定を合わせましょう」

 果たしてどうなることやら。その時、別の席で歓声が上がった。そちらを見ると、ディスプレイに写されていた試合でゴールが決められたようだ。俺は手元のビールを飲み干した。

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